第41話

第四十一話


 どれだけ恐ろしい目にあったのだろうか。完全に戦意を失い怯えていた山賊たちは、逆らうことなくルアダたちに従った。

 ただ震えるだけの山賊を断ずることはできない。一同は血の涙を流しながら眠るフィルを連れ、グラース砦へと帰還することとした。


 ――三日後。

 フィルはまだ目を覚まさない。死体と見間違うほどに青白くなった少年を、誰もが心配した。

 しかし、フィルをずっと見ていることはできない。オースティンの指示の元、山賊たちの今後について行わなければならないことは、いくらでもあった。


 誰もいない夜中。フィルは目を覚ました。

 周囲を見渡すが、暗い中に誰もいないことが分かる。ここがどこであるかも考えたが、分かるはずもない。

 頭がズキズキと痛んだが、しばし目を瞑ると消えた。


「なん……で……」


 誰もいない中、涙を流し呻く。

 どうして会いに来たのか。それは過去で出会っていたからだろう。

 なぜ自分を見て涙を流したのか。これから彼女と何かが起きるのだろう。

 槍を持たせた理由は。自分が槍を扱う者、英雄になると知っていたのだろう。

 自分を助けたのはなぜか。過去に送るためだろう。


 ガンッとベッドを叩く。英雄に憧れなどは無い。信じていた女性から、英雄になれと押し付けられた。その感情からの苛立ちを押さえられない。


 血が流れるほどに強く拳を握った後、ゆっくり細く息を吐く。不思議なことに、心はそれだけで落ち着きを取り戻した。

 この時、フィルははっきりと理解する。彼女の言う通り、自分は壊れているのだと。

 壊れているから大丈夫。壊れているから、壊れていることが悲しくは無い。

 それが、たまらなく悲しかった。


 聞きたいことがあり、叫び声を上げたい。なのに、どうでもいいことだと心は語り掛けている。


「あぁ、これが壊れているってことなのか」


 誰にも聞こえない呟き。それは不安も何も感じさせず、ただ重いものだけがあった。


 落ち着きを取り戻してしまったフィルは、もう一度考える。

 一つだけ、どうしても気がかりなことがあった。なぜ彼女が、自分を見て涙を流したのか。あんなに悲しそうな表情を見せたのか。


 ……英雄にしたかった? それも少し違う気がしていた。彼女が求めていたことはなにか。この時代の彼女に聞いても分からないが、知る必要があった。

 とても小さなことだが、どうしても聞きたいことがある。それを聞くために、フィルは立ち上がった。



 暗く静かな中、ギィッと立て付けの悪い扉の音が響く。廊下へ出たフィルは、左右を見渡す。微かに明かりが灯っている場所があり、暗い中でも歩くことは困難ではなかった。

 ただ歩く。うろ覚えながらも、フィルは昨日の彼女の言葉を覚えている。「我ら竜の棲家に仇なした者」。つまり、彼女は竜だったのだろう。

 このまま竜の棲家へと向かいたいところではあったが、考えなし過ぎる行動は躊躇われた。

 なによりも、フィルたちは竜へ協力を申し出るために来ている。焦らずとも、もう一度出会うことは必然であった。


 少し歩いた先、月明りが漏れている場所がある。なんとはなしに足を向けてみると、そこは外が見渡せる場所となっていた。

 眠る気分ではなくなっていたフィルは、ぼんやりと足を進ませる。開けたその場所には、鼻歌を流している男がいた。


「ん?」


 フィルの姿に気付き、男は後ろを見る。確認した彼は、軽く手を上げていつもの様子で笑った。


 ベイの隣へ、フィルも立つ。何か言われるだろうと思っていたが、ベイは何も言わなかった。

 ただぽんっと背を叩き。にっこりと笑う。たったそれだけの行為が、フィルにはとても温かく感じた。

 二人、星空を眺める。言葉も無く、視線も合わさない。穏やかで快い時間が過ぎていく。

 その静寂の中、先に口を開いたのはフィルだった。


「竜の棲家へ行きます」

「おう、まぁ明日か明後日か。準備が出来てからだな」

「はい。……僕も行っていいですか?」


 ベイにはフィルの言葉の意味が掴めなかった。置いて行くつもりなどはない。最初から、共に行くつもりで彼はいた。

 だが弱弱しく、本当に行ってもいいのか。そう問いかけるフィルを見て、しばし考えた。

 フィルが何を聞きたいのか。どうしてそんなことを問いかけたのか。

 理由は幾らでも想像でき、答えは一つも出なかった。


 年長者として、仲間として、友として。様々な答え方が浮かびはしたが、ベイはあくまでベイとして答えることにした。


「行きたいんだろ? なら行こうぜ」

「行きたいんでしょうか」

「知らん。だが俺にはそう見える。ルアダなら『自分で考えないといけない』とでも言っただろうな。リナなら、話を聞いて答えを一緒に出してくれるだろう。フーリムは駄目だ。ありゃガキんちょだからな」

