第21話
「うっ……」
突然、巨大な爆発音と共に部屋中を巻き込んだ熱風。それに煽られた莉桜は、文机に打ちつけた体を何とか引き起こした。
「いったい、何が……」
爆発が起こる寸前、魔力が膨れ上がったのは分かった。それは、屋敷の上空にある呪詛を作り出すものと同じ魔力だ。
だが気づいた時にはもう爆風に煽られていた。陽の宮の各部屋には防御の魔術を張っているからこれだけですんでいるが、赤々と燃える外を見れば魔術の規模は自ずと知れる。
「何者です! ここをどこだとっ、きゃあ!」
「紗雪!?」
廊下に控えていた紗雪が、悲鳴と共に飛び込んできた。御簾を巻き込み倒れ込んでくる彼女の胸からは、赤い飛沫が舞っている。
「紗雪っ、紗雪しっかり!」
「莉桜様……お逃げ、くださっ」
「喋ってはダメよ。気をしっかり持って!」
白の小袖が、紅色に染まっていく。莉桜は慌てて護符を取り出し、回復用の魔術を使って胸に貼りつけた。応急処置でしかないが、しないよりはましだろう。
「ご無事ですか!? 姫巫女さ……っ!」
数人の女房が主の無事を確かめに部屋へと入ってくる。途端、その光景に息を呑んだ。
血に濡れた紗雪を抱える莉桜。そして、その莉桜の前に立っている謎の人物。
暗部が着るような動きやすく体にそった衣。顔は布で覆われ、見えるのは炎に揺れ、さらにギラつきを増した両眼のみ。おそらく男だろうその人物の手には、紗雪の血がついた太刀が握られていた。
「貴女達、紗雪を連れて避難なさい」
「な、何を! それならば姫巫女様を!」
「良いから行きなさい! ……この者を押さえられるのは、私だけです」
莉桜の言葉に、男が笑うように目を歪めた。それを見た女房達は、ヒッと息を呑み紗雪の体を受け取る。
「紗雪を頼みます」
「は、はい! すぐに兵をこちらにっ、
バタバタと去っていく女房達を、男は見ることすらなかった。ただジッと、莉桜だけに注意を払っている。
兵と父。どちらにしろ、ここにくるのは困難だろう。炎はこの部屋を囲うように蠢いているはずだ。
「……貴方が呪詛を仕掛けてきた方ですね。東宮派、とお呼びしても?」
相手との距離を測りながら、すぐにでも魔術が発動できるよう扇を取り出し力を込める。
呪詛と爆発。相手も二つの魔術を使うことから、現代魔術ではなく古代魔術の使い手だと推測できる。構成を編む時間が必要な以上、攻撃してくるまでには時間がかかるはずだ。
「東宮派……それが正解でもあり不正解でもあるな。お会いできて光栄だ。姫巫女様」
からかうような口調で男は言う。お辞儀する姿も、どこか演技じみた仰々しい物だった。
「何が目的です? 私を廃し、藤郷家にいるという、天照家の血を組む者を入れることですか? 天照家をも乗っ取り、それ程にこの国を支配したいと?」
莉桜は真っ直ぐに立った。決して推し負けぬように。決して、胸の内にある恐怖も、怯えも悟られぬように。
天照家の血を継ぐ者として、この地を守り続けてきた者として、強く相手を睨みつけた。
だが、男はその姿すら一笑した。笑みを見せたかと思うと、声を上げて炎に吼える。
「ははははは! この国を支配する? ははっ、そうだな。それもまた過程ではあるさ」
「……過程?」
「くくっ、そう。望むのはその先。人も、国も、守りがなくなれば儚いものだ。さて、ではこの国を守っているのはなんだ? 兵か? 帝か? 大和家か? いいや、どれも違う。この国を守るのは、この国の基盤となる土地そのものだ」
「……この国の土地……っ! 貴方まさか!」
男の言わんとしていることに気づいて、莉桜は戦慄した。
大和国を発展させてきたのは大和家だ。彼らが国を開き、人を導き、そして絆を創り上げてここまでの大きさにしてきた。
だが、その国が立つ土地はどうだ?
