第11話

 陽の宮の塀の前で、政斗はその高さを見上げた。

 砕の魔術で姿を隠し、大内裏の塀を超えて堀を渡る。そこまでは順調だった。兵にも気づかれず、砕が漕ぐ船は波もほとんどたてない。順調に進んだと思えたが、陽の宮の塀を前にして政斗は眉をしかめる。


「どうした?」

「魔術だ」

「は?」


 幸丈の問いに、政斗は渋い声で答えた。白茶に彩られた陽の宮の塀。その塀を見る右目は、文字のような、紋様のような複雑怪奇な絵柄を映し出している。

 塀という塀にびっしりと張り巡らされたそれは、内容は分からないまでも魔術の類だと本能的に分かった。


「こんなの見たことねぇが、おそらく魔術だ。この塀を無断で越えたら、中にいる奴に感知されるんじゃないか?」


 おそらく防犯用の魔術だろう。何も知らない者が塀を乗り越えると、それを術者に知らせる。場合によっては撃退用の魔術が発動するかもしれない。


「なるほど。それ、おそらく古代魔術だ」

「古代魔術って、あのずいぶん昔に途絶えたっていうやつか?」


 文献で読んだことがある。政斗や砕のように、一人が一つの特殊能力を持つ現代の魔術に対し、古代魔術はありとあらゆる現象を引き起こす術だ。


 現代の魔術が魔力だけで発動できるのに対し、古代魔術は別の物を必要とする。

 呪文、符、魔術の陣、杓杖、魔術語を掘った物体。使う物は術者によって様々だが、威力と魔術の幅は広い。

 その代わり、使用する魔力が膨大なのと、その魔術を使う構成が複雑らしい。ゆえに、継承できる者が少なく廃れていった。


「そ。その古代魔術だ。天照家はもともと古代魔術に長けた一族でな、血は薄れて使い手はほとんどいないが、莉桜と莉桜の父親は使えるはずだ」

「へぇ……」


 文字はおそらく魔術語だろう。右目を凝らせば、描かれている紋様は植物の橘のように見えた。


「んで、どうするんだ? 普通に越えたらバレて兵士が集まってくるぞ」

「ふふん、その辺はぬかりない。見ろ、莉桜の乳姉妹がくれたこの護符。これを!」


 気合を入れながらユキヒロは護符を塀に投げつけた。淡く発光しながら張りついた護符。書かれていた文字が浮かび上がったかと思うと、次の瞬間、塀の魔術を拡散させた。


「莉桜の護符なんだ。数分だけもつらしい。さぁ行け政斗! 先に上がって俺を引き上げ……っておわ!」


 幸丈が言い切る前に、政斗は彼の衿を掴んで塀を蹴り上がった。上から彼を中に放り投げて、自分も庭へと音もなく着地を決める。砕も後に続いてきた。


「おいこら! お前親王をどういうあつか……ヴぇ!」


 体を起こそうとした幸丈の上に華那が着地した。顔を強打するゴッという音が響く。


「ワ、ワウ!」

「いや、横にずれてやり直しても、お前が主人踏んだことは変わらねぇぞ」


 そろりと下りて胸を張り直す華那だが、目が泳いでいた。そんな馬鹿らしいやり取りが続く中、辺りを伺っていた砕が先導するように歩きだす。


「陽の宮を警護する兵は勘が良い。すぐに移動する。華那、お前は幸丈様を連れてこい。雪竹殿、その目が飾りでないなら警戒を」

「お前の方がよっぽど主人らしいわ」


 砕が先頭を歩き、政斗はそれに続きながら辺りの気配を探る。最後尾から華那が幸丈を咥えてついてきていた。

 歩きながら上を見上げた時、政斗は奥の方に奇妙な黒い靄がたっていることに気づいた。位置的にはおそらく、屋敷の上空だろう。

 煙のような、だがそれにしては風に流れない、一所に固まった黒の塊。


「砕、あの靄は何だ?」

「靄? ……そんなものどこにある」

「え?」


 砕の視線は確かに政斗の指先を追っている。だが、目線は定まらず、政斗が言っている靄を探すように揺れ動いていた。


(俺にしか見えないってことは……)


 試しに政斗は右目を手で覆った。こんなことをしても義眼は働くのだが、先程よりも靄の見え方が悪くなる。


「なるほどね。いや、良い。変なこと言って悪かったな」


 砕は未だに怪訝な顔をしていたが、見つかるとまずいと思ったのか歩き始めた。

 政斗の義眼にしか見えない靄。つまりあれは、魔術の類による靄なのだ。姫巫女が古代魔術の使い手だというから、それに関したものかもしれない。

 あまり良いものには感じないが、政斗は気に止めないように歩を進めた。


 兵をやり過ごすためか、ずいぶん複雑な道を辿りながらようやく本邸へと到着する。古来の様式にのっとった風格ある屋敷だが、魔術による罠があらゆるところに見えた。

 古代魔術を知らない政斗には、構成が見えてもそれがどんな術かまでは分からない。ただ、見えるだけで警戒心が強くなっていくから、威力もまた凄まじいのだろう。


「紗雪殿」


 とある一室の前で立ち止まると、砕は誰かの名前を呼び、すぐさま姿を隠す。政斗の目には、傍にある木へ移動したのが見えた。


「はい、どちらさまで……まあ、貴方は御前試合の。それに華那様……と、そちらは親王殿下でしょうか? ずいぶん土まみれでボロ布のようですけれど」


 御簾を上げて出てきた女は、歳の頃は二十歳前後といったところか。蘇芳色をした五ツ衣の小袿姿からして高位の女官だ。おそらく、彼女が姫巫女の乳姉妹と思われる。


「あ~……おい、起きろ親王。俺じゃ顔が利かないんだぞ」

「あれだけのことしといて便利使いかよ!」

「とどめを刺したのはお前の狼だ! 便利な地位なんだから便利使いして何が悪い!」

「あ、本音言いやがった! そんなこと言うなら報酬減らしてやるもんねぇ」

「ガキかお前!? 親王のくせにせこいぞ!」


 頭を叩いて起こした幸丈と、それこそ子供じみた言い合いを始める。自分でも馬鹿げているとは思うのだが、どうもこの青年には調子を狂わされてしまうのだ。

 衿の掴み合いにまで発展した時、御簾の向こうで静かに人影が動いた。


「紗雪、幸丈が来ているの?」

「あ、ええ。華那様とご一緒に……それに、その、あの御前試合に出ておられた方が」


 二人のやり取りに口を挟めないでいた紗雪が答えると、人影は御簾の手前まで移動してきた。流れるような黒髪と黒曜石のような目。

 姫巫女、天照莉桜だった。

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