第17話

 次の日、仮眠を取って戦衛府の訓練に参加していた政斗は、未の刻になってから例によって幸丈の呼び出しにより梅花殿に向かっていた。

 莉桜と会って以来、政斗は定期的に砕と一緒に陽の宮へと行っている。砕は身を隠して行くための魔術係で、政斗は右目で異常がないかを確認するためだ。

 その報告もまた、定期的に幸丈にしている。


 といっても、例の黒い靄が消えたり現れたりしている以外、特に異常はない。

 他の報告といえば、莉桜が訪ねれば自分から御簾の外に出てくるようになったとか、幸丈と同じように旅の話を聞きたがるとか、時折、政斗の右目を見ては何か言いたそうにする、ぐらいのものだ。

 だがこの日、梅花殿を訪れた政斗には一つ、幸丈に聞きたいことがあった。


「はぁ? 藤郷信秀が古代魔術の使い手かどうかって?」


 政斗の質問を聞いた幸丈は、目を何度も瞬かせた。そして、思い出すように首を傾けうんうんと唸る。


「聞いたことはないな。ただの魔術の使い手で、それが戦衛府向きっていうのは入隊試験の折に評判になったけど。何でそんなこと聞くんだ?」

「昨日、仕事の時に一緒だったんだが。あいつ、敵の魔術を防いだんだ」


 幸丈もまた政斗の言いたいことは分かったらしい。

 信秀の魔術は風の刃。現代魔術は一人一つの特殊能力を持つことだから、二つ目に防御魔術を使えることはおかしい。


「で、その時あいつの手から、陽の宮の塀に描かれてるのに似た魔術の陣が現れた」

「その魔術の陣てのはお前にしか見えないから、何とも言えないが……」

『あたし、その噂聞いたことありますよ』


 声を上げたのは、幸丈の隣で寝そべっていた狼型の華那だった。

 親王の護衛という重要な役目を担っている華那だが、女房以外の女人が常に幸丈の側に侍っているのは体裁が悪いらしく、梅花殿ではほぼ狼の姿で過ごしているという。


『暗部では念のため、あらゆる人間の詳細を調べますから。その中で一時、藤郷信秀のことも噂になってました』

「狼娘は近衛府所属だろ?」

『表向きはね。暗部は存在だけが知られている部隊だし。兵部省お抱えってなってるけど、実際動かす権利があるのは主上ぐらいよ』


 暗部というのは、正式名称・暗殺部隊のことだ。兵部省の一部に名を連ねているが、そこに誰が属しているのか、そしてどんな仕事を行っているかを知っているのは、帝を含めたごく一部だけ。砕はこの部隊に正式に身をおいている。

 華那も、表向きは兵部省近衛府親王付きとなっているが、実際は暗殺部隊所属らしい。


「帝直系の一族は、代々、暗殺部隊に所属している奴に守られてる。オレでいえば砕や華那だな。でも、オレも暗部の全員を把握してるわけじゃない」

『他の隊員のことは幸丈様にも極秘なの』

「お前、今俺に正体ばらしたけど良いのか?」


 砕は最初の出会いから推測はできていたので驚かない。だが、華那はてっきり本当に近衛府所属だと思っていたのだ。

 念のため聞いてみると、彼女は狼の姿ながらニヤッと笑ったように見えた。


『ここまで聞いちゃったら、もう逃げられないでしょ?』

「飼い犬が主人に似るのはよく分かった」

『誰が犬よ!!』

「はいはい、華那も落ち着けって。で、その暗部が知ってる信秀の情報ってのは?」


 主である幸丈に宥められて、今にも飛びかかりそうだった華那は態勢を戻した。

 情報に守秘義務はないのか、と問いたくなるが、砕も華那も上役よりは幸丈に重きをおいているのだろう。


『数回ですけど、防御、攻撃、双方の魔術を使ったことがあるそうです。でも実際暗部が集めた情報では、彼は現代魔術しか使えないはずだから、側にいた誰かがやったんじゃないか、ってことでうやむやになってますけど』

「つまり、暗部の情報にも引っかかりはあったってことか……あの家人はどうだ?」


 信秀は普段、以前一緒に会ったあの松木恒明という、魔術府に所属している男と行動を共にしている。それを加味するなら、攻撃か防御、どちらかが恒明の魔術であったと考えられる。


『松木恒明のこと? あいつは回復魔術しか使えないって報告よ。ほら、あんたが御前試合で相手を沈めた時も、あいつが真っ先に駆け寄ってったでしょ』

「ああ、あの時の」


 姿は見ていないが、確かに慌てて信秀の側に駆け寄った男がいた。


「それに、昨日はあいつの側に誰もいなかったんだろ? なら、やっぱりその魔術は藤郷信秀のものじゃないのか?」

「そうなんだが……じゃあお前、これに見覚えはないか?」


 言葉を濁しながら、政斗は懐から袋を取り出した。そして、昨日市で拾った黒い玉を幸丈の眼前に転がす。

 黒い靄が、梅花殿の母屋に広がった。


「…………正直に言って良いか?」

「あ?」

「すっげえ気分悪ぃ……」


 玉を見た瞬間、幸丈は顔を青くして口元を押さえた。政斗は玉を慌てて袋に戻し、懐の奥深くにしまいこむ。見れば、華那も鼻を両手で押さえて臥せっていた。


『何かすっごい嫌な臭いした! あたしこの状態だと嗅覚が発達するのよ……何今の』

「市で拾った物だ。この玉からは俺にしか見えない黒い靄が出てて、昨日信秀から感じた魔力と同じ気配が少しする……で、これから出る靄を、俺は陽の宮の上空でも見てる」


 簡潔な説明に、二人は顔を見合わせた。そして、幸丈は衿元を崩して大きく深呼吸をする。悪くなった気分を早々に戻したいらしい。


「砕、いるな」

「御前に」


 幸丈の呼びかけに、砕はすぐさま天井から姿を現した。それも、政斗以外の者が見れば突然現れたように見えただろう。

 茵から立ち上がった幸丈の元に、華那が寒くないよう上掛けの袍を持ってくる。


「莉桜のところへ行こう。魔術の知識に関してはあいつの専売特許だ。見えないものを見たお前の目の情報と、莉桜の知識が合わされば糸が繋がるかもしれない」


 確かに、古代魔術に不得手な者が集まって相談したところで、憶測以外の答えは浮かばない。

 政斗は幸丈に従い、陽の宮へと足を向けた。

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