第三幕
第16話
夜も更けた丑の三刻。魑魅魍魎や人ならざるものが横行するこの時間に、政斗は士郎と共に右京の市場へと足を運んでいた。
正確には、その市場にある建物の屋根の上にいた。
「何でこの時間なんだ。よりにもよってどうしてこの時間なんだ。この時間は俺が逢魔ヶ時と同じくらい嫌いな時間なんだ。くそ、ここにも黒い靄がうじゃうじゃうじゃうじゃ」
右京の上空にも、莉桜の屋敷で見た靄がかかっていた。見えない者には良いが、見える政斗には鬱陶しいことこの上ない。しかも、右目は他のこの世ならざる生物も見せる。
(嫌なんだっ、もうあいつらを見るのは……)
士郎に気づかれぬように唇を噛み締め、政斗は死してなおこの世にとどまり続けている者から目をそらした。
「そうは言われましても、例の盗賊の活動時間がこの時間ですし。靄は私には見えませんしね……それより、私はどうして屋根に上られたのか、の方が気になりますが」
ぶつぶつと文句を垂れる政斗の横で、士郎は苦笑を浮かべながら疑問を口にした。
「今日は月がねぇ。下にいても物陰を移動された時に見えにくいんだ。上からだと、鬼灯の明かりでも動く人影と人数、その展開の仕方が分かる。大体な、下でこそこそ見張ってたら、賊も気づくと思うぞ」
この日、政斗がここにいるのは戦衛府の仕事としてだった。
右京の市に度々盗賊が出る。盗まれるのは主に端に片づけてある店の品々だ。民に被害は出ていないが、盗まれた店の店主達が自主的に店を守ろうと騒ぎ出した。
最近この辺りには病に倒れる人も多く、働き手が少なくなっていたことも店主達に焦りを生んだのかもしれない。
民が盗賊とぶつかっては被害が拡大するいっぽうだ。また、市の品巡りが悪くなれば、やがては都の金廻りにも影響が出てくる。
事態を重く見た帝は、正式に戦衛府に賊の始末を命じたのだ。
「はぁ、それはそうなんですが、戦衛府の隊員はそういう風に訓練されてますからね」
上にいる政斗からは、緊張した面持ちで物陰に潜む隊員の姿が見えた。分かりやすい囲いの陣。古くからの兵法に則っている。
「んな教本どおりに事が運ぶかっての」
「しゃ、癪だがっ、ぜぇぜぇ、き、貴様と同じ意見だな!」
突然、後方から息も絶え絶えな声が響いた。
「おや、信秀殿。貴殿もこちらへ? 何やら息が切れておりますが大丈夫ですか?」
政斗は別段驚かなかった。気配は先程から感じていたのだ。
隊服に身を包み、いつもと変わらずいくつか装飾品を腕や首元に下げている。
はぁはぁと息切れした信秀は、士郎の言葉に慌てて息を止め、だがむせて何度も咳きこみ始めた。
それを白い目で見ながら、政斗は口を開く。
「咳を止めろよ。賊に気づかれるぞ。何で上ってくるだけで息切れするんだ」
「げほっ、このとっかかりも何もない建物の三階にひょいひょい上るお前がおかしいんだ! 猿か貴様はっ、もが!」
「黙れっつってんだ。潜んでる意味も分かんねぇのかお前は」
「ずいぶん仲良くなられましたね」
「「なってない!」」
「おや、息がぴったり」
御前試合以来、信秀は何かと政斗に突っかかってくる。『手合わせしろ』だの、『兵法の書でここはこう思う』だの、日夜何かとつきまとわれるのだ。
その様子を、士郎は父親のような面持で眺めているだけで止めもしない。
立場的には信秀より士郎の方が上なのだから、一度注意してもらいたいと思う。
「と、とにかくだ。貴様の戦法は私も考えていた。賊が現れたらここからその動きをつぶさに見張り、下にいる者達に指示を……」
「残念だが、俺がしようとしてるのはそれじゃねぇぞ」
「何? なら……」
信秀が問い返そうとした時、政斗は南側に複数の気配を感じた。隊員はそこまで配置していない。なら、この市へまっすぐ向かってくる集団は間違いなく――
「来ましたか」
士郎もまた顔を上げて南側を見ていた。微量だが音を察知したのだろう。武器をつけているせいか、多少の金属音が聞こえる。
「数は十人もいませんね」
「七人、だな。捕らえる時期はあんたの判断と指揮に任せる」
「分かりました」
「お、おい?」
盗賊の姿はすでに見えるところまで来ている。下にいる隊員達も気づいただろう。彼らには、士郎の指示があるまで動かないよう命じてもらっている。
闇夜を進む集団。それを認めた政斗は、後ろで困惑している信秀の衿を掴んだ。
「せっかく上に来たんだ。手伝え」
「は? って、ちょっと待てぇぇっ!」
有無を言わさず、政斗は信秀と共に飛び下りた。その最中に刀を抜き放ち、盗賊の中心に着地すると同時に一閃する。
短い悲鳴と血飛沫があがり、一人地面へと倒れこんだ。
「何だこいつら!」
「戦衛府か!?」
突然の上空からの登場に盗賊達は慌てふためいた。
それを冷静に観察しながらも、政斗は足元に転がっている信秀を爪先で蹴る。
「おら、寝てないで働け先輩。他にも手の内があるんだろ?」
「貴様は気がふれているのか!? あんな所から飛び下りるなんてっ」
「おい、危ねぇぞ」
「ぬあっ!」
ガバリと起き上って抗議してくる信秀の胸を軽く押してやる。すると、彼の鼻先一寸を刀が通り過ぎた。
七人の盗賊の内、残り六人。完全に政斗と信秀を囲んでいる。
「文句はあとで聞いてやる。腕に自信はあんだろ?」
「当たり前だ! 目にものを見せてやる!」
「そうか、じゃあ残りの奴全部任せて良いか?」
「ふざけるな! 後輩ならば先輩を守れ!」
「言ってることめちゃくちゃだな」
信秀も刀を抜き、政斗と同時に地を蹴る。振り下ろされる刀、投げられる短刀をかわし、確実に相手を沈めていく。やろうと思えば致命傷も与えられるが、この盗賊達の背後にどれだけの規模の団があるか分からない。
士郎の厳命により、情報を聞き出せるよう殺すことだけは禁じられていた。
政斗はできる限り腕や足といった、酷い怪我にならないところを狙って斬る。信秀も慣れていないのかいつもより精彩を欠いてはいるが、問題なく人数を減らしていた。
(あの腕ならこれぐらいは平気か……っ!)
