第18話
ふと文机の地図を見た莉桜は、驚き、かぶりつくように地図を見まわした。
「右京の市にあった砂が白砂に……どういうこと?」
昨日までは確かに黒砂だった。毎日確認しているのだから、見間違うはずがない。それがどうしたことか、一晩の内に白砂へと変化している。
未だに右京と左京の一部、そして陽の宮には黒い砂があるが、一番範囲の大きかった市の黒砂は完全に姿を消していた。
「いったい何が……」
「莉桜様、失礼いたします。親王殿下の御一行がまた、参られました。かなり内々のお話ということで、中にお入りあそばしたいと申されているのですが……」
紗雪が御簾の外から声をかけてくる。『また』ということは、政斗も一緒に来ているのだろう。紗雪はまだ彼の態度に怒りが収まらないらしい。
だが今は、『内々の話』に興味が引かれた。もしかしたら、この市の変化に関することかもしれない。
「良いわ。中に入れてさし上げて。それから人払いを。誰も近づけては駄目よ」
莉桜の言葉に従い、ほどなく幸丈と政斗が中に入ってきた。砕の姿が見えないのはいつものことだし、華那は御簾の外で見張り役を買って出たらしい。
「ようこそ。何のおもてなしの用意もないのですけれど、お許しくださいね」
「良いよ。不法侵入してるのはオレ達だしな」
幸丈はそう言ってあっさり下座に座る。そこからさらに下がったところに座ろうとした政斗を、彼は自分の隣に座れと命じた。
旅人ながら作法は知っているのか、政斗は一瞬眉を顰めるも、何度も自分の隣の床を叩く幸丈に根負けして渋々隣に腰を下ろす。
何とも面白い光景に、莉桜は少しだけ表情を緩めた。
この二人、親王と旅人という、身分には天と地ほどの差があるというのに兄弟のようだ。
幸丈には幸時という同い年の兄がいるけれど、それより政斗といる方がしっくりくる。
雰囲気というか、纏う空気が似ているのだろう。飄々として、どこか人を食ったような性格。それでいて、視野が広く、目のつけどころや考えは深く聡明。
「何だ莉桜、オレ達の顔に何かついてるか?」
「いいえ。それで、内々のお話というのは?」
莉桜は考えが悟られないように努めて冷静を装うと、話を切り出した。
幸丈は政斗に視線を向け、彼は莉桜をしばらく見たあと懐から小さな袋を取り出す。
政斗に顔を見られるのはもう慣れた。それに、御簾越しでない方が莉桜も彼の隻眼をよく見られる。
そんな思いを知ってか知らずか、政斗は袋からころりと一つの玉を転がした。その瞬間、部屋中に重い空気がたちこめ、毒霧の中に押し込められたような感覚になる。
「これはっ」
莉桜は素早く符を取り出すと、玉に目がけて投げつけた。扇以外で魔術を使用する時にもちいるものだ。符は生き物のように動き、玉をくるんでしまう。と同時に、重い空気もまた消え去った。
「あ~……莉桜がそれだけ反応するってことは、これは良くないもんなんだな?」
「良くない物どころか、正直最悪です。これは呪術を込めた魔玉ですよ。こんな物をいったいどこで手に入れられたのです!」
「魔玉?」
「時々鉱山で採れる、魔力を伝達したり、閉じ込めたりする鉱物を玉状にしたやつだ。お前の太刀も同じような鉱物だろ」
幸丈の説明に、政斗は腰に佩いている刀を見下ろし頷いた。柄部分が莉桜の知っている普通の刀と異なるから、あれもまた魔巧器なのだろう。
「貴方が見つけられたのですか? 雪竹様」
「ああ。昨日、つっても今日の夜中だが、右京の市での盗賊討伐の折に見つけたもんだ。この屋敷にかかってる靄と同じ靄が市にもかかっててな、その元を辿るとそれがあった」
「黒い靄?」
「あ~……」
そんなもの、どこを見回しても陽の宮には見当たらない。疑問に思って政斗を見れば、彼は唸りながら逡巡したあと、覚悟を決めたように右目の布を押さえた。
「これは魔巧器の義眼だ。魔術とか魔力とか、まあ、その他もろもろ、普通の目には見えないものを見ることができる。この屋敷の上空にも、俺にしか見えない靄があるんだよ」
そういう彼の口調は、ぶっきらぼうに見えてどこか苦しさを帯びている。
莉桜が無言で政斗の右目を見つめていると、彼は視線をそらした。
「で、その靄ってのが今この玉から出てたものと同じらしい」
幸丈は一つ息をつくと、いつもより目を鋭くして莉桜を見た。
「莉桜、お前今、呪術を込めた魔玉って言ったな。それが陽の宮も覆ってる。つまり、この屋敷にも市にも、呪詛がかけられてるってことじゃないのか?」
追及には、少し非難すら込められていた。
「お前が危険な目にあった件も、自分で収束できると言った。そりゃそうだな。こと魔術に関してはお前の右に出る者はいない。まして呪詛ともなれば、解呪はお前かお前の父、もしくは式部省に勤める解呪の魔術を持った者だけだ」
身を乗り出した幸丈に、言いわけは通用しないと思った。彼は聡すぎる。
莉桜は覚悟したように深呼吸すると、幸丈の目を正面から受け止めた。
「その通りです。陽の宮にも、そして市にも呪詛がかけられていました」
莉桜が認めると、幸丈は激高を押さえるかのように拳を握り、唇を噛んだ。
「何で言わなかった! 陽の宮のことも、市のこともだ! 陽の宮のことはどうにかできても、都内のことはお前一人じゃどうにもできないだろうっ。これは国の存亡に関わることだぞ! 見て見ぬ振りをするつもりだったのか!?」
苛烈な追及に、莉桜は袖の下で拳を握った。つられてはならない。
「そんなつもりはありません。ですが、国のことに関して、天照家は大和家が頼みに来るまで動かぬ約束。帝からのお申し入れがない限り、我々から働きかけることは、今までの歴史でもありませんでした」
幸丈とは反対に、莉桜は淡々と返した。だが、それがさらに彼の機嫌を損ねたらしい。いきなり立ち上がったかと思うと、彼は無言で身を翻した。
「おい、幸丈!」
いつの間にか、名前で呼ぶ仲になっている政斗が引きとめようと声をかける。だが、幸丈は歩みを止めただけで、振り向くことはしなかった。
「悪いが今日は帰る。この状態じゃ、冷静に話し合いなんてできそうにない。頭を冷やして、後日また来る」
苦しげに言われた言葉は、どこか落胆した色を乗せている。
幸丈は、最後にそう言って御簾をくぐった。
「お前は、今までの天照家とは違うと思ってたんだ……」
外にいた華那が、困惑したように去っていく主と部屋の中を見ている。だが役目を思い出したのか、慌てて幸丈を追った。
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