第42話

 左右を深い森に阻まれている開けた岩場を、ここを進むしかないと言われているように進む。

 どこから竜が出るのか、いつ襲われるのか。どんな時も警戒は怠れない。

 緊張の面持ちで一同は進んだ。


 その中、珍しいことに先頭をフィルが歩いていた。

 進む足には力が入っており、焦るわけでもなく一歩一歩を踏みしめている。不思議そうに皆が見ている中、ベイだけは笑っていた。


 ベイは腕を組み、うんうんと頷く。不安定な足場で、そんなことをしていれば当然バランスを崩す。

 ずるりと滑り、ベイは焦った顔になる。しかし、彼に伸ばされていた手があった。なんとかそれを掴み、大男は苦笑いを浮かべる。手を掴んだフィルも、穏やかな笑みを彼に向けた。


 なにも起きず、なにも感じない。一見すればピクニックのような様相で、一同は山道を進む。

 分かることは、先に行けば行くほど緑が減って行くこと。岩場だらけになり、閑散とした景色へと変わっていった。

 だが、それでも静かである。この場所だけが、戦乱という枠組みから外れているかのような異質さがあり、同時に平和を感じさせた。

 人と魔族が争う世界。どちらかが滅ぶまで終わらない戦い。その全てと関わっていない場所。

 ここはそういう場所だった。


 ――しばし登り、一行は休息をとることにする。先は長く、早く登ることよりも、安定した登り方が求められていた。

 適当な岩に腰を掛け、背を任せる。一息吐こうと、汗を拭う。魔法で冷やした布が、とても気持ち良かった。


 ルアダは座ったまま荷物を開き、地図を取り出す。しかしこの場所は未踏の地。見ても得られる情報は、ほぼ無かった。

 眉間に皺を寄せていると、リナがぴょこっと背から顔を覗かせる。地図を見て、彼女は笑った。


「今、ここでしょ? ならもう少しだね!」

「……リナ、砦がここです。つまり、まだほとんど進んでいません。後、現在地はそこではなく、ここら辺です」


 山の中腹当たりだと予想していたリナは、うげぇと口を開いた。理由は、ルアダが指差しているのが、まだ麓とほとんど変わらない位置だったからである。

 口を出してどうにかなるわけでもない。リナはルアダから離れフーリムへ近づき、氷をいくつか出してもらう。それを全員の水筒へ分配し、投入した。

 これはこの世界では当たり前の知恵である。水源の場所も分からない。荷物を増やすことも避けたい。そういった事情からの対策で、当然ともいえる手法だった。


 ベイは冷たい水を飲み、氷を口に含んでバリバリと砕いた。それを見てフーリムは微笑み、氷を追加する。いつものことであり、取り立てて何も言う必要はなかった。

 フィルはじっと雲がかっている山頂を見る。何を考えているかは、誰にも分らない。ただ深い事情があるということは、誰もが察していた。


 休憩を取った一同は、足場に気を付けながら山頂を目指す。

 実際のところ、山頂に向かえば竜と出会えるかは分からない。だがオースティンから伝えられた情報によれば、山頂付近を竜が飛んでいるのをよく目撃している。とのことだった。


