第30話

 政斗が御簾をくぐり、すぐに姿が見えなくなる。砕が魔術をかけたのだろう。

 廊下に出る背を見送った幸丈は、閉じた御簾を心配げに見つめる莉桜に気づいた。


 政斗の様子は、帰ってきてからおかしかった。それは幸丈も分かっていた。

 余裕がないとでも言うのだろうか。いつもの飄々とした顔の裏に、何か重く苦しいものを抱えている気がしてならない。捨て身な発言など、今までの政斗ならしなかった。

 莉桜は何か知っているのだろう。扇で口元を隠した顔がそう物語っていた。


「莉桜、政斗のとこに行ってこい」


 気づいた時、幸丈はそんなことを言っていた。

 驚いた顔をする莉桜に、からかうような笑顔を見せてやる。


「心配です、って顔に書いてあるぞ。外に出れば砕が位置を教えてくれるし、あいつの魔術でお前と政斗の姿は周りから見えない。だから行ってこい」

「ですが……私が行ったところで」


 俯く彼女に、何を躊躇っているのか、と溜息をつきたくなった。


「あのな、惚れた男が意気消沈してんだ。そういう時は、誰かが傍にいてくれるだけでも相手は嬉しいもんなんだよ」

「ほ、惚れ……違います!」

「そうなのか? いや~、政斗を見る目がこう『恋する乙女』って感じだったから。てっきりあいつに惚れたのかと思……ヴぇっ!」


 言い終わる前に、高速で飛んできた扇が顔に当たった。と同時に、袿を翻して出て行く音が聞こえる。落ちた扇を見て、側にいた華那が覗き込むように膝の上に乗ってきた。


「あいつ、意外に普通の武器を持たせても戦えるんじゃないか?」

『そうですね。真っ赤になってますよ、幸丈様』


 扇の勢いは凄かった。今もジンジンと痛みがするから、渾身の力を込めたようだ。


『良かったんですか? 莉桜ちゃん行かせて』


 傷を癒すようにぺろりと頬を舐めた華那は、御簾と幸丈の顔を交互に眺めた。


「政斗に出会って、莉桜は今まで溜めてたもんを表に出すようになった。良い傾向だと思う。それに政斗も、莉桜の存在を自然と受け止めてる。根無し草な旅人だったあいつに、莉桜が変化をもたらしたんだ。似合いだと俺は思うけどな」


 政斗の捨て身発言は受け入れられない。それでも、彼は自分が犠牲になっても良いとまで莉桜や幸丈に言ってくれた。

 最初はただ自由になるための交換条件でしかなかった仕事を、今政斗は自ら率先して協力してくれている。


 その変化をもたらしたのは、おそらく莉桜だ。だから、あの二人が一緒に居るのは良いことだと思った。莉桜なら、政斗が抱えている重いものを、少しほぐせる気がしたのだ。


『あの……あたしが言いたいのはそういうことじゃなくてですね』

「ん?」


 華那は、どう言ったものかと視線をウロウロさせ、結局幸丈の正面にきっちりと座った。それでも、話しにくいのか下から顔色を窺ってくる。


『あたし、幸丈様は莉桜ちゃんが好きなんだと思ってたから……その……』


 ポツポツと歯切れ悪く言った華那の言葉に、幸丈は脇息きょうそくに頬杖をついたまましばらく固まった。そして、五つ数えた次の瞬間、腹がよじれるほどに笑い出す。


「あはははははっ、オレが? 莉桜を? 何でそんな発想に至るんだ華那!」

『だ、だって、幸丈様、莉桜ちゃん以外じゃ、どんな女性の前でも模範的親王の仮面を崩さないじゃないですか! だから!』


 大爆笑されている華那は、恥ずかしいのか怒っているのか、人の姿に戻って幸丈を叩き始めた。本来なら不敬だ、と怒られる場面だが、怒る者はここにいない。


「もう、幸丈様!」


 顔を赤くして怒る華那。狼の時と同じ、ふわりとした灰色の髪を優しく梳いてやる。


「悪い。莉桜は小さい時からのつき合いだし、お互い考えてることも似通ってたから、気兼ねしてなかっただけだ。他は敵か味方か分かんねぇもん。用心に越したことはないだろ」


 莉桜には、最初に会った時から仮面をつけていなかった。その内、本音を話しても大丈夫な相手だと分かった。だから、今も莉桜の前では素顔でいられるのはその延長だ。


「莉桜はオレみたいな奴より、政斗みたいな男の方が似合いだよ。それにな、華那」

「はい?」


 不思議そうにこちらを見る少女。見た目は極普通のこの少女が、実は暗部の腕利きだと知った時には驚いたものだ。


「オレが仮面をつけずに話す女は、もう一人いるぞ」

「え? いましたっけ?」


 華那は呻りながらあの人でもない、この人でもない、と繰り返す。見当違いな名前ばかりに、彼女が正解を出すのは、当分先の話になるようだ、と幸丈は思った。


「ま、今やることは別にあるか」


 幸丈は、まだ呻る華那を前に明日の作戦を考え始める。

 無茶をする。企みが多いと言われるこの頭を、余すことなく使おう。

 大和国に仇をなす者を許すつもりはない。幼馴染で同士である莉桜の命を奪わせるわけにはいかない。そして、政斗一人を犠牲にするつもりもない。


「オレにとっちゃ、初めての友人なんだよ」


 政斗という存在を、ただ駒として扱い、場合によっては切り捨てる人材と見ることは、もう幸丈にもできなかった。

 気さくに話せる友人。何の見返りもなしに、信頼しても良い人間だと、この短い時間の中で位置づけてしまった。

 だから、失いたくない。


「幸丈様、政斗みたいに悪い顔になってます」

「へえ、じゃ、いっちょ悪巧みでもするか」


 模範的親王の仮面は今いらない。そんなものは脱ぎ捨てて、相手をおびき出す方法を、大事なものを守る方法をいくらでも考え出してやる。

 幸丈は華那の頭をなでながら、強く、強く心の中で決意した。

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