第26話
「……政斗?」
突然口をつぐんだ政斗を不思議に思ったのだろう。莉桜が不思議そうに問いかけてくる。
その姿はやはりどこか凛としていた。それは、この大和国で政斗が出会った幸丈にも言えること。いや、きっと華那や砕だって同じだろう。
「……お前も幸丈も、愛しいものと守りたいものがちゃんとあるんだな。しかも、それを誇ってる。……羨ましいぐらいだ」
温かな茶を手に包んでいた莉桜は、政斗の言葉に顔を上げた。そして、意を決したように口を開く。
「貴方は飛鳥国の出だと、幸丈から聞きました。その……ご家族とかは?」
「いない。いや、いるのかもしれねぇが、生きてるのか死んでるのかも分からない。俺は捨て子だったんだよ」
言いながら、政斗は懐から一つの紋章を取り出した。戦衛府の総隊長、藤郷信定が持っている物とよく似ている。
青っぽい房がついた手に持って見せる形の紋章。描かれているのは藤。藤は飛鳥国の国花だ。だが、紋章の中心部は刃で傷つけられた跡があり、傷みも激しく、他に何が描かれていたのかを読み取ることはできない。
「飛鳥国の官吏か武官か。その辺りが俺の家族なんだろうな。だが、見てのとおりどこに属してたか分かんねぇし、生死も不明。俺が生まれたのは、飛鳥国が内乱の時期だからな」
現飛鳥国は、旧飛鳥国の政権に不満を抱いた執政一族が、反逆を起こし新たに建てた国だ。二十年ぐらい前はその最たる時期で、王権派と執政派に二分した争いは激化していた。
争いに巻き込まれた民達にも、大きな被害が及んだのだ。
政斗の家族がどちらの派閥にいたかは分からないが、刀傷や、政斗を捨てる他なかったところを見ると、無事というわけにはいかないだろう。
「それでその後、貴方はどうやって……」
「山賊に拾われて育てられた」
「え?」
ニッと笑って言ってやれば、さすがに予想していなかったのか莉桜の目が見開かれた。
「名前は一緒においてあった紙に書いてあったらしい。雪竹っていう氏は、拾った場所が雪の積もった竹林だったからなんだよ」
自分を拾い育てた義父は『寒い中、食糧の兎やら猪探して、見つかったのが赤子だぜ。腹の足しにもなりゃしないもんを拾っちまったよ』と、よく愚痴を言っていたそうだ。
「俺を拾った山賊の頭領は、粗雑だが気の良い親父でね。部下は息子同然にかまってたし、俺にもそうしてくれた。ま、教えられたことっていえば狩りの仕方と武器の使い方、あと生き抜く知恵だな。助かったよ」
あえて盗みや追いはぎとは言わなかった。莉桜のような姫君には刺激が強すぎるだろう。
それでも、あの山賊達に感謝の念があるのは事実だ。拾ってもらい、衣服と食料を与えられ、健康的に育ててもらった。それが汚れた手でなされたことでも、政斗にとってはありがたいことだったのだ。
「頭領が親父、仲間は兄弟みたいなもんだった。血の繋がらねぇ家族だな」
大きな手で頭をなでられたこともある。見栄の張り合いで喧嘩をしたこともある。けれどどんなに仲間割れしても、最後には笑い合っている記憶しかない。
「なら、その山賊の皆さんは? 政斗にとっては愛しくて、守りたいものでしょう?」
おずおずと、窺うように聞いてきた莉桜は、すぐにハッと息を飲んだ。政斗自身には分からないが、よほど奇妙な顔をしていたらしい。
「死んだよ……この右目のせいでな」
血を吐くように苦しい声音だと、自分でも笑いがこみ上げてきた。ずいぶん昔のことだというのに、今でもあの時の記憶は鮮明に蘇ってくる。
「何の運命が俺を選んだのかは分からない。ある日、俺達のねぐらに一人の男が来た」
顔も、背丈も覚えていない。記憶に残るのは、どこか狂気じみたあの声。
「男は圧倒的に強かった。風を操り、炎を出し、大地をうねらせた。で、一回の爆発で全滅だ。今思えば、古代魔術の使い手だったんだろうな」
思い出す記憶は、仲間の首が飛ぶ場面から。
怪しげな男に詰め寄った仲間は、一瞬で首と胴が切り離された。何が起こったのかは分からなかった。その後、逆上して仲間が襲いかかった時、巨大な爆発が起きた。
頭領は、まだ力の弱かった政斗を守ろうとしたのだろう。上半身を吹き飛ばされて絶命していた。
「男はなぜか俺だけ殺さなかった。代わりに、右目を抉り出し、この義眼をつけた」
目的が何なのかすら読めなかった。ただ楽しんでいるように見えた。
たった一人生き残り、その無力さに苦しむ政斗を。強すぎる右目に翻弄され、生き地獄を歩いていかなければならない政斗の人生を、面白おかしく見物したいようだった。
男は、『君は、私を楽しませなくてはいけない』と、政斗に言ったのだから。
「この右目は、俺の力じゃないからな。制御できねぇんだ。塞いでも周りのものを見ちまう。黒い魔術布で覆うのが一番抑えられるんだが……それでもけっこう苦痛だぜ」
