第19話
幸丈の気配は、すぐに感じられなくなった。
莉桜が唇を軽くかみしめると、残された政斗も腰を浮かしかけ、だが先程から一切動かないのを訝しんだのか振り返ってきた。
「……この玉を持ってきたことで市の靄は晴れた。もう大丈夫と踏んで良いのか?」
「ええ、問題ありません。それと袋はお持ち帰りになってください。これは破魔の術を込めた糸で縫ってあります。それに入れていたから、貴方に呪詛は利かなかったのでしょう」
もし普通の袋に入れていたら今頃、政斗も呪詛の餌食になって凶事に見舞われていただろう。運が良かったのだ、彼は。
「分かった。それと一つだけ聞きたい。現代の魔術を使う人間が、古代魔術を使うことはあるか? その逆でも良い」
問われて、莉桜は力なく頭を振った。
「ないとは言い切れません。現代の魔術はその人の持つ一種の才です。それが魔術という形をとったと思って下されば分かりやすいでしょう。だからこそ、現代の魔術はその人に見合った形で発動します」
陽の神に仕える神官や巫女の家系の者には、回復や解呪、浄化や解毒といった魔術を持つ者が多い。対して、代々武人を輩出する家は、攻撃や防御に優れた魔術を持つ者が多い。
魔力自体も遺伝や才能だが、魔術そのものもまたその人間の個性によって変化するのだ。
「逆に、古代魔術は魔力を古の法則にのっとり魔術へと昇華させるものです。無論、術者によって個々の特徴は出ますけど」
「古代魔術にも個性があるのか?」
首をひねる政斗に、莉桜は一つ頷いた。
「家々で伝わる法則が違うでしょうから。それに、魔力自体、個々人によって差異が出ます。自分の持つ魔力と、知った法則が合わなければ、古代魔術は発動すらなし得ません。ですが逆に、その条件さえ果たせば、魔力を持つ者ならば誰でも使えるものです」
「つまり、現代魔術を使える奴は魔力はあるわけだから、法則さえ分かれば古代魔術を使うこともできるってことか?」
「理論的にはそうなります。けれど、古の法則は複雑怪奇です。古書を読んで学んだとしても、独学ではまず覚えることはできないでしょうし、魔力が遺伝によって伝わるものですから、古代魔術もその家系に伝わる法則のものでなくては合わないことが多いかと」
莉桜とて、物心ついた時から古代魔術の修学を始めている。天照家に代々伝わる古代魔術の教本を終えるのでも十年近くかかった。
「私と私の父ですら、同じ術を使っても違いが出ます。そして、古代魔術を得るためか、現代の魔術は発動できません。一度一つの魔術に魔力が馴染むと、他の使い方はなかなか覚えられないようで……」
「つまり、できるかもしれないが、現代魔術と古代魔術、双方を習得する可能性は極めて低いってことか」
政斗は莉桜の説明を頭の中で反芻しているようだった。そしてようやく納得できたのか、符に包まれた魔玉を持って莉桜に近づく。
膝と膝がつくほど近くに来た政斗は、スッと屈んで莉桜と目線を合わせてきた。
やはり、あの夜空のような色をした隻眼に目を奪われる。
「この魔玉からは、ある魔力が感じられる。その魔力の持ち主と言って良いのか分からないが、候補である奴は東宮派の人間だ。気をつけた方が良い」
「ええ……」
「それとな……」
言うと政斗は、持っていた魔玉をぽとりと落とす。反射的に莉桜は手を差し出して受け止めてしまった。
爪が食い込み、赤い血が滲んだ手で。
その手を見た政斗は一瞬だけ眉間に皺を寄せ、持っていた布切れで包んでくれる。
太刀を握っているせいか肉刺があり、荒れていてゴツゴツした手。莉桜の手と比べると握り潰されてしまうのでは、と思えるぐらい大きい。
それでも、布を巻く仕草は優しく、温かかった。
「お前が天照家の矜持や誇りを持ってるのは分かる。同時に、天照家の姫巫女としての立場もあるだろうからな。軽率なことが言えないのはしょうがねぇ。でもな」
布を巻き終わり、政斗はその手を莉桜の頭へと置いた。そして、少し乱暴になでられる。頭をなでられるなんて、もしかしたら初めてかもしれない。
父ですら、してくれた記憶がない。
「幸丈はお前を信じてるし、お前も幸丈には心開いてる。違うか?」
莉桜はまた力なく首を振った。何だか急に目頭が熱くなり、前を向いていられなくなる。
「だったら、本音を溜めこんで自分を傷つける前に、ちゃんと言葉にしろよ。お前に譲れないところがあっても、そこはあいつも理解を示すはずだ」
お茶らけてるが頭は良さそうだからな、と言って、政斗は莉桜の目元に指を当てた。
その指が濡れているのを見て、莉桜は初めて自分が泣いていたことを知る。人前で、しかも政斗の前で涙を零すなんて、と、急に恥ずかしくなった。
「さて、俺はあの親王の御機嫌でも取ってくるが……ここの呪詛は大丈夫なのか? 見たところ、消えたり現れたりしてるみてぇだが」
「私が払ったそばから、また誰かがかけ直すのです。何とか追尾しようと思うのですが、上手くいかなくて……でも、当面は大丈夫です。大した強さではありませんから」
答えに安心したのか、政斗が安堵の表情を見せた。目の前で和らぐ彼の表情に、胸の奥で心の臓が一つ音をたてる。
「なら良いんだ。また来る。とにかく気をつけろよ」
「はい……あの!」
御簾をくぐろうとした政斗を呼び止めた。そして、振り向いた彼に、できるだけ微笑みに近い表情を見せる。上手くできたかは、分からないけれど。
「ありがとう、ございます」
虚をつかれたかのか、一瞬茫然とする政斗。だが、すぐに我を取り戻して『珍しいもんを見さしてもらったよ』と言いのけて部屋を出ていった。
ちょっとした皮肉を込めた言葉。生意気な憎まれ口と言っても良い。それなのに、莉桜に怒りは湧いてこない。
出ざまに見せた政斗の笑み。それが、一つだけでなく、何度も何度も莉桜の胸を打ち鳴らさせていた。
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