第28話

 信秀と別れた後、政斗は莉桜を連れて人目の少ない小路に入る。


「ま、政斗! いったい、どうしたのですか?」


 有無を言わさぬ行動に驚いたのか、莉桜が不安げにこちらを見上げる。だがそれに答える代わりに、政斗は彼女の目を真っ直ぐ見つめ返した。


「確認したいことがある。莉桜、回復の魔術を使ってくれ。その次は攻撃だ」

「え、え?」

「頼む。重要なことなんだ」


 口をはさむ隙も与えずに言えば、莉桜は少し戸惑いながらも扇を準備して魔術を発動させた。右目が見たのは、薄紅の魔力と桜を基調とした魔術の陣。

 溢れ出るのは、人を癒す温かい魔術の波動。


「えっと……じゃあ、次は攻撃の魔術をやりますね」


 政斗の真剣な顔を窺いながら、莉桜は続けて魔術を発動させた。

 見せてくれたのは風の攻撃魔術。そして、その時政斗の右目が見たものは、先程の陣と細かい紋様は違うものの、同じ薄紅の魔力と――――桜の紋様。


 政斗は、己の知りえた事実に確信が持てた。


「やっぱり……そういうことだったのか。あの時引っかかったのもこれか」

「あの、いったい何だというのです? 何か分かったことでも?」


 莉桜の困惑に答えるように、一つ大きく頷いた。


「俺は、古代魔術を使う際に現れる魔術の陣は、魔術の内容によって違うんだと思ってた。植物が基準になってるみたいだが、陽の宮の塀にかけられていた結界魔術は橘。襲撃者が使った炎の魔術は彼岸花。お前が使う解呪の魔術は桜って風にな」


 魔術の特性によって、表わされる植物が違う。政斗はそう思い込んでいたのだ。


「そうなんですか? 私達の目には、魔力の色とぼんやりとした模様しか見えないので」

「そう。古代魔術に詳しいお前にも見えないから分からなかったんだ。その魔術の陣の紋様が、術の内容によって異なるんじゃなくて、術者によって異なるってことにな」

「え?」


 政斗は歯噛みした。見えていたのに、その繋がりを解明できていなかったのだ。

 信秀が盗賊討伐の折に使った魔術も炎。襲撃者が陽の宮を襲った時に使ったのも炎。それを見て、てっきり炎の魔術の時は彼岸花の魔術の陣が現れるのだと思い込んでいた。

 だからあの時、莉桜が少年を治療した時に違和感を覚えたのだ。


 封術を使っていた時も、回復の魔術を使った時も、そして今も、莉桜の魔術が発動する時には必ず桜の紋様が現れた。

 魔術の陣には、術の違いではなく、術者の違いが現れていたのだ。


「お前も言ってただろ。古代魔術も術者によって個々の特性が出る、って。受け継がれてきた法則を使っても、お前と親父さんの術には差異が出るってな。それがこれだったんだ。陽の宮にかけられている結界の魔術は、お前の親父さんがかけたんじゃないか?」

「え、ええ。その通りです」


 つまり、塀にかけられた結界の魔術の陣。橘は、彼女の父親の特性を表しているのだ。


「さっき、信秀が使った魔玉の術からは朱色の魔力と彼岸花が見えた。同じ魔術の陣を、俺は陽の宮の襲撃者の魔術で見てる」

「では、先程の方が!」

「いや、あいつは囮か、利用されてるだけだ。よほどの馬鹿でなけりゃ、天照家を襲ったのはその失墜を望む人間だと判断がつく。東宮派の藤郷家にも当然目が行くだろう。その時、以前から『古代魔術の使い手か?』と暗部に怪しまれていた信秀は、一番に疑われる」


 すぐにではなくとも、あの魔玉の数珠にも気づかれるだろう。

 そして、ありとあらゆる調べを行えば、襲撃者の魔術と、信秀の持つ数珠の魔術が同じ魔力によってできているということに気づくかもしれない。

 莉桜も、彼女の父親も魔術の知識に詳しい。証拠品が出れば、繋がりも見つけたはずだ。


「疑われるのが分かってて、あんなもん見せびらかさないだろ。信秀は中宮のお気に入りで、藤郷家の総領の息子だぞ。奴が少しでも馬鹿な真似をして、それがバレたら、藤郷家もおしまいだ」

「なら、襲撃者は逆に藤郷家の失墜を望む者だと? 先程の方は、あの数珠は恒明という方に貰ったと言っていましたが」

「恒明は藤郷家の家人だ。回復の魔術しか使えないと聞いてる。あいつを通して誰かが信秀に数珠を与えたか……松木恒明自身が他の誰かと繋がりがあるのか……」


 頭に信秀とその隣にいた恒明を思い浮かべる。人の良さそうな笑みで、けれどどこか弱腰だった魔術府の男。


(そういえばあいつ、左腕に包帯を……)


