第44話
第四十四話
そびえ立つ岩山を登っていた一同は、崖から景色を眺める。
暗い空はより黒を深くし、闇の訪れを教えてくれていた。
夜間での移動は困難でもあり危険でもある。足場の悪さも考慮し、一同は野営の準備を始めた。
焚火を囲い、入念に傷の手当てを行う。ワイバーン戦後も調べたとはいえ、厳しい戦いを終えたのだ。いくら調べても足りないくらいである。
上半身を左右に捻り、ストレッチをしながらベイが不満気にぼやいた。
「ってかよう、どうせなら送ってくれても良くないか?」
ワイバーンは戦闘が終わると同時に、その場から離脱した。誰も特に何も思わなかったが、ふと気付く。自力で竜王リラークの場所へと向かわなければならないことに。
険しい山道は、全員の精神は擦り減らしていた。
疲れもあり、ベイの言葉に対し誰もが苦笑いを浮かべる。飛べる者の場所に飛べない者が行くという困難。身をもって経験させられていた。
だが、不満は述べられても苦情を言うことはできない。自分たちは客人ではなく、招かれざる客。多少認められたとはいえ、それは誰もが理解していた。
「……ですが、もう妨害もないでしょう。後二日もあれば辿り着けるはずです」
ルアダも口では気にしていないように言うが、額に手を当てため息を吐いていた。
その様子を見て、一同はやはり苦笑いを浮かべる。背中に乗せてくれれば、とっくに到着していた。そう思う気持ちは同じであった。
竜の居城ではリラークの指示に不満を持ち、夕食の肉を苛立たしく噛み千切る銀髪の女性があった。
レヴォネは負の感情を隠しもせず、その優美な姿には似合わぬ様相で、机へ骨を投げつける。
「レヴォネよぅ、荒れているなぁ」
「黙れ、殺すぞ」
「ヒッヒッヒッ」
茶色の髪を逆立てた、体格の良い男性。地竜ランディルは口の中の鋭い牙を見せつけながら、嫌らしく笑う。
下賤なその顔に、レヴォネは舌打ちをする。ランディルは彼女が苛立っていると分かっているにも関わらず、なお楽しそうに笑った。
ランディルは立ち上がり、レヴォネの肩へ手を回す。彼女にギロリと睨まれても、にたにたとした笑みは消えず、手も退けようとしなかった。
「我から手を退けろ」
「ちょっと提案があってなぁ。どうだぁ? あの人間たち、俺が始末してやろうかぁ?」
一瞬止まったレヴォネは、躊躇わずランディルの顔へ拳を振るう。
しかし、予想していたのだろう。軽い足取りで避け、後ろへとランディルは下がった。
避けられたこともあり、怒りが収まらぬレヴォネは槍を手にする。
気付いたランディルは、焦りも見せずに両手を上へとあげた。
「ヒッヒッ、落ち着けよぅ。悪い提案じゃなかったろぉ? 俺がレヴォネの代わりに、あいつらを片付けてやるってぇ」
「……竜王に逆らうつもりか?」
竜王リラークの言葉は絶対である。彼が良しと言ったことに対し反する行動。それは叛意の現れと取られても仕方がない。なのにランディルは、にたにたと笑っていた。
何か考えがあるのか? そうレヴォネが思い立ったとき、ランディルが口を開いた。
「次期竜王様の旦那ってのは、悪くねえよなぁ?」
なんだ、ただの馬鹿か。レヴォネは率直に判断した。
ランディルという男はとても竜らしく、力で全てを解決しようとする人物である。レヴォネへの求愛に関しても、竜族一だった。
つまるところ、彼はレヴォネの機嫌をとりたいだけなのだ。深い考えなどは、一切ない。
では、どうするのか? レヴォネが出した答えは、沈黙であった。
人間との話し合いは無駄であり、妙な苛立ちがある。だが、父の決断に逆らうわけにもいかない。
しかし馬鹿が一人動き、人間を始末する。その後、竜王に罰されたとしても自分には関係が無い。レヴォネにとって最善の選択が沈黙だった。
ランディルはレヴォネの沈黙を肯定ととり、地を踏み鳴らしながら場を後にする。
立ち去って行くランディルの背を見ながら、レヴォネはカップにお茶を注ぎ直す。そして良いことを思いついたかのように、少しだけ笑った。
――明朝。
一行は身支度を整え、山頂を目指し進み始めた。
岩がごろごろと転がる中、協力して登る。特に苦労していたのは、体が小さいフーリムだった。
強い魔力を持っているが、決して体力があるわけではない。彼女にとって、登山とは初めての経験でもあり、荒くなる息を押さえることはできなかった。
「フーリム、手を」
「ありがとう、お兄ちゃん」
フィルが差し出した手を握る。汗が滲む手は、力強くフーリムを引っ張る。とても優しく感じ、力が沸いてくるのを彼女は感じた。
しかし、フーリムには気がかりがある。それはここ最近のフィルの態度だった。
笑みを浮かべることが増え、悩んでいることも増えている。落ち着きのない様子は、フーリムの不安を掻き立てていた。
そして、それはフィル自身も同じであった。
少しだけ昔の自分に近く、感情が出せている。なのに、強烈な不安が心へ押し寄せていた。
恐らくレヴォネと出会ってからのことだと、フィルは自分で気付いている。覚悟が決まったと思っていた心は、何かの綻びから崩れ出していた。
息を吸い、吐く。そんな簡単なことで心は落ち着きを取り戻す。しかし、気付けば圧迫感に圧し潰されそうになる。そんなことをフィルは繰り返し続けた。
「お兄ちゃん、大丈夫……?」
