第35話
リナが持ち場へ戻った後も、人狼たちとの戦いは終わらない。
そんな中、絶え間なく押し寄せて来ていた人狼は、標的を定めていた。
狙いはフーリムの奪還。必然的に、東側での戦闘は苛烈なものへと変わっていった。
額に浮かぶ玉となった汗を拭い、フィルは息を吐く。その瞬間を狙い人狼は飛び掛かるが、フーリムの魔法、他の兵の攻撃で撃ち落とされる。
隙があるのに隙が無い。人狼たちは困窮していた。
気付けば隊列の一番前、中央に、フィルとフーリムは陣取っている。
左右を重装歩兵が固めており、倒すことも抜けることもできない。
人狼たちは悟っていた。あの人間を倒さなければ、フーリムを奪い返すことはできない。……このままでは、自分たちが消耗していくだけだと。
なのに超えることができず、打ち倒すこともできない。ただ、理由だけは明白だった。
道を開くためには中央にいるフィルを倒すしかない。人狼たちは犠牲を省みず、戦力を中央へ集中させた。。
今までのように勢いのまま突っ込むのではない。初めて隊列を整え、じわりじわりと距離を詰める。
人狼たちの動きが変わったことに気付き、その場を預かる兵は即座に指示を飛ばした。
「重装歩兵は前へ! フィル、狙われているぞ! 少し下がれ!」
フィルは素直に頷き、少し下がった。
自分が今、この場で最高の戦力であると理解をしている。他の兵の犠牲は悲しいが、それを受け入れることに躊躇いは無かった。
少しだけフィルは悲しくなる。犠牲を出したくない、そう願って戦って来た。なのに今は、犠牲を必要な物として認めている。
スクイードが死んだとき、共に戦った兵が死んだときに感じた悲しみが薄れていた。
人として大切な物を少しずつ捨てているようでもあり、零れ落ちていくようでもある。にも関わらず、許容している自分がいた。
戦うことが、命を奪い合うことが辛い。この感情が薄れ、何も感じなくなるときがくるのだろうか?
それはとても恐ろしく、悲しいものにフィルには感じた。
しかし、受け入れてしまってもいる。相手を射すくめ、槍に殺気を乗せ、構えた。
ぼんやりとだが、自分はもう元の自分には戻れないのだろうと、フィルは理解していた。
個で勝てないことに屈辱を感じながらも、連携を意識した人狼たちは、仲間と目を合わせる。前にいた数体の人狼は頷き、死を覚悟しながらも重装歩兵へと飛び掛かった。
数体の人狼は、重装歩兵と一対一の戦いを始める。それは時間稼ぎだった。
犠牲となる仲間の背を踏み、重装歩兵という壁を人狼たちが越える。フィルたちの前に、人狼たちが降り注いだ。
戸惑う兵を尻目に、フィルは平然と人狼の喉を突き、足を払う。フーリムも同じく、魔法で人狼の顔を抉った。
だが、数が多い。死を恐れぬ戦いを始めた人狼たちは、何体の仲間が殺されても、気にせず飛び掛かる。
運良く地に降り立ったものは、すぐさま真っ直ぐに突撃を開始する。真っ直ぐに進む人狼の後ろでは、左右に別れて攻撃を開始する人狼がいた。
高く飛んだ人狼は、地に降りることを拒否したかのように、直接飛び掛かった。
上下から、左右から、迫り来る人狼。全てを打倒することは不可能だと判断し、フィルは防御に徹した。
「お兄ちゃん、上はわたしが!」
振り向きもせず、フィルは頷く。上からの攻撃をフーリムに任せ、三方向からの攻撃へ集中する。
援護があっても、油断はしない。上空から迫り来る人狼を全て倒し切れるとは限らない。上への意識も残しつつ、攻撃を防ぎ続けた。
状況は少しずつ悪くなる。理由は、フィルを中心として動くことを認めらずにいる、指揮をする人間にあった。
出会ったばかりの若い少年を中心として戦うのか? 巧みに魔法を使う少女を、どこまで信じていいのか?
