第43話

 猛然と立ち塞がるワイバーン。響き渡る雄叫び。

 その場から動くことはなく、進まなければ攻めては来ない。

 しかし、五人は退くことができず、前に出るしか道は無い。

 お互いの顔を合わせ、頷く。誰もが緊張の面持ちではあったが、心は一つ。

 覚悟を決めた五人は、ワイバーンへ向け飛び出した。


「ベイが正面! リナとフィルは左右へ展開! フーリムと僕は援護をします!」

「「「「了解!」」」」


 最初にベイが大きく斧を振り被り、全力でワイバーンへと叩きつけようとする。だが、左の翼をワイバーンが振るったことにより、大きな突風が起き振り下ろせかった。

 同じく左側にいたリナも突風の煽りを受けている。耐え忍ぶようにしゃがみ、剣を地へ突き付けた。

 運よく攻撃に晒されなかったフィルは、素早くワイバーンの右後ろへと回り込む。この機会を逃してはならないと、槍を二回足へ向けて突いた。


 ガキンッと甲高い音。フィルが打ち放った突きはワイバーンの鱗に阻まれ、僅かばかりに傷をつける程度のものだった。

 三回目は突けない。冷静にフィルは判断し、機会を無駄にしたことを口惜しく思いながらも、後ろへと飛んだ。


 だがワイバーンはフィルを見ることもなく、正面から向かって来る雷の矢と氷の塊を、翼を振るい弾き飛ばした。


 歯牙にも欠けられていない。相手どる必要もないと思われていることを理解しながらも、フィルは前へと出た。

 フィルとリナとベイ。三方向からの攻撃が、同時にワイバーンを襲う。しかし、当たると思われた攻撃は、地を打つだけだった。


「飛んだ! ずるい!」


 リナの言葉に、誰もが頷きたくなるのを耐えた。竜が飛ぶ、それは当たり前のことである。

 だが、飛ばれてしまえば後がない。空中から攻撃を続けられれば、自分たちには為すすべがない。

 そういった思いから、やはりずるいと思わざる得なかったのだ。


 上昇を続けるワイバーンの口が開かれ、口元に風の渦ができあがる。四人があの攻撃はまずいと判断し、防御あるいは回避行動をとろうとしたとき、フーリムが叫んだ。


「全員離れて!」


 言葉の意味が分からずとも、動くことはできる。理由を判断するよりも早く、四人はその場から後方へ飛んだ。

 フーリムは全員が下がることを確認するよりも早く、掲げていた手を大きく振り下ろした。


 その行動を訝し気に思いながらも、ワイバーンは口に溜めた風の渦、ドラゴンブレスを放とうとする。しかし、頭に降り注いだ氷塊で口が閉ざされ、阻まれた。

 地へ落下しながら、口の中に溜めていたブレスがボンッと音を立て炸裂する。そのままワイバーンはバランスを崩した状態で、大きな音を立てながら地へと落ちた。


 周囲へワイバーンが落ちた衝撃と、砂埃が上がる。だが砂埃を物ともせず、ベイとリナは突撃する。合わせたように、フィルが風の魔法で砂埃を払った。

 ベイの土を纏い一回り大きくなった斧。リナの炎を纏った剣が、立ち上がる暇すら与えぬと、ワイバーンを強襲する。

 ワイバーンの体へ食い込む二つの攻撃。血が吹きすさんだが、ワイバーンは二人を吹き飛ばしながら立ち上がった。


「ギオオオオオオオオオオ!」


 口から、体の二つの傷口から血を流しながらも、ワイバーンは立ち上がる。その目は先ほどまでと違い、ギラギラと光りを上げ、五人を睨みつけていた。


 背中から地面へ叩きつけられたベイは、ペッと赤の混じった唾を吐き出し、斧を支えに立ち上がる。

 うまく着地することができたリナも、意識を集中し直し、細く長い息を吐きながら剣を構えた。

 ワイバーンの攻撃は、一撃もクリーンヒットしていない。しかし、一撃でも食らえば終わってしまう。

 知らずのうちに、足は鈍く、体は重くなっていた。

 ……しかし、壊れた心で恐怖が鈍くなっているフィルは違う。誰よりも早く動き出し、ワイバーンの背へと乗った。


「刺され!」


 勢いを乗せ、槍をワイバーンの背へと立てようと突き放つ。風の魔法をのせた槍は少しだけ体へ刺さり、ワイバーンに三つめの傷を穿った。

 ワイバーンは体を揺すり、フィルを叩き落とそうとする。しかし、それを阻害するために四人は魔法を放った。

 火が、氷が、土が、雷が。ワイバーンへと襲い掛かる。

 鱗を傷つけていく攻撃に、溜まらずワイバーンは飛び上がった。


「もう一度落とします!」


 フーリムは先程と同じように氷の塊を落とそうとする。しかし、前もって分かっている攻撃。ワイバーンは翼を振るい、フーリムへと突風を巻き起こした。

 魔法に集中していたフーリムは、ワイバーンの攻撃に気付いても動けない。その僅かなタイムラグを埋めようと、ベイがフーリムの前へと立った。


「ぐ……おらぁ!」


 気合を込め、強引にベイは斧を横薙ぎに振り、突風を破った。だが、体や鎧には傷がつき、血がだらだらと流れ落ちる。

 ベイは苦痛に顔を歪めたが、三人はその活躍を無駄にせぬよう、言葉をかけるのではなく行動で示した。


 全身を強化し、リナが大地を蹴り上げ飛ぶ。

 炎を纏った剣は、先程自分でつけた傷を、より深く抉り焼いた。

 身を捩らせるワイバーンに対し、ルアダは息を止めその一瞬を逃さぬよう放つ。

 雷光の軌跡を残しつつ、一本の線を描きながら、ルアダの矢はワイバーンの左目を穿った。

 そして氷の塊が落ち、ワイバーンはまた地面へ突き落されるはずだった。しかし、ワイバーンはぐるりと回転しながら氷塊を躱し、さらに上空へと飛んだ。


「フィルくん! 槍を放して!」


 はっとした表情になったリナは、慌てフィルへと声を飛ばす。

 ガッチリとハマっている槍を抜こうとしていたフィルは、槍を放そうとする。だがワイバーンの急上昇に気付き、タイミングを逸してしまい、反射的に槍を握り直すしかなかった。


