第8話

 数回刃を交えていると、信秀の顔に焦りが出てきたことに政斗は気づいた。完全にこちらが押し始めているのだ。


「くっ!」


 距離を取ろうとする信秀を許さず、政斗は片手で持った刀を上下左右斜めと縦横無尽に動かす。その動きは、戦っているというよりは舞を舞っているという方が近い、と以前旅の途中で会った翁に言われたことがある。

 よくよく振り返ればそうかもしれない、と政斗も思う。


 刀を振るう時は、できるだけ動作を途切れさせないように、流れるようにと意識している。相手に反撃する間を与えないためだ。

 そうやって自分なりの戦い方を見出していく内に、舞の動きに近くなったのだろう。

 もちろん、本来の舞の動きと比較すれば違うはずだ。あの翁にも『舞を見たって言うなら見物料よこせ』と手を差し出せば、『血生臭い舞を見たって目の保養にならんわい』と一蹴されたのだから。


「このっ」


 ともあれ、自分の動きが信秀より上だということは確かだ。すでに彼には受ける余裕もなくなっている。

 信秀の腕が悪いとわけではない。単純に経験の差だろう。


 統率された部隊の中で訓練を積み重ねた者と、実際に命をかけて修羅場をくぐってきた者。同じぐらいの技量を持っていても、瞬時の判断力や動きの練度には違いが表れてくる。


「そろそろ参ったって言ってくれねぇか?」

「ほざけ! 貴様のような者に負けるか!」


 政斗が一撃打ち込んだ瞬間、信秀はその勢いに便乗するように後ろへと飛んだ。追って距離を縮めようとした政斗は、不意に空気が変わったことに足を止める。

 肌がチリチリする。信秀を中心に密度が濃くなったように重い。


「魔力……か」


 右目が空気に混じる別の力を見せてくれる。信秀の周りを覆う山吹色の層。体内をめぐる魔力を発現させ始めた証だ。


「よく気づいたな。そのまま踏み込んでくれば、ひと思いに沈めてやったものを」


 山吹色の魔力はゆったりと信秀の周りを流れ、やがてその力を刀に集約していく。体を覆った魔力が全て消えた時、信秀は渾身の力を込めて正面から斬りかかってきた。


(速い)


