第三章 竜の住まう場所

第38話

 ―― 一ヶ月後。

 数多の襲撃があったものの、五人は北方の砦近くまで辿り着いていた。

 後、一日もあれば到着する距離。野営をしている五人は、疲れ切りぐったりと項垂れていた。


 誰もが口を開かない中、フィルは目を瞑り考える。

 紅蓮の鎧は、あれから襲って来ない。この一ヶ月、襲って来る者と戦い続けた。今ならば、勝つことができるのか?

 己の実力を過剰に評価せず、イメージをする。相手は実力を出し切っていなかったことも加味し、頭の中で戦闘を行った。


 ……フィルは、ぶはっと大きく息を吐いた。何度イメージしても、勝てる勝てないどころではなく、真面に戦うことすらできていない。

 五年、十年。そんな時間はなくとも、鍛えれば勝つことができるのだろうか?

 想像し、首を横へ振る。恐らく勝てない。人の種としての限界を超えることが、想像できなかった。


 しかし、勝つことはできる。他の人には分からなくとも、フィルにだけは分かっていた。

 なぜならば、未来ではそれを打倒した人間の記録が残っていたからだ。

 英雄と三騎士。彼らは間違いなく魔族よりも強く、人を越えた存在だった。

 武器か、能力か。悩むフィルの脳裏に、赤い槍が過ぎる。英雄の槍と呼ばれていた、あの深紅の槍だ。

 あれは特殊な能力を秘めていた。もしあれが手に入れば、実力を越えた力を得られるのだろうか?

