第20話

 外に出ると、政斗は辺りを見渡した。砕も幸丈についていったのだろう。姿が見当たらないため、自分の右目を頼りに兵をやり過ごしながら彼らを探す。

 と、広大な庭の一角に立ち止まっている幸丈を見つけた。

 足下で華那がどうしたものかとグルグル回っている。


「おい、そこのヤサグレ親王」

「誰がヤサグレだ……」


 返す言葉に覇気はない。自分の言ったことを後悔して落ち込んでいるらしい。


「あのな、落ち込むぐらいなら最初から言うなよ」

「しょうがねぇだろ。あの時は本当に頭にきたんだ……天照家と大和家が交わした盟約は分かってる。けど……」


 自分の心の中で折り合いがつかないのか、幸丈は複雑な顔をしたままだ。

 政斗もまた、その苛立ちが伝染したかのようにガシガシと頭を掻く。


(あ~もう、めんどくせぇな……)


 正直、政斗にとっては国だろうが土地だろうが関係ない。もっと言えば、この国の民がどうなろうと知ったことではないのだ。

 大和国出身というわけでもなく、愛着があるわけでもない。ただ旅の途中に立ち寄って、ひょんなことから牢に入れられて、そこから自由になるために請けた仕事だ。


 ただ、それだけだ。なのに――


「お前が国を思ってるのは分かった。あいつが呪詛のことを黙っていたことで、民に被害が出てる可能性もある。それも分かった。けどな、それであの姫さんが何も感じてないと本当に思ってるのか?」


 問いかけると、幸丈は予想通り猛然と振り返った。


「んなわけあるか! 莉桜はな、確かに表情もほとんど変えねぇし、言葉にすることも少ないけど優しい奴だ! ちっせぇ時からこの国が好きだって言ってた! 呪詛がかけられてるのが分かってて、何も思わねぇような人でなしじゃねぇ!」


 政斗に掴みかからんばかりに怒鳴った幸丈は、一拍おいて、ハッとしたように体の力を抜いた。


「分かってんじゃねぇか……あの姫さん、自分の爪で掌を傷つけてたぞ」

「…………そっか」


 幸丈にだって分かっていたのだ。莉桜が国の凶事に何も感じていないなどあり得ないということを。それでも、天照家に縛られて動けないでいることを。


 家の名は重い。特に帝と地位を二分する天照家ならなお重いだろう。

 身勝手な振る舞いは家人に示しがつかず、少しでも気を抜けば自分達の失脚を望む者達につけいられる。

 そういった事情は、政斗より幸丈の方が分かるはずだ。


 神妙な顔をして俯く幸丈の頭を後ろから叩いてやる。つんのめった彼は、驚いたように政斗を見上げた。


「お前も人のことは言えねぇな。自分のできることを最大限してるわけじゃねぇし」

「なっ!」

「分かってんだろ。自分の思うことを実現したきゃ、それなりに力も、頭も、権力もいるってな。分かってんのに、『国に不和を起こしたくない』って言葉を盾にして留まってるのはどこの誰だ?」


 反論しようとしていた幸丈は、政斗の言葉を聞いてグッと詰まった。

 彼は大和国を、そこに生きる民を愛している。大和国にはどんな問題も起こしたくないと思っている。ましてその問題の中心に、自分がいることなどあってはならないと考えている。