 その時、政斗の脳内に襲撃者の言った『同類』という言葉が木霊した。


(俺の右目と、襲撃者の左腕から感じた魔力は……確かに似ていた)


 もし、あの言葉が政斗の義眼を指して言った言葉だとしたら。もし、あの時襲撃者の左腕に感じた禍々しさが、この右目に宿るものと同じだとしたら。

 それは、ある一つの結論を導くことになる。


「政斗?」


 黙りこくった政斗を、莉桜が不安げな声で呼んだ。こちらの微妙な変化に気づいたのだろう。目が『大丈夫ですか?』と問いかけてくる。


 政斗は安心させるように髪を梳いてやった。

 最初は御簾越しでしか姿を見せなかったくせに、今は触れることも嫌がらない。

 大人しく、まるで安堵するかのように政斗を受け入れている。


(ああ、くそ!)


 政斗は心の中で悪態をついた。

 ただ、自由になるために請けた仕事だったのに。ただ、旅の途中で通過するだけの国だったはずなのに、それがもう難しくなってきていることを、自覚し始めている。


「何でお前らに出会っちまったかな……」

「え? 今、なんて……」

「何でもねぇよ。と……砕か?」


 右目が、近くに潜む気配を捉えた。分かりにくいが、あの青年のものだ。

 静かに名前を呼ぶと、音もなく彼は姿を現した。


「姫巫女様の御前に失礼いたします。こちらの掴んだ情報を逸早く貴女方にお伝えするようにと主から承ってまいりました。また、早急に内裏にお戻りいただくように、と」


 政斗と莉桜は顔を見合わせ、砕に続きを促した。

 彼は跪いたまま、淡々と詳細を報告していく。


「例の藤郷家にいる天照家の傍流の血を引く姫のことです。その姫君の後見は、藤郷家の総領や中宮ではなく、腹違いの弟、藤郷信定であることが判明しました」

「何だって?」


 浮かんだのは、全てのきっかけになった夜のこと。政斗の一撃に伸された戦衛府の総隊長、藤郷信定の顔。


「天照家の血を引く姫君は、前の親王の奥方と親戚関係にあるのではなかったのですか?」


 中宮と藤郷家総領の父親が前の親王。その親王の奥方であり、中宮達の実母の家系に天照家の血を引く姫君がいたはずだ。

 家が傾き、藤郷家が援助していると幸丈が言っていた。

 自分達の母親の縁戚だからこそ、天照家の血を引く姫君を養っているのは、中宮や藤郷家総領だと思っていた。

 しかし、砕は母親の違う信定が姫君の後見役だと言う。


「はい。姫君の母親は、前の親王の奥方から見て姪に当たります」

「それでは……」

「ですが同時に、姫君の母親と、藤郷信定の妻が姉妹なのです」

「つぅことは……信定から見たら、姫君本人が姪、ってことか」


 政斗の答えに、砕は大きく頷いた。


「姫君の母親は早くに亡くなり、妹であった信定の妻が姫君を引き取りました。ゆえに、姫君の後見人は信定が務めているようです」


 姫君が天照家の血を継ぎ、魔術も使えると判明した時には、すでに信定が後見人となった後だったらしい、とも砕は報告した。


 つまり、莉桜が消えて一番得をするのは中宮でも藤郷家総領でもなく。信定だったということだ。さらに、信定と仲の悪い中宮達が協力しているという可能性は薄くなった。

 まして、総領の息子である信秀が加担しているという線も消える。やはり、彼は利用されたに過ぎないのだろう。


「それともう一つ。藤郷信秀に付従う松木恒明についてですが」


 砕の言葉に、政斗は鋭い隻眼を向けた。一瞬、莉桜がちらりとこちらを見る。


「飛鳥国出身である以外詳細は不明。二年前から、信定のところに仕え、藤郷信秀の戦衛府入隊の祝いとして、信定が譲り渡したそうです」


 あの人の良さそうな笑顔を浮かべた男もまた、藤郷信定と繋がりがあった。


「あいつの左腕について……何か知らないか?」

「左腕? ああ、火傷か何かの痕があるらしい。信定の元に仕える前から、あの左腕はずっと包帯で覆われているそうだ」

「そうか……」


 政斗の中で、ようやく一つの答えが出た。

 それは、今回の事件だけを繋ぎ合わせたものではない。もっと遠い、もう十年以上も前に起こったあの凄惨な夜。

 この右目を与えられたあの日にも繋がる、ひどく運命的で、どこか仕組まれたような答えだった。

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