豊かな自然を保ち続け、度を越した災害を防ぎ、陽の神に祈りを捧げ、そして、この土地の意をくみ上げてきたのは――
「そう、天照家は土地を守る者。代々この地の意志を感じ取り、流れを調整し、陽の神に祈りを捧げ、その豊かさと栄光を保ち続けてきた一族。なら、その血が耐えればどうなる? 薄くなれば?」
すぐとは言わない。だが、今より衰えるのは必至。
「多少の衰えでかまわない。この地に住む者に不満と不安が根づけば、自ずと争いは生まれ、国も土地も自滅する。きっかけは些細なもので良い。病や、盗賊などな」
莉桜は唇を噛んだ。
都内の呪詛もこの男がやったのだ。
呪詛のせいで、民の間には病が流行り、盗賊の横行があったそうだ。それを改善できなければ帝、ひいては国自体に不平不満が積もる。
大和家に不満が出れば、天照家を支持する者も出てくるだろう。国を二分する権力者同士の争いが起こりかねない。
他にも、今莉桜が消えれば、藤郷家が天照の血を持つ姫を推す。藤郷家の力は絶大だ。止められる者は少ない。
そして、いつしか全てを牛耳る藤郷家に不満を抱く者が現れる。人は誰かを妬むものだ。憎むまい、傷つけまいと思っていても、心の奥底にあるわだかまりは消えない。
反発する心が火種を生み。火種が育てば争いは大きくなる。
止めようと思った時には、手遅れなほどに。
「なぜ、そんなことを……何が望みですか!」
叫ぶと同時に、莉桜の魔力が膨れ上がる。辺りを取り巻いていた炎が、魔力に押され外側へと広がった。
「何も……しいて言うなら、この力を貰ったお返しといったところか」
まるで遊びに興じるように、男は左腕を見ながら楽しげな声で言った。
「お返し?」
疑問に眉を顰めた瞬間、男が飛びかかってきた。莉桜は魔術を発動し、結界で男の刃を止める。刃自体に魔術を込めているのだろう。少しずつ莉桜の結界に食い込んできた。
「大したことをせずとも、この国は潰れるかと思いました。だが、貴女は別ですね姫巫女」
「くっ!」
押してくる魔術は強い。この屋敷に放っていた呪詛の力すら取り込んでいるのか、次第に力を増している。
「お父上と同じ古代魔術の使い手。だが、お父上のように古い格式に捕らわれすぎない。よもや帝の頼みなく咲耶京の呪詛を消されるとは意外でしたよ」
(咲耶京の呪詛っ、あの魔玉のことを言ってるんだわ!)