 だから、幸丈は望まないのだ。自らが国の頂点に立つことを。

 それでは、守れるものが限られてくると分かっているのに。


「てめぇ自身が殻を破ってねぇのに、相手に籠から出てこいと言ってんじゃねぇよ」


 東宮自身が関わっていなくても、東宮派はこの国を掌握するために今後も動くだろう。

 それが大和国にとって良いことなのか悪いことなのか、政斗には判断できない。

 ただ、まだよく知らない東宮やその家族が上に立つよりは、この目の前にいる、国を愛している青年が上に立つ方がよっぽどマシと思えた。

 通りすがりの旅人である自分が、気づいたら発破をかけるぐらいなのだから。


「……お前、妙に莉桜のこと庇うな。惚れたのか?」

「…………はぁ?」


 意志を固めるように黙っていたかと思うと、幸丈はどこから掘り出したのか分からない言葉を口にした。

 予想もしていなかった上に突拍子もなくて、政斗はマヌケな声しか出てこない。


「莉桜は美人だしな。別に驚かねぇぞ。身分差はまあ、どうしようもないけど、莉桜も別にお前を嫌ってるって風でもないし。いや、興味はかなり持ってるよな」

「ちょ、ちょっと待て。何で今の話でそういう発想に至るんだ!」

「だってさっきから莉桜の肩ばっかもつじゃねぇか」

「おまっ……そういうオチか? そこに持っていくのか!? 真剣に言葉をかけてやった俺の時間返しやがれ! 俺がお前にちょっと寄せた期待やら何やらを今すぐ返せ!」

「何わけの分かんねぇこと言ってんだよ。前から思ってたけどお前怒りっぽいな。小魚ちゃんと食べてるか?」

「~~~~っ!」


 本気で殴ろう。親王だろうが何だろうが、本気で殴って沈めてやろう。そう思って拳を振り上げた政斗を、一瞬で現れた砕が羽交い絞めにする。


「放せ砕! 殴る!」

「それは許可できん。あの人はあれでもオレの主だ」


 バタバタと暴れて怒る政斗などどこ吹く風。幸丈は心配そうに見上げていた華那をなでて、手近な枝を触りながら小さく口を開いた。


「今の言葉は、心に留めとく。時期が来たら……」


 ザアッと吹いた風に、『ちゃんと考える』と、しっかりした声が混じった。

 動きを止めた政斗に、幸丈は少し照れたような顔を返した。後ろにいる砕も、足下の華那も満足そうな顔をしている。

 政斗は、ふっと一つ息をついた。


「莉桜にはちゃんと謝るよ。で、一緒に良い方法を考えるさ」

「そうしろ。あの姫さんも思うところはあ…………痛っ!」


 突然、右目が疼いた。一つ鋭い痛みがきたかと思うと、目から耳、脳へと痛みが伝染して立っていられなくなる。


「おい、政斗!」

『どうしたの!?』


 駆け寄ってくる二人に答えぬまま、政斗は膝をついた形で空を見上げた。異変を察したのだろうか、庭にいた鳥達が一斉に飛び立っていく。


(何だこれっ、この感じは魔力か!?)


 痛みがひどい。右目が反応するのはこの世ならぬものか、魔力や魔術だ。

 鳥の群れが横切った空。視界が空けたそこに、政斗は例の黒い靄を見た。そして――


「あれはっ」


 息を呑んだ瞬間、黒い靄の中に魔術の陣が現れた。


 朱色の彼岸花を基調とした陣。だが今までのものと規模が違う。信秀の手から出たような小さいものではない。今見えているのは、屋敷を覆わんばかりに巨大だ。

 と、その陣が一瞬発光した。右目が感知した魔力の多さと凝縮された力に、政斗は戦慄し、幸丈の頭を掴む。


「伏せろっ!」


 刹那、爆音と爆風が辺りを揺るがした。

 華那が転がり、政斗も幸丈を押さえたまま熱風に耐える。

 耳鳴りのような余韻が消えた時、目の前に明るい赤がはじけ、陽の宮の兵達が騒ぐ声が響き始めた。


「な、何が起こったんだ!?」

『幸丈様っ、お屋敷が!』


 華那が吼えるように言い、政斗もそちらへ目を向ける。そして、絶句した。

 陽の宮の屋敷が、炎に包まれている。


「莉桜!」


 走り出そうとした幸丈を、政斗は咄嗟に止めた。そのまま砕に投げつけるように引渡し、内裏の方を指さしながら走る。


「お前らは内裏へ戻れ、姫さんとこには俺が行く!」

「政斗!」

「この状況で、梅花殿にいるはずのお前がここにいたら怪しいだろうがっ。何よりお前は親王だ。戻って、もし兵達が上手く起動してなかったら指示を出せ! 役目を考えろ!」


 それ以上は言葉を続けず、政斗は屋敷に向かう。彼らがどうしたかは分からないが、状況を理解できないような頭は持っていないはずだ。

 兵達は消火作業と救出に追われているのか、政斗を引き止める者はいない。

 これ幸いとばかりに、莉桜の居室までの最短距離を進む。


「当面は大丈夫じゃなかったのかよ!」


 炎は奥に進むごとに激しくなる。おそらく、莉桜のいた辺りが中心だろう。

 昨夜、信秀が見せた彼岸花の魔術の陣。同じ炎の魔術だが、今回の術は威力が違いすぎる。行く手を遮る赤い生き物が煩わしい。


 政斗は右目を覆う布を剥ぎ取った。現れたのは、言いようのない光を放った義眼。揺らめく色は炎をあびてさらにその妖艶さを増し、中央にある黒の瞳だけが妙に存在感を放っている。


 近くで見れば気づくだろう。その黒は球体ではなく、黒百合を模していると。

 こめかみからは二本の管が出ており、それぞれが脳と耳の奥に繋がっている。人というよりは、壊れて中身がむき出しになった機械人形。政斗の右目はそんな風に見えた。


 だが、そんな右目も役立つ。炎の状況、割合薄い部分も見抜くことはできるのだ。

 布を取ったことによって、いつもより鮮明に辺りの詳細が分かる。風の流れ、それに煽られる炎の動き。燃える勢い。消火作業に動き回る人の位置。


 その中で、政斗は莉桜と思わしき気配を感じた。彼女の居室。その側にはもう一人女の気配。おそらく乳姉妹の紗雪だろう。そして、彼女達を前に刃を携える人間――


「っ、こいつか!」


 政斗は魔力を足に纏い、炎を突っ切るようにして走り出す。

 莉桜達の前にいる人間。そいつからは、あの朱色の魔力が湧き出していた。

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