判断はつかず、迷いだけが頭を過ぎる。なのに判断は下せず、兵たちには傷が増えていった。
フィルは、それに対し何も言わない。自分が少し戦えるようになったとはいえ、指揮権を預かる立場ではない。彼の判断を信じ、戦う。
今の自分がやるべきことは、この場を守ること。それだけを忠実に守り続けた。
……だが、限界だった。
体力も魔力も減り続け、戦線の維持をすることが難しくなる。人狼たちはこの場を抜けることは考えず、ただひたすらにフィルを責め続けた。
そこまで追い詰められて、漸く指揮官は自分のミスを認める。他に方法はなく、信じるしかなかっただと。
「フィルを中心に隊列を組み直せ! まずは囲まれている重装歩兵を助け、下がらせろ! 敵の狙いは、ここを抜けることではない!」
遅すぎる指示ではあったが、兵たちは忠実に従った。重装歩兵を下がらせるため、前へと出る。
しかし、僅かにしか姿が覗えない重装歩兵を下がらせることは困難を極めた。彼らを下がらせなければ戦線の維持も、フィルを守り切ることもできない。
分かっていながらも、命を投げ打ち、血を流し傷つきながらも進む人狼を止めることはできず、逆に押し込まれていく。
打開することはできず、フィルが倒され戦線が崩れることは目に見えている。
だがそのとき、雄叫びと共に、多数の矢が横から人狼を射抜いた。
「突撃!」
「おおおおおおおおおお!」
本隊を率いるハロルドは南側を制圧した後、部隊を三つに分け、自分は一隊を率いて東側への増援へと訪れた。
自分たちに遥かに勝る数を見て、人狼の動きが止まる。留まっていた兵たちも、ほっと胸を撫でおろした。
だがフィルは隙を逃さず、素早く目の前にいる人狼二体の喉を貫いた。
慌てながらも我を取り戻し、人狼は武器を構え直す。そんな彼らにフィルは平然と言い放った。
「退いてもらえませんか? このままでは蹂躙されてしまいます」
「ま、まだそのようなことを……」
指揮官は強く言うことができなかった。ここまで東側の戦線が維持できたのは、確実にフィルのお陰である。
かつ、自分のミスも素直に認めている。そんな状況で、強く断ずることは憚られた。
人狼たちは退くべきか悩んだが、最初に決めたことを押し通すことに決めた。せめてフーリムを奪還する、せめてフィルを殺す。
人間の本隊が突撃してくるまでの僅かな時間、そこに全てを賭けた。
フィルは少しだけ悲しくなりながらも、槍を構え直した。仕方ない、殺すしかない。
だが槍を掴む腕が、小さな手に握られた。
フーリムはフィルへ首を振り押し留め、前へ立つ。そして人狼たちへと告げた。
「退きなさい。あなたたちには、父に伝えてもらわないといけない。わたしはこの人間と進むことに決めた。逃げ延び、必ず伝えなさい」
「グルッ……」
「早くしなさい」
桃色の髪をした少女の瞳が、妖しげに光を放つ。
フーリムに気圧された人狼たちは、戸惑いながらも撤退を選んだ。
戦闘が終わり、村に人狼の姿は無い。本隊が来たことで誰もが安心し、これから人狼との決戦を考えなければならない。
だが休んでいたフィルとフーリムは、ハロルドに呼び出されていた。
呼び出され拒否する理由もなく、フィルはフーリムを連れ天幕へと訪れた。
天幕の中には、一番奥にハロルド、本隊の数名の騎士、ガラ、リナ、ベイ、ルアダ、そして東側の指揮官。限られた人間が机を囲み、座っている。
誰もが険しい顔をしており、フィルは理由を察した。
「……フィル、なぜ呼ばれたかが分かっているな?」
「魔族へ話しかけ、退かせようとしていたことですね」
ハロルドが頷き、予想通りだとフィルは思った。魔族との関係性を疑われているのだろう。
それでなくても、フィルについては謎が多い。魔族と話していたことを踏まえれば、疑われるのは当然のことだった。
ぎゅっとフィルの手が握られる。フィルは大丈夫だよとばかりに、フーリムの頭を優しく撫でた。
「魔族側についているとは思っていない。しかし、事情が聞きたい。もちろん、その少女についてもだ」
「事情と言われましても、自分は普通に戦っておりました。フーリムについても、自分と共にいる少女としか……」
フィルの言葉に、ハロルドの眉がぴくりと動く。
目線を逸らさず、真っ直ぐに見てくるフィルへの違和感。フーリムという少女を庇うように立つ姿。
ハロルドは組んだ自分の手をとんとんと指先で突きながらも、観察を続ける。
ピリピリとした空気の中、ふぅっと一つため息をついたハロルドは、言葉を荒げないように気を付けながらも確信を突いた。
「その少女は、魔族ではないのか?」
「そうです。それがどうかしましたか?」
ハロルドの問いに、フィルは平然とした顔で頷いた。
