第25話
咲耶京は他国からも評判の良い都だ。治水工事も行き届いており、水に困ることはまずない。さらに、魔術大国と謳われるだけあって、その方面に関する研究所や、魔術を取り入れた武具の製造所なども多く完備されていた。
だが、広い都の全てが綺麗というわけではない。
大内裏に近い貴族や官吏の住む周辺から、市の広がる中ほど。そして、都の入り口に当たる南部分の一部は賑わいも多く華やかだ。しかし、市の外れや、目の届かない小路の奥に行くと、人の活気は冴えを失い、物乞いや盗賊の住処となっている。
そんな都のはずれで、政斗は最後の魔玉を見つけた。
「これで最後だ」
土に埋められていた玉を掘り出し莉桜に渡すと、彼女はさっと符を使って封じ込めた。薄紅の魔力が符を中心に広がり、桜の文様が浮かび上がると靄を押さえ込む。
政斗の持っている袋には、今ので合計九つの玉が入っている。
最後の玉を封じたことで、黒い靄は全て消え去った。
「これで終わりですね。私の地図にも黒砂はもうありませんから」
「だな。靄も綺麗さっぱりなくなった。お前、よく体力もったな」
純粋に感心して政斗は言った。
莉桜は屋敷の奥で過ごす高位の姫君だ。徒歩での行動などほとんどなく、移動は牛車か何かを使っているから、都の中を歩くのは苦痛ではないかと思っていた。
しかし、彼女を連れ立って二刻ほど歩き回ったが、文句一つ出てこなかった。
「姫巫女の勤めに各行事での舞があるんです。なだらかな動きに見えて、かなり緩急の激しいものもありますからね。それなりに体力はあるつもりですよ」
莉桜は少し自慢するように被衣の下で笑った。堅苦しい屋敷内ではなく、人目を気にしなくて良い場所だからか、この数刻で彼女は表情を崩すことが多くなった。
それを見るのは嬉しい気もするし、何だか面ばゆくもある。
政斗は自分の照れに気づかれぬよう、立ち上がって伸びをすると、近くの飲食街を指差した。
「そろそろ昼餉の時間だし、向こうで休むか」
「政斗の調べたいことは良いのですか?」
莉桜は極自然に政斗の名を呼んだ。市井を歩く上で、敬称づけは目立つ。政斗は小屋を出る前に彼女を呼び捨てにする許可を得、自身も普通に呼ぶように言い聞かせた。
最初こそ苦戦していた莉桜だが、今では違和感もない。
「調べたいこと、つぅか、お前に聞きたいことがあったんだ。この魔玉から感じる力のことでな。食事しながらでも問題ないだろ」
「ええ。それはもちろん」
決まれば早い。政斗は莉桜を連れ立って飲食街へ出ると、道に面して食事場が設けられた店へと入っていった。
莉桜は初めて直に見る市井が珍しいのか、周りに興味津々なのだ。
「とても賑やかですね。それに、このお菓子の形も綺麗」
彼女は目の前においてある花の形をした菓子に目を奪われていた。この姫巫女。実はけっこうな甘党で、菓子には目がないようだ。
そんな甘味もあっさりたいらげながら、政斗は切り出す。
「この魔玉っていうのは、自分の魔術や魔力を中に込められるんだろ? そこからこの魔玉の持ち主を割り出すってことはできないのか?」
符に包まれた玉を差し出していうと、莉桜は首を横に振った。
「魔玉自体は、製造所もあるほど一般的な物です。それに魔術を込めることを生業にしている者もいると聞いたことがあります。それをさらうとなると難しいでしょう」
「お前の古代魔術は、相手を追尾することができるんじゃないのか?」
莉桜は、陽の宮にかけられていた呪詛の相手を調べていたはずだ。
「私ができるのは、術者が直接魔術を行使していた場合です。魔力の流れを辿って相手を見つけることはできます。この魔玉に込められているのは古代魔術ですから、本人を見れば察しもつきますが、相手の手を離れている以上、魔力を追ってもこの魔玉にしか至りません」
お役に立てなくてすみません、と莉桜は謝るが、それだけ相手が上手ということだろう。
都内の呪詛からは術者を探れないようにしておき、陽の宮には直接呪詛をかける。だが、莉桜の追尾を逃れるほどに手馴れていると見える。
あの日襲ってきた男は、それ程に古代魔術を使い慣れているということだ。
(いや……使い慣れてるというよりは)
政斗は右目を押さえた。昨日、再び布で包み直した義眼。あの男は、この目を見て『同類』と言っていた。その言葉が気にかかる。
男と正面から向き合った時、奇妙な類似感を政斗も覚えた。男自体にではなく、男の左腕にだ。
朱色の禍々しい魔力が迸る左手。それは、政斗の右目に近い印象を持たせ、同時に古い記憶を呼び起こした。
もう十年以上も前。この右目を政斗に与えた男の邪気を。
「あ!」
過去の記憶に沈みそうになっていた政斗は、莉桜の上げた短い声に我を取り戻した。
顔を上げれば、彼女は道端で倒れた少年の元へ駆け寄っていく。膝を怪我したのだろう。泣きそうになっている少年に、莉桜は符を差し出して魔術をかけていた。
少量の回復を促す魔術のようだ。薄紅と桜の魔術の陣が広がり、少年の膝を包む。
(ん?)