あの呪詛を見つけたのは政斗だ。しかし、この国で呪詛の存在を感知できるのは天照家だけだとこの男は思っている。
だから、呪詛を消す莉桜を目障りだと、早々に消すべきだと判断したのだ。
「貴方の美しさは惜しいですが……消えてください」
男が布の下で言うが早いか、結界と刃の魔術が相殺した。莉桜はできる限り後ろに下がりながらすぐに次の魔術を準備する。
相手もまた古代魔術の使い手。同じように、発動するには何かしらの道具を用いて構成を編む時間がかかると判断したからだ。しかし、莉桜の目には予想外のものが映った。
「そんな!」
男の左手に、まったくの時間差なく発動される炎の魔術。その手には、何の道具もない。
突き出される左手に、庇う余裕すらなかった。熱気と共に視界いっぱいに赤い魔物が当たる。そう、頭のどこかが冷静に判断した刹那――
「っ!」
一陣の風が吹いた。
男の顔が驚愕に彩られる。そして、莉桜にぶつけるはずだった魔術を右方向に放ったのだ。
そこにいたのは、炎を突き破ってきた政斗。
「貴様!」
「邪魔だ!」
男の放った魔術に向かって政斗が刀を抜く。次の瞬間、魔術の炎は真っ二つに斬られ消滅した。そのまま、一気に間合いをつめた政斗が男に向かって刀を振り下ろす。
炎に炙られた刀身は、男の右肩を浅く切った。
飛び退る男から莉桜を守るように、政斗は前に立ちはだかる。
「雪竹様……」
呆然と名を呼んだ莉桜にかまわず、政斗は相手を睨みつけていた。放心していた莉桜は気づく。政斗の右目が布に覆われていない。奇怪な義眼がさらされている。
初めて見る彼の右目は、どこか呪詛と同じような、禍々しさすら感じた。
「てめぇ、何者だ? 俺が予想してた人物とずいぶん太刀筋も動きも違うな」
「それはこちらの台詞だな……まさかただの旅人上がりと思っていた奴が、この私と同類とは。なるほど……咲耶京の呪詛を見抜いたのはその目か」
「同類……だと?」
政斗は嫌悪を顕にするが、男は楽しそうに笑ったようだった。そして、再び左手に魔術を発動させる。やはり、何か道具を持っているようには見えない。
「兵も来たようだな。分が悪い」
炎に阻まれ立ち往生しているようだが、側まで来ているのは声で分かる。
「今日は退かせてもらう」
言って、男は魔術を床に叩きつけた。辺り一面を赤い炎が包み込む。
莉桜は袖で顔を覆い、その上から政斗が庇うように抱きしめてきた。
どれぐらいの時間が経ったのか。おそらくは瞬き数回の時間だろう。莉桜が目を開けた時、襲撃者の姿はなく、周りの炎が爆ぜる音と、消火する兵の声だけがあった。
「怪我はないか?」
「え、ええ……」
政斗の問いに答え、改めて辺りを見回す。
消火作業は行われているが、間に合っていないのだろう。部屋の中にまで赤い生き物は進行してきている。
「ちっ、火の回りが早いな。あんた水の魔術ぐらいは使えるよな? 俺が火の弱い部分を探すからそこに向かって……」
「いえ、それよりも庭に出て、右手にある大岩のところへ行ってください」
「庭?」
「そこに隠し通路があります。もしもの時のために、この敷地内にはいくつかそういった場所があるんです」
水の魔術も使えるが、こう火災が大きくてはすぐに阻まれるだろう。より力を込めた巨大な魔術は、力を練るにも、構成を編むにも時間がかかる。
今自分が死ぬわけにはいかない。敵を直に見た以上、そして、相手の目的を聞いた以上、天照家の姫巫女として、莉桜という人間としてやるべきことがある。
「……分かった。んじゃ行くぞ」
「は、はい。って、きゃあ!」
莉桜が頷いた途端、政斗は軽々とその体を担ぎ上げた。所謂、俵担ぎで。
視界が反転し、莉桜は抗議の意味もこめて彼の背中を叩く。
「ちょ、ちょっと、下ろしてください! 自分で歩けます!」
「お前は遅いんだよ。暴れると落とすぞ」
「だ、だからってこんな持ち方!」
バシバシと背中を叩いてみるが、鍛えてある彼には大した痛みもないのだろう。人一人を担いでいるとは思えない素早さで炎の間を縫っていく。
「あ? ああ……姫抱きの方が良かったか? お前意外に夢見て……ぐっ!」
「そんなこと言ってません!」
「てめぇ、肘で叩くな! 本気で落とすぞ乱暴姫!」
「何ですって!」
そんなやり取りをしながら、隠し通路である大岩へと向かっていく。
あんまりな口の利き方と扱い方に、莉桜はむくれながら心の中で思った。
(貴方が来てホッとしただなんて、絶対言ってあげません!)
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