 ……首をもう一度横へ振る。一度触れただけの槍でしかないが、それは違う気がした。

 悩みを払拭できずにいると、ポンッと肩が叩かれる。顔を上げたフィルの前には、ベイがいた。


「なに難しい顔してんだ」

「紅蓮の魔族に勝つ方法を考えていました」

「あいつか……。とんでもないやつだった。どうすればあそこまでの実力を身に着けられるのか、想像もつかねぇな」


 ベイは僅かに火傷の跡が残っている腕を擦る。痛みは残っていないのに、まだ燃えているような熱が感じられた。

 触れることで思い出してしまっているのだろう。それは分かっているのに、疼く腕の熱さは消えなかった。


 黙って話を聞いていただけの三人も、同じく思い出していた。そして考える、どうすれば超えられるのかと。

 しかし、答えは出ない。人では到達できぬ圧倒的な実力差に、誰もが気付いていた。


 ただフーリムだけは違う。魔族であり、到達することができる存在。……しかし、まだ幼い魔族の彼女には、その方法が分からない。

 単純な鍛錬なのか、特殊な能力か、それ以外のなにか。想像しても分からず、やはり俯くしかなかった。



 答えが出ないまま休んでいると、物音が聞こえてきた。また敵襲の可能性がある。

 即座に五人は疲れた体に鞭を打ち、立ち上がって武器を構えた。


 荒い呼吸、二人ほどの足音。油断せずに暗闇を見ていると、人影が現れた。

 明かりから見える姿は、裸足で髪を振り乱し、服も破れている女性。そして手を引かれている八歳ほどの少年だった。


「た、助けて……」

「分かった! 二人は私たちの後ろに下がってね!」


 リナは躊躇わず頷き、すかさず親子を守れる位置へと下がらせる。

 しかし、相手が人間だったと知っても五人は警戒を解かなかった。

 なぜ夜遅く、親子が裸足で逃げている? 考えるまでもなく、五人は同じ結論へと至っていた。

 ……魔族が襲って来る。親子の逃げて来た方向からか、別の方向からか。周囲を警戒し、どこから襲い掛かられても大丈夫なように身構える。

 だが、多くの足音と共に現れたのは、人間だった。


「あぁ? おいおい、見ろよ。女が二人増えたぞ」

「ぐぇっへっへっへっ、男も可愛い顔してるじゃない」

「あぁいう筋肉隆々としたやつを、ひぃひぃ言わせるのが楽しいんだろうが」


 明らかにおかしなことを言っている彼らは、身に毛皮や骸骨を纏っていた。手には血の跡がある使い古された武器。

 魔族との戦いが優先される時代、数を増やしている彼らは……山賊と呼ばれている者たちだった。


 震えている親子をちらりと見た後、ルアダは一歩前へと進み出た。


「自分たちはアルダール王国の騎士です。本来は山賊稼業を見逃すわけには行きませんが……即改心し、この場を立ち去るのであれば見逃しましょう」


 一瞬きょとんとした後、山賊たちは大きく笑い出した。

 自分たちは十人、相手は戦えそうなのが四人に女と子供二人。

 ルアダの言葉をハッタリ以下と取り、彼らは口元を歪めて笑った。


 さっさと殺すなりして帰るか。そう思った山賊が動き出そうとしたとき、悲鳴が上がった。


「ぎゃああああああああ! いてええええええええ! 俺の足があああああ!」


 叫び声を上げた男の両腿に、二本の矢。ルアダが放った攻撃は油断していた山賊の足を穿っていた。

 これで退いてくれれば……そう思っていたが、失敗だったと気付く。

 彼らは歪に笑うことを止めず、じわりじわりと迫って来ていた。

 痛みを恐れず、笑いながら襲いかかろうとする山賊。違和感を覚えたが、答えを見つける前に山賊が飛び掛かった。


「ガキは俺が仕込んでやらぁ!」

「俺はそっちの女だてらに剣を持っているやつを貰うぞ!」


 応戦するしかない。同じ人間を、なるべく殺したくない。そう思い各々が武器を握り直す。

 しかし誰よりも早く、一歩前にリナが踏み出した。


 山賊は下劣に笑い、標的をリナへと定める。腕の一本でも切り落とせば大人しくなるだろう。

 そう考えていたのだが、腕を失ったのは下劣な山賊のほうだった。


「ひ、ひぎいいいいいいいいいいいい! 腕が! 腕がああああああああああ!」

「まだやるのなら、もっと痛い目にあってもらうよ?」


 一閃の元に腕を切り落としたリナを見て、山賊たちの動きが止まるはずだった。しかし彼らは気にも止めず、地面を這いまわる仲間を蹴り飛ばした。


 親子を守りながら、ベイは舌打ちした。こいつらは……狂っている。

 なによりも、騎士という存在をしっかりと理解していた。

 現在、人は加速度的に数を減らしている。そのため、例え相手が山賊であろうと、無闇に殺すことは躊躇われていた。

 自分たちの命を脅かしている。だから殺すしかない。

 分かっていても、どこまでやられたら殺すのか。殺していいのか。そういった判断は自分でつけるしかない。


 当然の様に理解している山賊たちは、果敢に攻め込んだ。

 相手が決断する前に、決断できないうちに勝負を決する。山賊稼業を生業としている彼らは、そのことを理解し、最善の戦い方をしていた。

 彼らに誤算は無い。あったのは、二つの異分子だけだった。