呆然とする人、ざわつく人。ハロルドすらも、開いた口を隠すしかなかった。
誤魔化す可能性があり、操られている可能性すら考慮していた。なのに、あっさりと肯定される。
誰もがフィルを厳しい目で見る中、リナだけが気付かれぬよう剣へ手を当てた。
「魔族は殺さねばならない。今がどういう状況か分かっているのか!」
騎士の一人が怒気を帯びた口調で声を発する。しかしフィルは、ぼんやりとした顔のまま首を傾げた。
その態度に業を煮やしたのだろう。数人の兵が立ち上がり剣を抜く。
同時に立ち上がったリナは剣を抜こうとしたが……両腕を左右に座るベイとルアダに掴まれた。
「……放してくれるかな」
「落ち着け、座れよ」
「いいから放して」
「リナ、まだ話の途中です」
緊迫した状況の中、東側の指揮をとっていた男は立ち上がり、フィルへと近づく。
フィルの槍を握った手に、人知れず力が籠る。殺さないように気を付け、逃げるしかないかもしれない。決断した目は冷たく、男を射抜く。
しかし男はフィルへ背を向け、一同を見回した。
「魔族の少女は我々に力を貸してくれておりました。フィルにしても、魔族を見逃す節はあったものの、戦闘に支障を来したとは思っておりません。どうか、落ち着いて話し合っていただけないでしょうか?」
男の言葉に騎士たちは反論しようとしたが、じろりとハロルドが一瞥すると大人しくなり、不承不承ではあるが席へと座った。
指揮をとっていた男は、決してフィルを認めたわけではない。しかし、自分の判断の遅さ、非を認めての発言であった。
ハロルドは目を瞑り、ゆっくりと思考を纏める。
操られている様子はない。ならば、本人の意思で選択したのだろう。数日前に出会ったときと、様子が全く違うのはなぜか? ……恐らくなにか、変わるべき状況があった。
だが、ここまで人は変われるのだろうか? ハロルドは目を開き、フィルを見る。その目に躊躇いはなく、おどおどとした雰囲気はない。
もしかしたら、これが転機なのかもしれない。ハロルドは一つの手紙を出し、フィルへと差し出した。
「これは……?」
「王よりの手紙だ。現状で人が魔族を打破することは不可能。協力を申し出る必要があるとのことだ。彼女が人への協力を望む魔族であると言うのならば、行動を共にすることは意味があることなのかもしれない」
協力という言葉を少しだけ訝し気に思いながらも、フィルは机の上の手紙を取り、開いた。
そこに書かれていた内容は、ハロルドが告げた通りの物。事細かに述べるのであれば、竜族への協力要請を申し込む内容であった。
英雄の物語について思い出す。竜族と協力し、人は戦況を引っ繰り返した。ならば、これは必然なのだろう。
フィルが内容を吟味し終わるのを確認し、ハロルドは口を開いた。
「フィル、魔族の少女と共に竜族の元へ赴け。……人と争うことを望まない魔族。もしかしたら、魔族も一枚岩というわけではないのかもしれない」
「分かりました。自分と彼女だけが別行動ということでよろしいでしょうか?」
「いや、完全に信用をしたわけではない。リナ、ベイ、ルアダ。三名も同行しろ。成功するかも分からない計画だ。それ以上の数は裂けない」
「十分です」
それ以上この場にいても追及は免れない。そう判断したフィルは、フーリムを連れて天幕を後にした。
二人の後ろをリナが追いかける。リナを追おうとベイ・ルアダの両名が天幕を出ようとしたとき、ハロルドが声を掛け止めた。
「二人とも、魔族や竜族との協力は可能だと思うか?」
「……無理だと自分は思います」
ルアダは即座に否定する。だがベイは頭を掻きつつ、うーんと呻いた。
フィルは何かが変わってしまった。フーリムという少女も信じ切ることはできない。リナに至っては、盲目的な異常すら感じる。
ならルアダが正しいのか? ……それについてもベイは懐疑的であった。
やれやれ、変なやつや固いやつばかりで困ったものだ。両手を開き、ベイは首を振った。
「まぁどうなるか分からんが、うまくいったら面白いんじゃないか? やれるだけやるしかない。もしフィルが人間の敵になるって言うなら、俺が殴ってやればいい話だろ」
ベイの言葉に、ルアダはやれやれと言い、ハロルドは僅かに顔を綻ばせた。
天幕を出た二人は、駆け足で三人を追いかける。
ルアダは悩み考え込んでいた。もし最悪の状況が訪れたとしたら? そのときは、自分がやらなければならないのかもしれない。
想像したくない状況を考え、ルアダは強く手を握った。
ベイはルアダを見た後、先に行った三人を思い浮かべる。……そして自分は損な役回りだなと思いながら、にやりと笑った。
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