 上空へ、上空へ。風の魔法で耐えながら、ワイバーンの背に、槍にしがみ付く。

 気付けば、フィルとワイバーンは遥か上空へと辿り着いていた。


「はっ……はっ……はっ……すごい」


 フィルの口から出た言葉は、恐れではなく感動。

 仲間たちが蟻よりも小さく見え、遠い王都までもが見えている。その景色に、体が震えた。

 どこまでもいける、どこまでも飛べる。竜という生物の凄さへの感動で、瞳からは一筋の涙が零れた。


 しかし、そんなことはワイバーンには関係がない。高度を落としながら旋回し、ぐるりと体の向きを逆にした。

 槍を掴んでいるとはいえ、命綱があるわけではない。自分の握力だけが頼りで、槍を放せば死ぬしかない。

 強烈な加速と旋回に耐えていたが、限界を来す。フィルの手はずるりと滑り、体が宙へ投げ出された。


 なにも掴めるものもなく、落下するしかない。地面へ向け、風の魔法を放つしかない。

 脳裏に浮かぶ、死の一文字。だがそんな中で、フィルとワイバーンの目が合う。

 深い色をした瞳に、フィルの心が奪われる。絶対なる力を持つ竜。その中では、下級といえる力のワイバーン。

 にも関わらず、こんなに壮大で美しいのか、と。


 銀色の髪、赤い瞳に心を射抜かれた時のことを思い出す。無意識の内に、フィルの口角は上がり、笑みが浮かび上がった。


「おらぁ!」


 ドンッと大きな衝撃を受け、フィルはベイに抱き留められる。その時初めて、フィルは自分が思っていたよりも地面へ近かったことを知った。

 ベイの手を借りながら、地へと自分の足で立つ。地面に足がつくということが、こんなに心地よいことだと知り、フィルは改めて大地へ感謝した。


「ぼさっとしている場合じゃありません! どうにかしてワイバーンを大地へ落とさないと、僕たちに勝ち目はない!」

「でもどうやって!?」

「それを今考えています!」


 ルアダは焦りながら、方法を模索する。片時もワイバーンから目を放すことはできない。そういったプレッシャーの中、思考は纏まらなかった。

 だが四人はルアダを信じている。必ず答えを出してくれると、疑いは無い。ただその指示を信じて待った。


 上空にいる片目のワイバーンも、攻撃するべきかを悩んでいた。問題はワイバーンの攻撃射程にある。

 この距離からの攻撃は、微々たる効果しか与えられない。威力を上げるためには、高度を下げるしかなかった。


 なぜ攻撃して来ないのか。そう考えていたルアダは、すぐにワイバーンの攻撃射程に気付いた。つまり、引きずり下ろすのではなく、降りざる得ない状況を作ればいい。


「ベイ! フィル! 協力し、視界を悪くすることはできますか!?」

「よっしゃ! 俺が土埃をあげるから、フィルが風で広げろ!」

「任せてください!」

「リナとフーリムは僕の近くに!」


 そこまでルアダが告げたところで、ベイは土の魔法で土壁を作り、砕き壊す。合わせフィルは土を巻き上げ、視界を悪くした。


 ワイバーンは、この行動に対し不思議に思った。土埃などは、この位置からでも簡単に打ち払える。まるで意味がない行動に思えたからだ。

