第二幕

第9話

 その日、表の役職である宮内省の制服を着た砕は、戦衛府の官舎に足を運んだ。もちろん主である幸丈の命により、数日前からここに特別隊員として勤めだした政斗を迎えに来たのだ。


 門をくぐり、官舎の方へ行こうかと思った時、その横に設けられた訓練場に人だかりができていることに気づいた。

 人ごみの中心に、黒髪を持った目的の人物を見つける。

 砕は足の向きを変え、人ごみを縫って内側へと入りこんだ。

 そこに、異様な光景が広がっている。


「……雪竹殿、何をしておられるので?」


 気づかれぬ程度に目を見開いて、砕は少し上を見上げた。折り重なった十数人の人の山。その上に政斗が気だるげに座っている。

 彼は隻眼を砕に向けると、肩をすくめて答えた。


「訓練」

「訓練、ですか?」

「そ。武器を使わない素手での攻防訓練。親切な先輩諸氏が鍛えてくれるってんでね」


 今尻にひいているのがその先輩だろう。一様に何か呻き声をあげているが、すでに起き上がれる状態でもないようだ。

 無謀なことを言ったものだ、と砕は思った。


 政斗の実力は、戦衛府の隊員の中でも群を抜いている。剣術だけではなく、体の使い方そのものが上手い。

 風の中を舞う花弁のように自然で流れるような動き。そのくせ攻撃はカマイタチのように鋭く、突風のように重い。

 旅の最中、命を張る戦いもしてきたのか経験値も豊富だ。


 そして極めつけは魔巧器の義眼。あれは全ての動きを見きり、魔術の本質まで見抜いてしまう。生半な気持ちで相手をするには危険すぎる青年だ。


「雪竹! 貴様、立場が上の者に何てことをっ。礼儀を知らんのか!」


 そう言って欄干から吠えているのは、以前マサトに伸された戦衛府総隊長だ。


「『訓練といえど手加減無用。思う存分やれよ』って言ったのは先輩方ですが?」


 悪びれた様子もない政斗に、総隊長の顔が真っ赤になる。それは怒りか羞恥か。

 野次馬になっていた隊員の言葉を耳で拾えば、どうもあの総隊長が扇動して政斗に訓練をつけろと言っていたらしい。

 本当は痛めつけて、あの夜の鬱憤を晴らすつもりでいたのだろう。


「おのれっ、生意気な小僧がっ」


 ギリリと歯噛みした総隊長を見て、砕は彼が爆発する前に場を収めることにした。


「総隊長。申し訳ありませんが、しばし雪竹殿をお借りしたい」

「宮内省の人間ごときが何の用だ! その男は私がこれからみっちり鍛え……」

「親王幸丈様の所望なれば、ご理解いただきとう存じます」


 主の名を出せば、総隊長どころか他の野次馬までピタリと口を噤んだ。

 周りからは『運に見放された親王』などと小馬鹿にされることもある幸丈だが、親王という立場が持つ権力と影響力は絶大だ。


「親王殿下が何用で……」

「何用も何も、雪竹殿は幸丈様のご推薦を受けられたほどの身分。今となっては一友人と思われている節もあります。お話をされたいと思っても不思議はないでしょう」


 後ろで政斗が引きつったような声を出したが、嘘は一切言っていないつもりだ。

 あの親王は、政斗の旅の話を聞きたがっているし、政斗自身に興味を持っている。それに、士郎や砕と違い、家臣ではなく自らと対等に近い存在として扱いたいようだ。

 砕が表情を変えないまま冷静に言うと、総隊長は最後の抵抗とばかりに政斗を睨んだ。


「命拾いしたな雪竹。今度の訓練は首を洗って待っていろ! お前達、いつまでさぼっている気だ! さっさと仕事にかかれ!」


 言い捨てて、足を踏みならしながら歩いていく彼に、他の隊員達も慌てて散らばっていく。残された政斗は、ひょいっと人山から下りてきた。

 息も乱れていないところを見ると、肩慣らしにすらならなかったようだ。


「首を洗って待っても、あれではアンタの準備運動にもならないな」


 去っていく総隊長の背を見ながら呟くと、政斗が軽く驚いた。


「……ああ、その喋り方が素か。暗殺者のお前を知ってるせいか、その格好も話し方も違和感があったんだ。何で宮内省の服を着てるんだ?」

「表向きは宮内省皇室側仕えの親王付きだ。幸丈様のお世話と教育を承ってる」

「乳兄弟代わりか。お前に鍛えられてるなら、あのおっさんより親王の方が強そうだな」


 砕が歩きだしながら喋ると、彼も文句を言うでもなくついてきた。

 あの御前試合から数日が経ち、政斗が戦衛府に入って一段落している。幸丈はこれを機に本来の目的を果たそうと動くのだろう。


「今日の呼び出しは、俺が報酬を貰うための仕事についてか?」


 政斗は牢から出してもらう代わりに、幸丈の手足となってある問題を解決することになっている。その話か、と問うた彼に、砕は首を横に振った。


「いや、アンタが望んだ報酬の一つを払うそうだ」

「は?」


 疑問符を浮かべた政斗に向かって、砕は彼の義眼でしか判別できないほど小さく口の端を上げた。


「会わせてくれるぞ。姫巫女、天照莉桜に」


 大和国の土地を守る天照家の姫君。御簾越しに見た姿を思い出したのか、政斗の隻眼に、期待の色が宿るのを砕は見た。

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