その時、政斗は小さな引っかかりを覚えた。それはとても大事なことで、解ければ何か閃きそうなのに、引っかかりの正体が掴めない。
(何だ? 俺は今何に気をとられたんだ?)
ただ、莉桜が回復の魔術を使っただけだ。それ以外のことは何もない。
「政斗? どうかしたんですか?」
眉間に皺を寄せて考え込む政斗の前に、怪訝な顔をした莉桜が戻ってきた。この少女の顔を見ても、先程気になったのが何か判別がつかない。
「いや……大したことじゃねぇ。それよりお前、そんなほいほい魔術使って大丈夫か?」
古代魔術は珍しい。ふとしたことがきっかけで、彼女が姫巫女とバレてしまうかもしれない。それを危惧して言ったのだが、莉桜は『大丈夫ですよ』と言ってのけた。
「さっきの子には『怪我が良くなるお守り』と言って符を渡しましたから。それに、小さなことでも何かできるなら……やってみたかったんです」
莉桜は席につき、道を歩いていく人々を優しい顔で見つめた。
親子連れで店を回る家族。贈り物なのか恥ずかしそうに品物を選ぶ恋人達。お小遣いで買い食いでもしているのか、友達と走り回る子供。
「私はずっと屋敷の奥で生きてきました。都の中に出ても、牛車で綺麗なところを回るばかり。この目で見てきたものなど、とても少ないんです」
それはそうだろう。姫巫女ともあろうものが、ほいほいお忍びで市井に出ていては大問題だ。恥を知れ、とどやされるのが関の山。
その点、幸丈は上手く立ち回っているものだ。
「今日、政斗に連れられてたくさんのものを見ました。活気ある咲耶京。その中で笑い合う人達と、嘆く人達。同じ都にいて、こうも差があるとは思いませんでした」
「まあ、光だけじゃ意味がないんだろ。影がなきゃ光の存在は見えない」
呪詛の魔玉を捜す折、莉桜を荒れた場所へも連れて行かなくてはならなかった。最初は政斗が魔玉を見つけ、莉桜のところへ持っていこうとしたのだが、彼女は自分も行くと言って聞かなかったのだ。
そこで見たのは、その日暮らしに困るような家々と、飢餓でやせ細った人。物乞をしなければならない子供に、病にかかっていても薬も買えないような者達だった。
手を差し伸べようとした莉桜を政斗は止めた。彼女一人でできることなど、大勢いる人間にとっては大した意味を持たない。逆に、莉桜が無力さを感じるだけだ。
「今日を境に、私も少し、変わろうと思います。私個人ができることは少なくても、『天照家』という名前ならば、より多くのことができると思うんです」
「……今まで掲げてきた、天照家の役目からは逸脱するんじゃないか?」
土地を守る天照家。都の凶事にも帝の頼みがない限りは動かぬというその姿勢。莉桜がやろうとしていることは、数百年続いたその慣例を破ることだ。
「私、言いましたよね」
被衣を微かに上げて、莉桜は政斗を真っ直ぐに見た。黒曜石のような目は、今までにないぐらい輝きに満ちている。
「人ありての国であり、人ありての土地だと」
政斗は目を細めた。眩い光を、見たこともないほど美しい花を見た時のように。
ぐしゃりと髪をかき上げて、苦笑する。
胸に宿ったのは、小さな痛みだった。
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