第36話
馬で旅立った五人が向かうべきは、竜族の住処。
戸惑いを捨てたフィル。
共に進むと決めたフーリム。
理想に準じると決めたリナ。
現状を見定めているベイ。
そしてフィルの考えが読み切れないルアダ。
しかし、今は進むことが優先。ルアダは感情を押し隠し、目的地について話し始めた。
「僕たちはまず北方にある砦を目指します。竜族を牽制するために作られたと言われています」
「竜族との戦闘は行われているんですか?」
フィルの問いに、ルアダは首を横へ振る。
竜族の力は強大である。人が戦ったとしても、勝てる保証はない。
なによりも、彼らはその力ゆえに戦乱に関与しない。人が滅びたとしても関係がないためであった。
そんな相手と協力はできるのか? ルアダの答えは、否である。協力できるとは思えない。
しかし、それほどまでに人は追い詰められている。生き残ることを考えれば、竜族との協調は必要なことであった。
ルアダの態度から、簡単にはいかないことをフィルも理解する。英雄はどうやって竜族との協力を成功させたのだろうか?
幼いころ読んだ本には、細かい内容は書いておらず、その方法までは思い出せない。
何かヒントはあるはずだと思い出そうとしていたとき、フィルの前へちょこんと乗っていたフーリムが、ピクリと反応する。
そしてそれよりも少し早くルアダが気付き、四人へ声を発した。
「後方から人狼! 前方の橋を急いで抜け、落とします。そうすれば時間を稼げます!」
舞い上がる砂塵は、人狼たちの追手によるもの。もっとも目が良いルアダはそれに気づき、即座に指示を出した。
だが、フーリムだけは前をじっと見ている。前方に強い魔力を感じており、目が離せなかった。
五人は急ぎ川へ向かい、橋を渡り始める。後ろから来ている人狼たちも速いが、橋を渡り切るほうが速い。
実際その考えは間違っておらず、五人は橋を渡り切る。しかし、そこから先が予想通りにはいかなかった。
橋をすぐにでも落としたい五人の前には、紅蓮の鎧を纏った魔族。周囲には数体のゴブリンとオークが待ち構えていた。
馬に乗ったまま戦うことはできない。馬に乗った状態よりも、魔力で己を強化したほうが圧倒的に強いからである。
五人は馬を降り、後方を見る。長い橋から人狼たちが迫って来ていた。
「リナ、橋を落としてください! 僕たちは敵の相手をします!」
「了解! そっちは任せたよ!」
リナは敵へ背を向け、橋を目指そうとする。その瞬間、彼女の背筋に悪寒が走った。
バッと振り向くと、紅蓮の鎧から炎の矢が飛び、リナへと迫っている。咄嗟にリナは炎球を放ち、フィルとベイも炎の矢を叩き落とそうとした。
だが炎球は足止めにもならず弾かれ、二人も武器ごと吹き飛ばされる。
目前に迫る炎の矢を避けようと、リナは横へ飛ぶ。しかし、炎の矢は何かに阻まれ、周囲には透明な欠片が飛び散った。
炎の矢を最後に阻んだのは、フーリムの氷の壁。耐えきれず砕けたが、防ぐことにはかろうじて成功していた。
フーリムがフィルを見る。怯えた瞳、震える体。彼女の様子からも、紅蓮の鎧が只者じゃないことがフィルにも分かった。
震える体を両腕で押さえつけ、フーリムは口を開いた。
「お兄ちゃん、あれは魔王軍の精鋭。魔王軍でもっとも強い魔族の一人だよ」
「……分かった。フーリムはリナを援護してくれるかい。橋を落とすのが最優先だ」
こくりと頷き、フーリムはリナの元へと走る。しかしそれを許さないとばかりに、炎の矢が放たれた。
防ぐことはできない。ならば逸らす? フィルはどうするかを決め、槍に風を纏わせる。
だがそんなフィルの前へ、大きな壁が現れた。
「うおおおおおおおおおお!」