「おらおら! さっさと降伏したら、腕や足を失わないで済むぞ!?」

「……退いてはもらえませんか?」


 自分の斧をうまく槍で逸らす少年が、妙なことを問いかけてきた。

 山賊は考えもせず、即座に判断する。こいつはまだ戸惑っている。今のうちに腕を切り落としてやろう。

 にたりと笑い、大きく斧を振りかぶる。次の瞬間、山賊の頭は首の上に無かった。


 血が噴き出し、ごとんと重い何かが落ちる音。薬で頭がイカれていた山賊たちが、急速に冷静さを取り戻した。

 戦い始めたばかりであり、経験上では、まだ相手が決断できない状況。そう判断していたのに、仲間の首は地面へ落ち、歪な顔で笑っていた。


 槍を振り、血を飛ばすフィル。

 ぼんやりと虚ろな瞳を見て、山賊は慌てた。……あいつは、なにかやばい。

 こういうときに有効なのは人質だろう。手近な少女を盾にしようと、手を伸ばす。

 伸ばした手と頭が、氷に吹き飛ばされた。


 相手が悪かったとしか言いようがない。逃げて来た親子に手を伸ばせば、まだ違ったかもしれない。なのに彼は、弱そうに見えたフーリムへと手を伸ばしてしまった。


 山賊たちはこの時、漸く自分たちの状況を理解した。

 狩る側だと疑わなかったのに、狩られる側になっている。

 いつも通りの狩りだったはずなのに、自分たちの命を刈り取る存在が混じっている。


 冷静さを取り戻し、戦意を失った山賊たち。彼らは武器を地面へ落とし、両手を上げた。



 山賊を全員縛り上げ、身動きをとれなくする。一段落ついたフィルたちは、どうするかを話し合うことにした。


「親子を避難させ、山賊たちを投獄する必要があります」

「ってなると、北方の砦まで連れて行くしかないのか?」

「そうなのですが……」


 ベイの問いに頷けず、ルアダは親子を見た。

 この辺りに村は無い。となると、この二人が逃げて来たのは山賊のアジトの可能性が高い。

 ならなぜ、砦の方に逃げなかった? あえて離れる方に逃げた理由は? 考えても答えが出ることではなく、ルアダは親子へ問い質すことにした。


「失礼ながら、少し話を聞いてもいいですか?」

「は、はい。助けていただきありがとうございます」

「これも騎士の勤めだからね! 私たちのことは気にしないで!」


 リナの温かな言葉を聞き、強張っていた親子の体から少し力が抜けた。

 想像しなくとも、苦労していたことは分かる。僅かに微笑む少年の姿が、五人には痛ましく映った。


 落ち着きを取り戻してくれたことを理解し、ルアダはすぐに話を続けることとする。

 また山賊が襲って来る可能性がある以上、長々とここに留まることは躊躇われるものだった。


「お二人は山賊のアジトから逃げて来たのですか?」

「そうです。私たちの村は魔族に襲われたのですが、なんとか生き延びることができました。ですが、すぐ後に山賊たちが襲って来て……」


 母親はギュッと少年を抱きしめた。彼らがどのような境遇にあっていたのかは、聞く必要が無い。

 子供は虐げられ、女は凌辱される。山賊のやることなど、どこでも大差は無かった。


 想像したくないのに想像してしまい、胸や腹に重い物を感じる。それにぐっと堪え、ルアダは最後の質問を投げかけた。


「なぜ北方の砦に逃げなかったのですか?」

「……もしかして、知らないのでしょうか?」


 知らない、とはどういうことだろうか? 五人はお互いの顔を合わせたが、誰もが首を傾げる。

 母親が告げる言葉の真意が、五人には分からない。戸惑っていると、母親が様子に気付き口を開いた。


「北方の砦は、竜を警戒するもの。逃げて来た人を受け入れる場所ではありません」

「は? いやいや、竜を警戒するのも人を助けるためだろ? なのに、人を受け入れない? そんなわけないだろ」


 そんな理不尽なことあるはずがない。ベイは苦笑いを浮かべながら「ないない」と言った。

 しかし、この母親が嘘をつく理由もない。一体どういうことなのか? ……答えを知るには、北方の砦へ向かうしかなかった。


「とりあえず、この場に留まるのはまずい。夜動くのは危険ですが、砦へ向かいましょう」

「だな。よし、行くか! おら、てめぇらも立て!」


 ベイは山賊たちを蹴り上げ、立ち上がらせる。

 現状では、砦へ彼らも連れて行くしか無かった。


 そんな中、フーリムはぎゅっと拳を握り、フィルを見る。

 フィルが不思議に思っていると、悲しそうにフーリムは告げた。


「これもわたしたち魔族のせいなんだよね……」

「違う。それは絶対に違うよ」


 魔族のせいで山賊になったかもしれない。しかし、戦い抗っている人々のほうが多い。

 それはつまり、魔族のせいではなく自分たちで選んだ生き方。

 この様な状況で、彼らは人間から奪うことを是としたのだ。


 魔族のせいかもしれない。戦争がなかったら、笑って生きていたのかもしれない。

 ……例えそうだとしても、その考えを認めることはできない。

 フィルはフーリムの手を握る。なんの答えになっていなくとも、ただただ握りしめた。

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