 暑さや気怠さを感じつつ登っていると、急に暗くなる。元々薄暗いのだが、明らかに黒く周囲が染まっていた。

 黒い空から僅かばかりに零れていた日が、陰ってしまったのだろうか。全員が空を見上げたが……そうではなかった。

 上空より、羽と腕が一体となっている緑色のワイバーンが、翼をはためかせ地へ降り立つ。

 ワイバーンは、行先を阻むように前へと立ち、頭を天へ向け、大きく吼えた。


「ギオオオオオオオオオオ!」


 ビリビリと空気が震える。全長にして4mほど、首を曲げていることで少し縮んで見えるワイバーンは、フィルたちを睨みつけていた。

 動揺していたが、それを押さえルアダは前へと立つ。彼らの目的は戦闘ではなく、会話。ここでワイバーンと戦う必要性はなかった。


「僕たちは竜と交渉をしたく来ました。決して争うつもりはありません」


 言葉が通じているのか通じていないのか。判断には困るところであったが、答えはすぐに出された。

 ワイバーンはルアダの言葉に対し、片翼を大きく振る。それだけで突風が起き、全員は急ぎしゃがんだ。

 伏せながらも言葉をかける。だが届くことはなく、それ以上の行動もない。

 なぜ襲って来ないのか。訝し気にしている一同の中で、最初に気付いたのはフーリムだった。


「もしかして、わたしたちに警告してるの……?」

「グオオオオオオオオオオオオオ」


 返答とばかりに、ワイバーンは唸り声を上げる。これ以上進むな、見逃してやる。進むというのなら、相手になろう。

 それは、竜たちから人に対する拒絶。そして恩情でもあった。



 竜の棲家。山頂には繰り抜かれたような大きな穴が開いており、その中には玉座、そして数体の竜人がいた。

 竜人とは、上位の竜が力を押さえている姿。だが人と慣れ合うための姿ではなく、あくまで力の消耗を押さえるための姿である。

 鏡の中、映っているのはフィルたち一行。それを見ながら、レヴォネは舌打ちした。


「人間が我らの棲家に入って来た。なぜ殺さない」

「人にも魔族にも興味は無い。我々は誰にも従わず、今の生き方を変える気もない。争いの火種を好んで作る必要はないということだ」


 長く白い髪、紅蓮のように燃える瞳。その場にいるだけで空気を重くする威圧感。

 玉座で足を組み、人でいえば40代ほどに見える男性は、竜の王だった。


 名を竜王リラーク。


 数百年前、同じ竜ですら手を焼いていた先代の竜王。暴竜と呼ばれ、世界を滅ぼうとしていた存在を、力で圧し潰した現竜王である。

 見た目こそまだ若いが、すでに老いた竜であり、力は衰えている。だがそれでも逆らう者がいないのは、彼の力が健在である証拠だった。


 リラークが足を組み直し、肘掛けに肘を乗せ頭を置く。下位の竜たちならば、その行動だけで恐れ慄いただろう。

 しかし、周囲を囲む竜人たちは、竜の中でも際立った実力を持つ者たち。平然とした様子で鏡を見ていた。


 もっとも年若き竜であるレヴォネもまた、強き竜である。なによりも彼女は、この最強の竜王の血を受け継し者。

 次期竜王となることが確約されているレヴォネは、父であるリラークを恐れもせず、不満な顔を崩すことも無かった。


「レヴォネ、なぜ不満そうな顔をしている」

「……我が不満なのは、人間を見逃そうとしていることだ。人という種は、すぐに勘違いしつけ上がるからな」


 レヴォネは不満そうであったが、リラークは彼女の視線がどこを見ているかに気付いていた。全員を見ているのではなく、たった一人の人間を見ている。

 その美しさから、数多の竜から求婚されても力で黙らせてきた娘。そのレヴォネが、小さな人間に不愉快さを表している。それがリラークにはとても不思議だった。


 人間たちが来た理由は想像がついている。魔族との戦いに力を貸してほしいと頼みに来たのだろう。

 本来ならば、聞く必要もなく一蹴する事柄。しかし、レヴォネの態度でリラークはほんの少しだけ興味を持った。薄い赤色のような、夕焼けの髪色をした人間に。



 前に進まなければ戦闘は起きない。だが、進まないわけにもいかない。

 フィルたちはその場に立ち尽くしたまま、身動きが取れずにいた。


 ルアダはこの状態になって、すぐに全員へ戦闘行為を禁じた。

 協力を申し込みたいのに、戦うことは悪手である。今しなければならないことは、会話する機会を得ること。

 なのに、話すら聞いてもらえていない。どうするべきかを悩んでいると、少し体を震わせたワイバーンから、声が響いた。


「ギオオ……ニンゲン、ヨ」

「お、おい。こいつ、人の言葉を話し出したぞ」

「ベイくん、少し黙っていて!」


 ルアダよりも先に、リナがベイを咎める。少しでも情報が欲しい中、余計な言葉を発すべきではなく、当然の判断。

 全員が黙り、ワイバーンを見る。首を少し振り、ワイバーンは口を開いた。


「タチサレ。タチサラヌノナラバ……」

「帰れ、と? 申し訳ありませんが、そういうわけにはいきません。どうか、話だけでも聞いていただけないでしょうか」


 立ち去ることはできない。だが話を聞いてもらいたいと、ルアダは必死に頼み込む。しかし、ワイバーンは鼻を鳴らすだけだった。

 ワイバーンの先にいる何者か、言葉が通じる者に話を通したい。何を言えばいいか、何を言えば興味を引けるか。動揺を隠し考えるしかない。

 だが誰よりも先に、何も考えずに口を開いた者がいる。それはフィルだった。


「一つ教えてください。そこに銀髪の女性はいますか?」

「……イタラ、ドウスル」

「会わせてください。いえ……会います」


 はっきりと、躊躇いなくフィルは宣戦布告をする。

 その言葉を聞き、ワイバーンの先にいる人物がにやりと笑う。

 リラークの意思に呼応するよう、ワイバーンは大きく翼を広げる。そして、フィルの宣戦布告へと返答をした。


「チカラヲシメセ! ギオオオオオオオオオオオオオ!」

「巻き込むわけにはいきません、全員下がっていてください!」


 フィルの目に、手に、力が籠る。

 交渉の邪魔をしている、それが分かっていても引くことができなかった。

 そんなフィルの頭を後ろから叩き、ベイは前へ出る。

 リナとフーリムは横へ立ち、ルアダは後ろでやれやれとため息を吐いた。


「あの……」

「やるぞ! ルアダ、指示は任せた!」

「あぁもう、これしか方法がなかったのでしょうか! ……ふぅ、全員戦闘態勢! ワイバーンを打ち倒し、今度こそ交渉をします!」

「でも……はい!」


 でも、それは、様々な言い訳が、他の人を引かせるべき言葉が浮かぶ。しかし、それをフィルは全て胸の内にしまった。

 ルアダの言う通り、あのまま話していても埒は明かなかっただろう。ならば、最高とは言えなくても最善の選択。

 道は閉じられず残った。ならば全員で越えなければならない。


 翼を広げ、先程以上に大きく見えるワイバーンに対し、五人は各々の武器を構えた。

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