炎の矢を受け止めたのは、ベイだった。巨大な斧を盾のように前へ差し出し、全身で炎の矢を防ぐ。
先ほど弾かれたのに、防げるはずがない。フィルはそう思っていたのだが、鎧に当たった炎の矢はバシュッと音がした後に消えた。
己の体で防ぎきれる。そう判断したベイは、斧を地面へと叩きつけて紅蓮の鎧を睨みつけた。
「どうしたどうした! 正面からなら、大したことねぇな!」
ベイは手の平を上へ向け、クイックイッと指を動かし相手を挑発する。
その頼りになる背中を見て、ルアダは頷いた。あいつの相手は任せよう。自分は残りの敵を倒さなければならない。
フィルとルアダの目が合う。頷いた二人は、どちらからともなく同時に動き出した。
真っ直ぐにフィルは走った。敵の矢を撃ち落とし、魔法を防ぐ。後方から放たれる光の一閃が、敵の数を減らしていく。
ルアダの雷を纏った矢は、隙を作った相手を見逃さない。正確に一体ずつ敵を穿った。
状況を不利と察したゴブリンとオークが後ずさる。彼らが紅蓮の鎧を見ると、顎だけを少し上へと動かした。
呻き声を上げた後、ゴブリンとオークは再度突撃を始める。下がることは許されていなかった。
多勢に無勢。しかし、決して劣勢ではない。
油断なく戦闘を続けていたのだが、フィルたちの不安は拭えない。なぜ劣勢ではないのか? 理由は分かり切っている。紅蓮の鎧が、先ほどから動かないからだった。
動かない間に、敵の数を減らさなければならない。フィルとルアダがそう思い戦っていた時だ。
紅蓮の鎧の前へ、人一人飲み込んでしまいそうな大きさの炎球が現れた。
「魔力を溜めていたのですか……」
フィルはゴブリンの相手で動けない。ルアダは自分がやるしかないと、矢と雷球を連射した。
しかし、紅蓮の鎧が動かした手に合わせ動く炎球が、ルアダの攻撃を飲み込んだ。
足止めにすらなっておらず、どうすべきかをルアダが考えていると、目の前に大きな土の壁が現れた。
「退いてろ! ……分かってるな?」
ベイの激が飛び、ルアダは飛び出した。この場を任せ、敵を減らさなければならない。
橋を落とそうとしている二人へ被害が出る可能性もあるが、任せろという親友を信じての行動だった。
炎球は軽々と土壁を破壊し、ベイへと迫る。多少の足止めにしかならなかったが、それで十分だった。
ベイは全身を強化し、背に土壁を作る。押し負けることを防ぐため、全力で耐えなければならない。
迫る炎球とベイが……激突した。
「ぐっ、ぐおおおおおお!」
絶叫が周囲へ鳴り響く。背にある土壁が砕け、ベイの巨体が押される。
だが逃げない。炎球を睨みつけ、全身へ力を籠める。橋を落とさなければ、人狼が迫り戦況は覆る。
それ以上に、二人を守らなければならない。守ると考えるだけで、ベイの全身に力が入った。
「ぶっ潰れろ!」
全ての力を出し切り、ベイは炎球を叩きつぶした。地面に突き刺さった斧を支えにしようとしたが、力が入らず膝をつく。
二発目は防げない。そう判断した紅蓮の鎧は、溜めていた魔力で炎球を作り出そうとした。
しかし、膝をついた男が笑っている。不思議に感じていると、突き出した右腕にゴブリンが飛んで来た。紅蓮の鎧は慌てず、魔法の発動を止めてゴブリンの頭を掴む。
ゴブリンが飛んで来た先には、ぼろぼろになったフィルがいた。
「抜けて来たか」
「前に集中してくれていたお陰で、楽に接近できました」
「……後ろを気にしないでいいのか?」
フィルの後ろからオークが襲い掛かる。だが振り向くこともせず、槍を紅蓮の鎧へと構えた。
オークに斬りかかられたところを狙おうと考えたが、パンッと音がしてオークの頭が弾ける。
紅蓮の鎧がちらりと横へ目を向けると、そこには弓を構えたルアダの姿があった。
