第24話

 ガヤガヤと人のさざめきが聞こえて、莉桜は重い瞼をゆっくりと引き上げた。

 最初に映ったのは小さな障子戸。それから狭い土間と、お世辞にも綺麗とは言えない板張りの床だった。

 起き上がろうと手を突けば、固まりきった餅のような感触の布団がある。ぼんやりしたままの頭で体を起こすと、煤に汚れた衣が肩から滑り落ちた。


「そっか、私、昨日……」


 障子戸からは明るい日差しが入ってくる。


 昨日、政斗に頼んで都の中へと連れてきてもらった。だが夜も遅いということで、彼が旅の途中に見つけた貸家に入ったのだ。

 莉桜から見れば粗末な小屋。それでも、囲炉裏や水場など、人が生活している温もりがあちらこちらにある。


 覚醒してきた頭を働かせて、莉桜は左右を見回した。

 効きは悪いが、水と発熱する葉が入った暖房器具もある。囲炉裏には火が起こしてあり、上に乗せられた鍋には何やら食べ物が入っていた。だが、肝心の彼の姿がない。


 布団を莉桜に渡し、壁に寄りかかって眠ったはずの政斗。

 どこに行ったのだろう、と少し不安になって布団を引き上げると、がらりと障子戸が開いた。反射的に身を竦めた莉桜の前に、件の彼が姿を現す。


「ああ、起きたのか」


 そう言うやいなや、彼は持っていた風呂敷包みを放ってまた出ていこうとする。


「あ、あの!」

「着替えだ。市井を歩くのにお前の格好じゃ無理だからな。着替え終わったら声をかけてくれ、外にいる」


 返事をする前に政斗は出て行った。ノロノロと膝を進めて風呂敷を開けると、中には小袖こそでひとえうちきが一枚ずつ。さらに町中を歩くためにだろう、頭にかぶり顔を隠す被衣かづきがあった。

 他にも、小袖の下に着る衣と、おそらく足に履く物。両方、西側の大陸から入ってきた服と靴という物だろう。


 莉桜はそれをしげしげと眺めてから、慌てて着替え始める。春近いと言っても早朝は寒い。政斗を外で長々と待たせるのは気が引ける。

 一人で身だしなみを整えることはほとんどなかったが、知識としては分かっている。悪戦苦闘しながらも、何とか様になるように身につけた。


「あの、着替え終わりました」


 声をかけると、政斗は入ってきてすぐに溜息をついた。


「衿が崩れてんぞ」


 そう言って手早く直される。自分の生活力のなさを指摘されたような気がして、莉桜は羞恥に頬を染めた。


 それには気づかぬ振りをしてくれているのか、政斗はさっさと板間に上る。


「まず腹ごしらえしてからだ。お前の家みたいに豪華な物は出せねぇが、文句は言うなよ」

「言いません!」


 莉桜とて状況ぐらい分かっている。子供扱いされたような気がして言い返せば、彼は面白そうに笑って鍋の中の物を差し出した。

 米と卵と鶏肉と葱が入った雑炊だ。良い香りに食欲が刺激され、我知らずお腹が鳴る。割りあい静かだった家の中には良く響いて、政斗が噴き出した。


「雪竹様!」

「悪い悪い。叩くなって! お前、本性は本当に乱暴だな」

「こういう時、殿方は気づかぬ振りをするものです!」

「俺に貴族の嗜みを求めんな。んなもん、一番縁遠いんだからよ」


 特に気分を害した風もなく、政斗は雑炊をかきこんでいった。作法がどうこうと言う前に、この豪快さは気持ちが良いぐらいだ。

 莉桜も渡された箸と椀を見つめ、少し冷ましながらすすってみる。


「美味しい……」


 口の中には何とも言えない味が広がった。薄味だが出汁がしっかりしているのか物足りなさは覚えない。卵のとろりとした感じや、葱のシャキシャキ感がとてもあっている。


「すごく美味しいです。これ、貴方が?」

「まあな。旅を続けてりゃ自炊する以外にないしよ。かと言って不味いもん食い続けるっていうのも何か嫌だからな。試行錯誤してる内に料理もできるようになった」


 さらりと言ってのけるが、旅というのはそう生易しいものではない。

 街道が安全であるという保障はなく。今も盗賊や山賊の横行は当たり前だ。場合によっては町や村の距離が遠すぎて、野宿ということも多々あるだろう。

 政斗は腕っ節が強いから路銀はそれで稼ぐとしても、楽な暮らしではない。


「どうして、旅を続けるんですか?」


 政斗の手がピタリと止まった。

 単純な疑問だった。政斗ほどの腕があれば、大和国でなくとも、どこかの武官にはなれただろう。その方が生活も安定するし、わざわざ苦しい旅を続けなくても良かったはずだ。

 しばらく止まっていた政斗は、何か切り替えるようにまた手を動かした。


「一所に留まるのは、嫌いなんだ」


 ポツリと吐き出された言葉に、これ以上聞くなと言われた気がした。

 莉桜は口を閉じ、あらためて雑炊を喉に通していく。

 雑炊はこんなにも温かいのに、なぜか、政斗の心に冷たく悲しい何かを見た気がした。

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