 よく見れば足に微量の魔力を溜めている。あれで加速させたのだ。

 先程と違う速さに、反応が少し遅れる。政斗が体を引くのと信秀が刀を振り下ろすのはほぼ同時だった。

 右目が見切った刀の軌道。だが、完全に避けたはずだった政斗の髪が数本、チッという音と一緒に宙に舞う。


「っ!?」


 信秀が、不敵な笑みを浮かべた。

 政斗は素早く距離を取った。そして、あらためて信秀が持つ刀に目をとめる。


 左目に映るのはただの刀。しかし、右目には刀を取り巻く風が見えた。刀を中心に高速で回転する風の渦。切れ味が上がるどころか、刀の周りに風がある分攻撃範囲も変わる。

 よく見なければ、刀を避けても風の渦に斬り裂かれる寸法だ。


「風の刀……あれがあいつの魔術か。よく斬れそうだ」


 御前試合は安全を期すため競技用の刀を使っているのに、あれでは全て台無しだ。

 政斗は観覧席にいる幸丈を睨みつけた。


「ったく、面倒臭いことに巻き込みやがって」


 何かを期待するようにこちらを見ている幸丈。それに応えるのは癪だが、これだけのことに巻き込まれて、何の報酬も貰えないのはもっと癪だ。

 政斗は持っていた刀をしっかりと握り、一度強く振り抜いた。


「少し、真面目にやるか」


 言いながら信秀を見ると、彼は小さく肩を揺らした。

 ちゃんと分かったらしい。政斗の雰囲気が変わったことも、政斗が微量とはいえ殺気を向けたことも。


「貴様、やはり悪人ではないか。顔どころか空気も悪人だ!」

「ごちゃごちゃうるせぇ。分かってるか? お前が魔術を使った瞬間から、これはもう試合じゃなくなった。本気でくる奴に俺は手加減しねぇぞ」


 試合ならその取り決めに合った戦い方をする。常でさえ、政斗は喧嘩程度なら刀を使わない。

 刃を振り下ろす時は命を奪い奪われる時だと決めている。

 無意味な命のやり取りはしない。それは、政斗が刀という人を殺す武器を手にする上で、絶対に破らないと決めている掟だ。


「望むところだ! どこの馬の骨とも知れぬ者に負けては藤郷家の名折れ。来い!」

「命のやり取りを、名誉の糧にしてんじゃねぇよ」


 吐き出すように言って、政斗は地面を蹴った。そして、蹴ると同時に信秀の間合いへと入る。時間にして、瞬きするほどでしかない俊足。


「なっ」

「お前だけが魔力を使えると思うなよ」


 急激な接近に驚愕した信秀が刀を振り上げる。政斗はさらに一歩踏み込んだ。

 攻撃をするまでに間がない時、人はどうしても単調な動きをする。咄嗟にできる動きは振り下ろすことだと予想はついた。

 政斗めがけて斜めに斬りつけてくる刀。足に溜めていた魔力を瞬時に止め、前に出る体を切っ先から遠ざける。もちろん、風の刃が届かない位置にだ。


「見切っただと!?」

「良い術だが、見えてりゃどうってことない」


 刃先が通り過ぎるが早いか、政斗はもう一度足に魔力を纏わせた。一歩蹴りだせば、それだけで信秀の後ろに回り込める。


「っ……!?」

「遅い」


 彼が振り返る寸前、政斗は刀の柄を首の後ろに叩き込んだ。一瞬揺れた体は、崩れ落ちるように舞台の上に倒れこむ。

 耳に痛いほどの静寂の中、政斗は慣れた動作で刀を収めた。


「手加減はしねぇが、御前試合で流血はまずいだろ」


 その言葉をきっかけに、この日一番の歓声が広がった。

 二人の見せた戦いに向けられる拍手。信秀ばかりを見ていた者も、政斗の技量を称賛し、声を上げている。

 勝者の名を審判が告げる中、政斗は観覧席に向けて頭を軽く下げた。試合後にはこうするよう、士郎から念を押されている。


「うわっ、信秀様しっかり! 今手当を!」


 後ろから焦った叫び声と魔力を感じる。ちらりと左肩越しに見やれば、おそらく乳兄弟か何かだろう男が信秀に手をかざしていた。治癒の魔術を持っている者なのだろう。


「雪竹政斗だったかな?」


 名前を呼ばれて顔を上げると、帝が席を立ち笑顔を携えていた。主上が直々に言葉をかけたことにより、政斗に注目が集まる。


「実に良い試合だった。しかも、そなたはまだ実力を十二分に発揮していないと見える」

「敵でない者を無為に傷つけるは、己の信念に反しますゆえ」


 堅苦しい言葉遣いにむず痒くなる。だが、幸丈から報酬を貰うためにも、こんなところでヘマをするわけにはいかないのだ。

 政斗の言葉に何を思ったのか、帝はくすりと笑いを洩らした。


「だが、私はそなたの真の力が見てみたい。見せる機会と場がないというのなら、それは私が用意しよう。追って知らせを待つと良い」


 それはつまり、政斗を正式に大和国の武官として採用するという意味だ。


「お心遣い、いたみいります」


 政斗が丁寧に頭を下げると同時に、再び歓声が場を包んだ。

 一介の旅人が、帝自らの声によって地位を得る。それは異例中の異例だ。今度の歓声の中には、称賛の他にどよめきと困惑、そして、不平不満の類も入っていた。

 ちらりと上を見ると、帝の隣で幸丈が笑っている。


(これで文句ねぇだろ)


 目に言葉を乗せて伝えれば、彼はまだまだだ、とでも言うように見下ろしてくる。傲慢で我儘な態度に、政斗は拳を握って怒鳴りたいのを堪えた。


(報酬を貰うまでは、自由になるまでは耐えろ、俺!)


 心の中で、言い聞かせるように何度も繰り返す。とその時、政斗は自分に強く向けられる視線に気づいた。

 敵意はない。ただ、真っ直ぐに向けられる視線。

 惹かれるように視線の元を辿ると、政斗は御簾越しに綺麗な黒曜石の目を見つけた。


 幸丈の隣。そこに、政斗の心の内までも見透かすように見つめる姫巫女がいた。

 黒く深い、けれど澄んだ瞳。まるで吸い込まれそうなほどに宿る力が強い。

 御簾越しではあるけれど、この距離から見る彼女はとても美しいと思った。


 莉桜はしばらく政斗を見ていたかと思うと、ふいと背を向けて去っていった。何かを訴えてきたようでもあるし、拒絶されたようにも感じる態度。

 そんな不可解な空気の中で、政斗には一つ、ハッキリと分かっていることがあった。


「正面から、会ってみてぇな」


 言葉にすればなお確信できる自分の気持ち。

 幸丈から受け取る報酬に、この望みも加えてみよう。そう思いながら、政斗は莉桜の去った席を見つめ続けた。

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