第32話

 誰より強くなければいけないと、分かった時がある。


 例えばそれは、自分より出来が悪いのに、生まれた早さだけで持ち上げられる兄を見た時。

 大して強くもないのに、立ち回りが上手いから可愛がられる同僚を見た時。


 なぜ頭が悪いのに褒められる? なぜ弱いくせに上に立てる? なぜ、自分がこんな理不尽な目に合わなければいけない?


 疑問と不満と、やり場のない怒り。それらを抱えながらも耐えて生き続けてきた。しかし、耐え続けた自分を、無能な同僚は謂れのない罪をなすりつけ追い出した。

 地位も、家族も、家もすべて失くした。あとはただ、行くあてもなく彷徨うだけ。


 自分が強ければ違ったのかもしれない。誰よりも強ければどんな輩もねじ伏せられた。恐怖に怯える心を捉え、意のままに操ることもできただろう。

 自分より少し早く生まれた兄も、無能な同僚も、自分を理解しない上司も。そして、自分をさげすんだ全ての人間も。


 力が欲しかった。誰にも負けない力。伝承にある古代魔術のような力が――


『欲しいなら、さしあげましょうか?』


 そう言ったのは、男だったか女だったか。


 食べる物もなくなり、生き倒れ霞む視界の向こうに、そいつは神のように、そして魔のように、この世ならざる雰囲気を纏って立っていた。


『その代わり、私を楽しませてください』



――そうすれば、貴方に力をあげましょう。



 与えられた取引に、茫洋とした意識のまま頷いた。楽しませるだけで良いのなら、いくらでも頷いてやる。

 それで力が手に入るなら。それだけで、誰よりも強くなれるなら。


 次に気づいた時、自分には魔巧の左腕がついていた。古代魔術が使える腕。何の道具もなしにあらゆる現象を起こす腕。元の左腕より、自分には馴染んでいるようにすら思えた。


 それからは、左腕の力を使い、思うままに生きた。楽しくてたまらなかった。

 全ての人間が、この腕の力の前に恐怖し、跪く。

 大和国の重鎮である藤郷家の男も、この力に惹かれて近づいてきた。その男が語る野望は子供じみた夢想で笑えたが、過程は楽しそうだと思った。


 そう、今はもう、自分も楽しければいい。この腕があれば何でもできるのだから。


 あの姫巫女すら、古代魔術の玄人と言われるあの女すら、自分の前に倒れるところだった。ただあの時は邪魔が入っただけ。この腕と同じ異質な目を持つあの男がいたから。


(でも、もう失敗はしない)


 自分を雇った男は、姫巫女暗殺の失敗に戦々恐々としている。いつバレるか分からない。いつ自分が犯罪者になるか分からないその状況に怯え、怒鳴り散らしている。

 さっさとしろと、二度目はない、と。今度は自分の部下も出すと。

 分かっている。二度も失敗はしない。今日こそ姫巫女を片付ける。そして、きっと守りにくるだろうあの男も。


 夜の闇の中、乾いた唇をぺろりと舐めた。

 薄暗い陽の宮の庭に、女房を一人連れた姫巫女がいる。屋敷の様子を見にきたらしい。


 彼女達の周りは、すでに雇い主の部下達が囲んでいる。一歩一歩近づく兵。

 月が雲間に隠れた。その瞬間。


 兵の一人が姫巫女に向かって突進する。その動きがきっかけのように、十人以上の男達が一人の少女に向かっていった。

 甲高い悲鳴とともに、美しい少女が赤の海に倒れる。誰もがその光景を頭に思い描いただろう。だが――


「烏合の衆だな」


 姫巫女に刃が振り下ろされる寸前、隣にいた女房が一つ呟いた。その呟きと同時に、襲いかかった兵士達が全員吹き飛ばされる。


 自分はこの時動いた。この時を待っていた。姫巫女が護衛なしで出歩くことなどありはしない。側にいるのは必ず戦える人間だ。

 だから、護衛の目を捨て駒用の兵に向けた。そして、この左腕を持って、無防備な姫巫女を一瞬で亡き者にすれば良い。


 殺す、と考えるだけで左腕は発動する。


 一瞬で練りあがった魔力と構成をぶつけようと腕を振り上げた。そして――


「残念でした。は・ず・れ!」


 姫巫女が振り向いたと思った途端、目の前を光る糸のような物が走った。


(触れてはならない!)


 咄嗟に後ずさった時、側にあった木が糸に触れて輪切りにされる。


「ああ、もう。避けないでよ!」


 攻撃してきたのは姫巫女ではなかった。隣にいるのも、女房どころか女でもない。いつの間に衣を変えたのか、暗部服に身を包んだ男と、黒い鬘を脱ぎ捨てた灰色の髪の少女。

 この二人が、姫巫女と女房にすり替わっていたのだ。


 息を吸うのと同時に二人は攻撃を仕掛けてくる。それを見た他の兵達も姿を現し武器を抜く。混戦になってしまえば戦いにくい。

 いったん離れようと後方に飛んだその時、背後に知った力を感じた。

 自分の持つ左腕にも宿る、禍々しい魔力。


「てめぇの相手は、俺だ!」


 冴えた月のような銀影が目の前を通り過ぎた時、自分の体は大きく弾き飛ばされていた。

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