「ははっ」


 おどけて言うベイに、フィルは微かに笑った。しかし笑いながらも、ベイがふざけているわけではないことは分かっている。

 だからこそ、言葉の一つ一つを忘れないように心へ刻んだ。


 何を言えばいいのか。そんなことはベイ自身にも分かっていない。それでも出来る限りの言葉を、自分の気持ちをフィルへ伝えようとしていた。


「俺が行くなって言ったら、フィルは悩むだろ? 行こうって言ったら、行ってもいいか悩む。だから、俺は自分で思った通りのことを、はっきりとお前に伝えてやる。行こうぜ、行けば分かるさ」

「行かないと分かりませんよね」

「そうだ、足を止めたら終わりだ。停滞するくらいなら、進めよ」


 ぐっと拳をベイは強く握る。フィルも同じように、強く拳を握った。

 拳と拳が、ゴッと音を立てぶつかる。僅かな痛みが、揺れていた心を打ってくれた。

 行くしかない。そんなことはフィルにも分かっている。しかしそれでも、他の人の話を聞きたかった。

 相談に乗って欲しかったのでも、背を教えて欲しかったのでもない。フィルが欲しかったのは、好きにしてもいい。その一言だった。


「行きます。いえ、行きたいから……行く」

「それでいいさ。やってから考えようぜ。まず大事なのは、やるかやらないか。お前は行くんだろ?」

「はい」


 悩んでいたのが嘘だったかのように、フィルの口からはするりと言葉が出た。会っていいのか、行ってもいいのか。そういったことは全て消える。

 会いたいから、聞きたいから、行こう。

 大事なことを教えてくれた拳の痛みを、ベイの言葉を忘れぬよう。フィルは痛みを刻み付けるよう、拳を擦った。



 明後日みょうごにち、フィルたちはグラース砦の先へ立っていた。

 共に進むのは、リナ、ルアダ、ベイ、フーリム。僅か五人。竜の棲家へ踏み入ろうとする、自殺志願者と変わらない一同。

 そんな五人を見送ろうと、数名の兵士、そしてオースティンがいた。


「これよりグラース砦は臨戦態勢となる。余計な面倒事は起こすな。特に死体処理などはごめんだ」

「……俺たちが行ったら、面倒事は起きるよな?」


 ベイがぼそりと呟いた瞬間、尻をリナが蹴り上げる。遠回しに、無事に帰って来いと伝えるオースティンの心遣いが、ベイにはまるで伝わっていなかった。

 オースティンはため息を吐き、本当に大丈夫かと顔を顰める。ルアダはその顔を見て、苦笑いをしてみせた。


「大丈夫です殿下。役割を果たせるよう、全力を尽くします」

「心配はしていない。任務を果たせ」

「仰せのままに」


 蹴られた尻を撫で上げるベイへ笑っているフィル。それを見て、オースティンは眼鏡を押し上げた。

 先日とは少し雰囲気が違う。フィルの冷たい眼差しに、僅かばかりの温かみを感じていた。

 本質に誰もが気付いていない中、一人だけ気付いたオースティンはルアダへと近寄る。そして耳元で、小さく呟いた。


「フィルと言ったか。あの少年、閉じていた心が少し開いている」

「えぇ、元々は困りながらも頑張っている人柄でした。それなりに笑うほうで」

「そうではない。あのままでは……本当に壊れるぞ」


 オースティンの言葉に、ルアダは目を見開く。そして改めてフィルを見たが、なぜ壊れるのかは分からなかった。

 少し落ち着いた、そう思っていたのだが……。ルアダはオースティンの言葉を、忘れぬよう深く反芻した。


 やれやれと思いつつ、オースティンはフィルへと近づく。この様なお節介は好まない。しかし、気づいて放っておくのも後味が悪い物があった。


「フィル」

「はい、殿下」

「そのままでいい。そのまま進め。様々なことがあるだろう。しかし、それを受け止めろ。……人間とは、そういうものだ」


 言葉の意味は正しく伝わった。だが、フィルは首を横へ振る。自分は弱く、受け止められない。それを理解していた。

 壊れてしまうかもしれない。受け止められないかもしれない。それでも……足だけは止めない。

 悲しみを帯びた表情で、フィルは笑う。覚悟を決めている笑みに、オースティンは嘆息した。



 一同が旅立った後、部下の一人がオースティンへと話しかけた。


「殿下、なぜあのようなことを?」

「あの少年は心が弱い。受け入れることができず、足掻いてしまう。諦めることも人には必要だ」

「諦めず足掻く、それはいけないことですか?」

「悪くは無い。しかし、心がもたない。人とはそういうものだ。壊れたままでも進めるとしたら、それは……」


 化け物と言おうとし、オースティンは気付く。これから彼らが向かう場所にいるのは、間違いなく化け物。竜と言われる生命体。

 化け物を従わせられるとしたら、壊れていなければいけない。恐らくそれは……。

 まさかな、と思いオースティンは考えを振り払おうとした。しかし、考えは消えない。


 壊れかけた人間が、化け物と対峙して壊れる。それで終わりだ。先はない。

 今度こそ考えを捨てたオースティンは、部下たちに命じる。

 いつ襲い掛かってくるかも分からない、竜への警戒を……。

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