義眼は魔力も、魔術の正体すら見せてくれる。もちろん、政斗が望まないものも。
「さすがに、死んだ仲間の魂とやらが見えた時は、きつかったな……おかげで、今でも幽霊にはビビる始末だ」
莉桜は何も答えなかった。いや、かける言葉が見つからなかったのだと思う。唇をキュッと噛み、俯いてしまう。
政斗も莉桜の変化が分かった。だから、努めていつもの口調へと戻す。
「悪い。変な話したな。気ぃつかうなよ。幽霊なんて早々見れるもんじゃないし、まあ、得したと思えば……」
「もう良いです!」
小さな叫びが、政斗の言葉を遮った。
莉桜は俯いていた顔を上げると、白魚のような手で政斗の手を包み込んだ。荒れたところのない、姫君の手だ。
「もう、良いです……もう、そんな風に溜め込まないでください」
「……莉桜?」
「貴方が言ったんですよ。『本音を溜めこんで自分を傷つける前に、ちゃんと言葉にしろよ』って。だから……無理に強がって、それ以上傷つかないでください」
包み込んだ政斗の手を、莉桜は自分の頬に寄せた。口づけるように握られたまま、振りほどくこともできない。
彼女から与えられる温もりはとても優しくて、政斗が誰にも見せないようにと頑なに隠している部分まで溶かしてしまう。
「政斗……」
名前を呼ばれて、その声音に胸が苦しくなった。
ひくりと喉が震え、今まで口に出せなかった言葉がこぼれる。
「無念だって……死にたくないって、そう嘆いてる仲間が見えた。笑い合ってた顔が、全部……憎しみや怒りに彩られてた」
上半身を吹き飛ばされた頭領。父のように慕っていた彼の顔はもうないはずなのに、政斗の右目は『なぜお前だけ生きているのか』と問うた頭領を見てしまった。
羨望、切望、憎しみ、嫉妬、怒り、絶望。
死した仲間が政斗に向けた、生きている時よりも強い感情の塊。
「俺は……誰も助けてやれなかった! 生きてる時にも、死んだあとも、あいつらの心を救ってやることができなかった。逃げたんだ、そこからっ……」
弔いも何もしてやれなかった。いや、怖かったからしなかった。
自分だけが生きているあの場所で、これ以上仲間の絶望に浸されるのは耐えられなかった。だから逃げた。埋葬してやることもせず、ただ走って、その場所から逃げた。
「お前らが羨ましいよ……誰かを愛して、誰かを守ろうとして必死になれるお前らが。ちゃんと進んでいこうとしてるお前らが……眩しく思える」
「政斗……」
「俺は、また特定の誰かを大事に思うことが怖いんだ……」
失うことを知ってしまった。失ったあと、非難されることを覚えてしまった。
またかつての仲間のように、死んでなお恨みや絶望に瀕した顔を見るぐらいなら、最初からそんな大事なものを作らなければ良い。いつからかそう思うようになった。
「貴方が旅を続けてるのは、その『誰か』を作らないためだったんですね……」
納得したように閉じた莉桜の目から、一筋だけ雫がこぼれた。包まれていた手に当たり、本当は冷たいはずなのに、ひどく熱いものを与えられたように感じる。
「何でお前が泣くんだよ……。最初は人形みたいに表情変えなかったくせに」
「貴方のせいです。貴方が私の知らないものをたくさん見せてくれるから……」
被衣の隙間から見えた莉桜は微笑んでいた。
頬をつたう一雫の涙。それは誰もが流すものなのに、まるで宝玉のように輝いていて、政斗の目を奪う。そして、白く美しい顔に刻まれた笑み。
「私は願います。この大和国で、貴方の『誰か』が見つかることを」
「莉桜……」
花の顔かんばせと言えば良いのだろうか。まだ冬の寒さが残る中に、春を告げるように花開く微笑。あどけなく、だが一瞬で心を惹きつけられる顔だった。
「どうか、貴方の心を癒す方が現れますように……」
心から願うように呟いた莉桜。その顔に、政斗は手を伸ばしていた。
周りは大和国の繁栄を表すかのように、笑い、明るい様子で騒いでいる。その喧騒も耳に入らなかった。
あらゆるものを見通す義眼にも、今は莉桜しか映っていない。
空いている方の手で被衣をよけて彼女の頬に触れると、莉桜は小首を傾げながらも、あの優しい微笑のまま政斗を見つめ返してきた。
胸に一つの感情が湧き起こる。以前会った時に感じていた苛立ちなどではない。それよりももっと甘やかで、もっともてあますような感情。
政斗はその思いに突き動かされるように、体を少し傾けた。そして――。
「あ、貴様は雪竹! こんな所で何をやっている!」
周りの空気を全てぶち壊すような怒声に、政斗は慌てて莉桜から身を離した。
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