盗賊もあと二人ばかり。簡単な仕事だったと政斗が気を抜いた次の瞬間、右目が後方で膨れ上がる魔力を感知した。
咄嗟に振り向けば、倒れこんだ盗賊が魔術を放とうしているのが分かる。見えるのは凝縮された氷。礫として相手にぶつけるものだ。
狙っているのは別の盗賊を斬り伏せた信秀。
「避けろ!」
「ぬっ」
政斗が叫ぶと同時に魔術は発動した。急いで信秀を引き寄せようとするが、その前に残りの盗賊が現れ、邪魔をする。
舌打ちして斬り捨てた瞬間、政斗は魔術が信秀に直撃するのを見た。ただし、それは左目で見えた光景だ。
「あ?」
魔巧の義眼は、別のものを映し出す。信秀に襲いかかった氷と、それに向かって左手を突き出した信秀。そして、その左手からほとばしった朱色の魔術の陣。
複雑な文字とおそらく彼岸花を模したであろう陣が信秀の眼前に広がり、巨大な炎となって盗賊の魔術を包み、消滅させた。
唖然とする政斗の前で、信秀は得意げに振り返る。
「どうだっ、恐れ入ったか!」
その言葉には答えず、政斗は彼を見たまま背後から襲ってきた最後の盗賊を斬った。
「全員を捕縛しろ! 武器を徴収、身元と根となる盗賊団の情報を聞き出せ」
士郎の号令に潜んでいた隊員が動き出す。半ば士気も削がれていた盗賊達は、特に抵抗するでもなく縄にかかっていった。
政斗達の身を心配して、士郎が下りてくる気配がする。
「お前、さっきの……」
「ふふん、これが私の奥の手だ。まだまだあるぞ。次の手合わせを楽しみにしていろ!」
多少なりとも政斗を驚かせたことが嬉しかったのか、信秀は胸を反り返らせて捕縛している隊員達に命令をしていった。
その後ろ姿を見ながら、政斗は眉間に皺を寄せる。
「雪竹殿、いかがされましたか?」
「いや……」
士郎の問いに口を開こうとして、政斗は思い留まった。勘でしかないが、あまり騒ぎを広げない方が良いと思ったのだ。
(どういうことだ? あいつは確かに魔術を使えるが……)
御前試合で見たのは、風の刃を作り出す信秀の魔術。しかし、今見たのはそれとは違う、陽の宮の塀にあった魔術と似たもの。古代魔術だ。
術の内容が違うせいか、模様は橘ではなく彼岸花だったが、術を作る構成は似ていた。
政斗はわけが分からず空を見上げた。
(今の魔術と古代魔術ってのは、一緒に持てるもんなのか?)
月のない夜とあってか星々が一層輝きを増している。その前を、件の黒い靄が覆っていった。政斗にしか見えないのだが、鬱陶しいことこの上ない。
さらに顔を険しくしてその靄の流れを追うと、とある店の物陰でより一層濃くなっていることが分かった。
よく見れば、店の端に蓋をされた桶がある。その隙間から靄は出ていた。
苛立ちと好奇心と怖いもの見たさ。政斗はそれにつられるように蓋を開けた。魑魅魍魎でも飛び出すかと内心思っていたのだが、予想に反して桶の中には黒い玉が一つ。
「何だこりゃ?」
つるっとした黒い玉。その表面には見慣れない文字が一字掘られている。靄はその玉から出ていた。そして少しだけ、先程信秀の左腕から迸った魔力と同じ気配がする。
「…………」
「雪竹殿、その玉は?」
手元を覗きこんできた士郎に肩をすくめた。
「さぁ。靄はここから出てるし、魔力を感じるから誰かの悪戯かなんかじゃないか?」
内心の疑問は悟られないように、政斗は玉を袋に入れて懐にしまいこんだ。
刹那、空を覆っていた靄が消え、星が光を取り戻す。その時、なぜか空気までもが浄化された感覚に、少し首を傾げた。
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