舌打ちするのを耐え、代わりに掴んでいたゴブリンの頭を握る。鈍い音と共に、ゴブリンの頭が破裂した。
血を浴び、紅蓮の鎧が赤く光る。軽く手を振り、血を飛ばした。
二人で相手にできると思っているのか? ……まぁいい、少しくらいなら付き合ってやろう。
紅蓮の鎧は全身に炎を纏い、腰の剣を抜き、戦闘態勢へと移行した。
フィルは紅蓮の鎧へ近づかず、横へと少しずつ移動をする。隙を窺っているのだが、隙が無い。
突撃し体勢を崩す? 視界を妨げる? 隙を作る方法を考えたフィルは、その両方を同時に行うことにした。
真っ直ぐに進みながら、風の魔法を顔に向けて飛ばす。魔法を防いだところを狙う。
そう考えていたのだが、紅蓮の鎧は動かない。だが纏っていた炎が動き、風を防いだ。
このまま行けばまずいと判断し、フィルはすぐに横へと飛ぶ。次の瞬間、先ほどまでいた場所へ炎で作られた腕が叩きつけられ、地面を穿った。
「勘がいいな。ここで殺すのは惜しい。どうだ、フーリム様を渡せば見逃してやるぞ? どうせなら、熟しきってから殺したい」
「……むしろ、そちらが退いてくれませんか?」
妙なことを言うと、紅蓮の鎧は訝し気な顔を兜の中でした。
殺さないでほしいでも、助けてほしいでもなく、退いてくれと言われたことはない。
その言葉は、退かなければ殺すと言っているようにも聞こえていた。……面白い。やれるものならば、やってもらおう。
紅蓮の鎧は、高く腕を掲げる。呼応するかのように、炎の腕が高く大きく伸びた。
腕を振り下ろそうとすると、ドンッと音が響く。ガラガラと何かが崩れる音がし、水音が聞こえた。
「少し遊び過ぎたか」
橋が落ちたことを理解し、紅蓮の鎧は背を向ける。その初めて見せた隙を、フィルは見逃さない。
……しかし、踏み込まなかった。殺すことが目的ではない以上、攻め込む理由はない。
だがそれに気づいていた紅蓮の鎧は、フィルへと少しだけ顔を向けた。
「何を考えているのかは分からないが、次は踏み込め」
紅蓮の鎧が軽く腕を振る。迫り来る炎の腕は、避けることすら許さずフィルを横から殴り飛ばした。
ごろごろと地面を転がるフィルを見て、期待外れだとため息を吐く。
だが、遅れて兜がピシッと音を立てた。
音がした場所に触れてみると、一筋の傷跡。フィルが咄嗟に放った風の魔法が、兜へ傷をつけていた。
その傷で戦闘に与える影響はない。しかし、それほど手加減をしたわけでもないのに、フィルは立ち上がり槍を構えている。気付けば紅蓮の鎧には、笑いが込み上げてきていた。
槍を構えたフィルは、立ち止まっている紅蓮の鎧へ問いかけた。
「なぜ僕たちを殺してフーリムを連れ去らないんですか?」
「実力の差は分かっているようだな。……人狼たちが橋を渡れていればそのつもりだったが、確実性に少し欠ける。次の機会を狙うことにさせてもらおう」
そんなことはない。彼が本気だったならば、自分たちを皆殺しにすることは難しくない。
しかし、そんなことを言って紅蓮の鎧が考えを変えたら? そう考えれば、今の考えを口から出すことは憚られた。
急に襲い掛かり、急に撤退をする敵。歯牙にも欠けられなかった自分の実力。
ゴブリンやオークも撤退した中、フィルは自分の力の足りなさを嘆き、槍を強く握った。
「もっと強くならないと……」
ふと考える。一体、自分はどこまで強くなればいいのだろう? どこまで強くなれるのだろう? どれだけ殺せばいいのだろう?
……その疑問に答えてくれるものはいない。分かることは、進むしかないと言う現実だけであった。
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