第27話

 突然割って入ってきた声に、政斗は内心目を白黒させる。


(な、何やってんだ俺は!?)


 我に返ってみれば、今までの行動がとんでもないような気がしてならない。何をしようとしていたのか、あのままだとどうなっていたのか思い当たって、政斗は頬を染めた。

 見れば、莉桜も同じように真っ赤になって政斗を見ている。驚いて固まっているようだが、こちらを見る目には何か問いたげな雰囲気も漂っていた。


 政斗は誤魔化すように顔を通りに向けて、先程の怒声の元を見る。

 予想通り、そこには藤郷信秀の姿があった。


「貴様このような日に何をやっている!」

「な、何って、俺は今日非番だから、何やってても文句言われる筋合いねぇぞ」


 心の動揺を悟られぬように、政斗はいつもよりぶっきらぼうに答えた。だが、信秀は政斗の様子も、その隣にいる莉桜にも気づいていないのか、ずんずん近づいてきたかと思うと机を勢いよく叩く。


「貴様それでも戦衛府の隊員か! 昨日は陽の宮が襲われ、姫巫女様が危険に陥られたのだぞ。その不埒な輩を一刻も早く捕まえるために、非番など返上する気概はないのか!」

(いや、言われなくても非番返上中なんだけどな、今)


 つい先程まで、信秀の言う『不埒な輩』が放った呪詛を駆逐していたのだ。彼よりも十分な働きをしていると思う。

 しかし、信秀は政斗の剣呑な目線を無視し、虚空を見上げた。


「ああ、昨日、姫巫女様はたいそう恐ろしい思いをされたに違いない。今もきっと後宮の奥で震えていらっしゃるのだ。何とおいたわしいことか!」

(あ~……目の前にいるぞ)


 ちらりと莉桜を見ると、彼女は小さく咳払いをして被衣をより深くかぶった。

 後宮の奥で震えているはずの姫巫女は、自ら敵にぶつかっていこうとしている。そんなことを知ったらこの男はどういう反応をするだろうか。


「お前さ、藤郷家の出なんだから、姫巫女より東宮一家を心配した方が良くねぇか?」

「ふざけるな! 私が戦衛府に入ったのは姫巫女様のためだ! お前あの方を見たことがあるか? 私は三年前の花の宴の折、舞を舞われる姫巫女様を見た。それはもう美しくて、桜の女神がこの世に降臨されたようだった」


 花の宴とは、大和国で春に行われる、国を挙げての祝いの宴だと聞いた。

 国花である桜が満開の時期、これからもその花のように栄光を、そして安泰をと祝う行事で、丸三日宴が行われる。莉桜はそこで舞を舞ったらしい。


「へぇ、桜の女神、ね」


 色んな意味を込めて莉桜を見れば、彼女は小さく『そんな大それたものでは』とか何とか呟いていた。


「あの時私は決めたのだ。どんなことがあってもあの方をお守りしようと! 今回陽の宮を襲うなどという悪行を働いた愚か者は、私の刀の錆にしてやるわ!」

「あ~、はいはい。頑張れよ」


 政斗は呆れ半分に答える。こうやって本人を目の前にすると、やはり信秀が昨日の襲撃者と同一人物には見えなかった。

 演技をしているということも考えられるが、そこまで器用な男には見えない。それに、彼を注視しても、あの禍々しい魔力を感じない。どちらかと言うと、真っ直ぐで汚れのない山吹色の魔力が綺麗に見える。


 だがその時、政斗はふと彼の左手首に注目した。そこだけは、魔力の色が違う。

 山吹色ではなく、少し赤みがかった色。

 政斗は勢い良く信秀の腕を取った。彼の左腕を取り巻いているのは、数珠だ。


「貴様、何だいきなり!」

「お前、これ……」


 信秀の腕には、朱い数珠がついていた。しかし、ただの数珠ではない。魔力が一つ一つに宿っている。よく見れば、玉には不思議な文字が掘ってあった。


「魔玉……」


 莉桜が声を顰めるように言った。


「ほお、お嬢さんはお目が高い。そう、これは魔玉の数珠。ふふん。雪竹、これが私の切り札だ。お前を倒すには十分だな」

「なるほど、この前の炎はこの魔玉の魔術か」


 風の刃しか使えないはずの信秀が使った炎の魔術。あれはこの魔玉に込められた魔術を発動させた物だったのだ。そして今もなお、この数珠からはあの朱色の魔力を感じる。


「おい、お前この数珠はどうやって手に入れたんだ? 他にはどんな魔術が入ってる?」

「なぜ貴様にそんなことを教えねばならん! これは恒明が買い求めてきてくれたのだ! それ以外は知らんし、手の内を見せることもせん! ええい、放せ!」


 腕を振って逃れようとする信秀。政斗は莉桜に目配せした。彼女の正体を明かすわけにはいかないが、敵視している政斗が頼むより効果はあるだろう。

 莉桜は事情を察したのか、信秀に近づき被衣の奥から上目遣いで見上げる。


「武官様。私も見とうございます。これほど綺麗な魔玉は初めて見ましたので」

「む……そ、そうか? まあ、一つぐらいなら見せてやらんこともないが……」


 莉桜のおねだりに気を良くしたらしい。信秀は早速魔力を解放しようとしている。

 政斗はそんなやり取りを見ながら、呆れに似た感嘆を覚えた。

 さすがは幸丈の幼馴染とでも言おうか。人形めいた顔からは思いもつかなかった演技力だ。姫巫女を廃業しても、莉桜ならどこでも生きていけそうな気がした。


「何か言いたそうですね。せっかく協力してさしあげたのに」

「いや、感謝はしてるぞ。あいつも、知らないとはいえ憧れの姫巫女にねだられて嬉しいだろうさ」

「もう……」


 憧れの姫巫女が、目の前で頬を膨らませているのにも気づかず、信秀は数珠の魔術を発動させた。政斗の右目はその一連の動作をつぶさに捉える。


 朱色の魔力。そしてそれが次第に魔術の陣を形作っていく。

 信秀の山吹色の魔力ではなく、禍々しい朱色の魔力が作る陣の模様。それを右目で見た瞬間、政斗はとんでもないことに気付いた。


「見ろ、氷の刀だ。触れた物を凍らせる。雪竹、貴様の刀もこれで……って、おい!?」


 信秀が振り返った時、政斗はすでに莉桜の手を取り店を出ていた。


「悪い、助かった。仕事頑張れよ」

「貴様、どういうつもりだ! あ、こら、まだ勘定払ってないではないか! おい! 待たんか阿呆!!」


 背後からかかる罵声を尻目に、政斗はたった今気づいた事実に舌打ちをした。

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