「大丈……夫じゃないね。何か、少しおかしくなっているかも」
この少女には嘘をつくわけにはいかない。なぜかそう思ったフィルは、少しだけ気まずそうに微笑みながら答えた。
少女を守る、戦争を終わらせる。その考えに代わりはない。なのに、感情だけは言うことを聞かなかった。
しかし、それと同時に確信もあった。あの銀髪の女性と出会えば、何かが分かる。そういった予感だった。
少しだけ平らな地面へ辿り着く。そこにはローブを羽織った、白髪の老婆がいた。
一同は当然警戒をする。だが、老婆はにっこりと笑い口を開いた。
「竜王リラーク様より、案内を申し付かっております。わ……私の名はレー。よろしくお願いいたします」
レーと名乗る老婆の言葉を聞き、ルアダは全員に警戒を解かせる。そして近づき、深々と頭を下げた。
それを見た老人は、笑みを絶やさず頷く。髭をいじるその仕草が、手馴れていない感じで少しだけぎこちなかった。
「自分はルアダと申します。こちらは仲間の、ベイ、リナ、フィル、フーリム。共に竜王様への謁見を望む者たちです。どうぞよろしくお願いします」
「これはご丁寧にありがとうございます。休息をとるところだったのですよね? ペースはそちらにお任せしますので、ご安心ください」
挨拶が終わり、レーは足元に置かれていた荷物を渡す。
中を調べると、多少の食料と飲み物が入っていた。
ルアダは微笑みながらも、レーの目から見えないよう検分を始める。毒などが入っている可能性は、常に捨て去ることはできなかった。
だが、ルアダの後ろからひょいと手を伸ばしたベイは、平然と飲み物を口にする。一口含んだ後、喉を鳴らして飲み干した。
それを見たルアダは、こういうやつだったと思い出し、頭を抱える。
信用しているというパフォーマンスでもあったのだろうが、ベイのこういうときの読みは外れることがなかった。
「うん、うめぇな。水ばっかりじゃ飽きるから、たまには果実が入った飲み物はいいもんだ」
「……毒が入っているか調べなくても良かったので?」
レーの言葉に、ルアダはギクリと体を強張らす。
しかし、ベイは豪快に笑い飛ばした。
「毒を盛るくらいなら、力尽くで殺せばいいだろ。俺たちはワイバーンに辛うじて勝ったくらいだ。うまく戦っていたように思えるが、紙一重だったからな。そんなやつらに毒を盛ってどうするんだ?」
「いえいえ、私も拝見させていただいておりましたが、中々の連携だったと思います」
「一体だったからな。でも、ワイバーンが二体いたら、どうしようもなかったさ」
ベイの言葉は間違っていない。ワイバーンが一体だったから、勝つことができた。
そしてもう一度戦ったとして、必ず勝てるという保証はない。むしろ誰も死ななかったのは、運が良かったとすら言える状況だった。
目を細めたレーは、全員がベイに同意しているのを見て、考えを改める。ただの馬鹿な人間ではないようだ、と。
休息をとった一同は、レーに案内され移動を始める。厳しく道なき場所だと思っていたが、少しだけ楽な道を進めることができ、心をほっとさせた。
しかし、それもすぐに終わる。困った顔をしたレーは、崖に沿っている細い道を指差していた。
「ここを進めばかなり早く辿り着くのですが……。遠回りすると、二日は無駄にします。どういたしますか?」
「危険はできるだけ避けたほうがいいでしょう。迂回を」
「ううん、ルアくん行こう!」
リナの強い言葉に、ルアダは驚愕の表情を見せる。だが、リナは唖然とする他の人たちに目もくれず、堂々と歩き出した。
細い道へ入り、くるりと反転する。そしてにっこりと笑いかけた。
「大丈夫、行ける行ける! 安全に行くことも大事だけれど、時間だって大事だよ!」
バランスを崩して落ちるのではないか。ハラハラとする一同のことなど気にせず、リナは笑う。
ここまで言われて否定することもできず、案内された近道を進むことに決めた。
一度リナを戻らせ、先頭をレーに任せる。気を付ける場所を聞きながら、恐る恐ると進んだ。
何かあったときのことを考え、フーリムだけはベイとロープを結んでいる。これは誰かが言い出したことではなく、ベイ自身が言い出したことだ。
「チビ一人くらい、なんかあっても引っ張り上げてやる!」と言われ、素直にその好意に甘えることとした。
緊張感を持ちながら、少しずつ進む。すると、先が開けているのが見えた。
「後もう少しですね。気を付けて行きましょう」
レーの言葉に、すぐ後ろを歩くフィルが頷いたとき、上からカラカラと小石が落ちて来る。落石の危険を感じ、焦って上を見た。
そこには、壁に張り付く大きな茶色いトカゲのような竜がいた。
「なっ……竜!?」
「竜?」
フィルの言葉に、レーも上を見る。竜を確認したレーは気付かれぬよう、僅かばかりに微笑んだ。
にたりと笑い舌舐めずりをした竜は、崖に突き刺さっていた鋭い手を抜き放ち、勢いよく叩きつける。
崩れる音、降り注ぐ岩。身動きとれぬ中で、フィルは精一杯の声を上げた。
「上から落石! 注意を!」
すでに全員が上を見ており、気づいている。だが細い道の中、動けば崖から落下するのみ。
注意喚起の言葉は、自分を奮い立たせ落ち着かせるためのものだった。
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