 少しだけ思考したが、ワイバーンは突風を起こし土埃を払う。そして、場を見て驚愕した。

 ……その場には、誰もいなかったのだ。


「ギギギオ」


 慌て首を動かし、周囲を見る。すぐに走っている人影が見つかった。

 フィルとベイが全力で走り、ワイバーンが封じていた道の先を目指している。この位置からでは足止めができない。

 即座に判断したワイバーンは――残り三人の行方を忘れ――高度を下げつつ、フィルとベイを追った。


「来た来た来たぞぉ!」

「いいから走ってください!」


 すぐ後方に迫るワイバーン。しかし、その後方で空へ飛びあがる二人がいた。

 フーリムが作った氷を足場にし、リナが飛び上がる。だが高度は足りない。ワイバーンは気付いていないが、意味がない行動。

 フィルとベイは、ルアダを信じている。意味のない行動をするはずはなく、指示された通りに走った。


「ギオオオオオオオオオオ!」


 限界であり、防御行動をとらなければならない。それでも二人は走り続けた。

 その時、届かぬリナの背を蹴り、さらに上空へと飛んだ影。それはルアダだった。

 空中で矢を構え、先に居るワイバーンの背。ではなく、刺さっている槍を狙う。ドッドッドッと高くなる心臓を押さえ込み、乾坤一擲の一射をルアダは放った。

 真っ直ぐに進むワイバーンに、真っ直ぐに雷の矢が飛ぶ。その矢は狙い通りにフィルの刺した槍へ当たり、槍を通して雷がワイバーンの体へ流れ込んだ。


「ギッ! ギギギギギ……ギオオオオオォォォ……」


 全身を雷に貫かれたワイバーンは、急激に高度を下げ、地面へと落ちていく。

 すでに意識は無く、五人の勝利は確定していた。……しかし、まだ全力で走り、焦っている者がいる。

 二人がいたのはワイバーンの前方。そしてワイバーンが落ちて来るのは自分たちのいる場所。

 必死で走る二人のすぐ後方に、ワイバーンが轟音を立てて落ちた。


「うぎゃあああああああああ!」

「ああああああああああああ!」


 吹き飛ばされた二人は、頭を守りながら地面をゴロゴロと転がる。そして大きな岩へぶつかり止まり、横たわった。

 慌てて三人は、二人へと近づく。手を借りながら、なんとか二人は立ち上がった。


「ワイバーンに勝って、ワイバーンに潰されて負ける。そんなマヌケなことになるかと思ったぜ」

「ベイさん、頭から血が……」

「ん? まじだ! うぉー! 血を見ると痛くなってくるぜ! いててて!」


 なんとか勝利を掴んだ五人が笑っていると、後方で音が上がりワイバーンが動き出す。

 油断していた五人は慌てながらも武器を構えたが、ワイバーンは攻撃をしてこない。

 不思議に思っていると、ワイバーンの口から声が聞こえた。


「ギ……ニンゲンヨ、ミゴトダ。山ヲ登レ。オレトノ、竜王リラーク、トノ謁見ヲ許ソウ」


 その言葉を聞いた五人は、今度こそ終わったと、力を緩め腰を落とした。

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