第34話
南の持ち場へ向かったリナは、敵が少ないことへ気づいた。
だがこれから増援が来る可能性は否めない。しかしそれでも、フィルのことへの気持ちが勝ってしまった。
「私は東の様子を見に行きます! 少しでも劣勢だと感じましたら、すぐに人をよこしてください!」
リナは返事も待たず、走り出す。自分の選択が間違っていることを理解しながらも、気持ちを抑えることができない。
何かが変わってしまったフィルは無事だろうか? 一瞬でいい、大丈夫なところを見たい。
そういった思いから、走る足を止めることはできなかった。
小さな村を全力で走ったリナの視界に、十数名の人影が目に入る。
一瞬安心したが、彼らの前に人狼がいることに気付き、歩を速めた。
大丈夫、私が守るから。リナの剣を握る手に力が籠る。しかし、人狼へと話しかけている声を聞き、咄嗟に身を物陰へ潜ませた。
「退いてもらえませんか? 殺したくはありません」
「グルル……」
戸惑っているかのような人狼の声。だが、それ以上に戸惑っているのは、リナとその場にいる兵士たちだった。
戦闘が始まるというときに、フィルは兵士たちを押し留めた。そしてあろうことか、話が通じるとは思えない人狼に話しかける。
普通ではありえない状況に、場は混沌としていた。
「……お願いします、退いてください。犠牲が出ることを理解しながら、殺し合う必要はないです」
何をしているのだろうか? 戦う覚悟が決まったのではないのか? リナの思考は纏まらない。
しかしフィルは穏やかな声で、退くことを提案する。リナには背しか見えていないが、フィルの顔には柔らかな笑顔すら浮かんでいた。
この人間が何を考えているのかが分からず、人狼たちは悩んだ。自分たちが連れ帰るべき少女を連れている人間が、退いてもらえるよう懇願する。
少女を守りたいのならば、戦い殺せばいい。それは自分たちも同じであり、戦い殺して少女を奪い取ればいい。
しかし、血生臭い戦場で顔色一つ変えない少年の提案は、人狼たちにとっても想像を絶したものであった。
人狼たちが動けない中、先に声を発したのは人間の兵士だった。
「な、なにを考えている! 人狼と分かり合えるとでも思っているのか! つまらん理想を掲げるのは、夢の中だけにしろ!」
声を荒げる兵士は、スクイードの代わりに東側の兵を取りまとめることになった男。頭はスキンヘッド、顎には髭を携えた男は兵に指示を出す。
若い少年の言葉を聞く必要性は無いと、結論付けていた。
物陰から見ていたリナも、彼の行動を間違っているとは思わなかった。むしろ間違っているのはフィルのほうであり、なぜそんなことをしたのかが分からない。
何かしらの考えはあったのであろうが、意見が通らなかったことに対し、少年はまた俯いてしまうのではないか? 私が力にならないといけない。
だが……その考えは、間違いだった。
フィルは人と人狼の中央に立つ。まだ話は終わっていない、だから戦うことは許さない。立ち位置で、周囲へと告げていた。
隣に寄り添う少女も同じである。事も無げにフィルの横へと立つ。
フィルは人を、フーリムは人狼を。二人は互いの陣営を睨みつけ、戦うことを断じていた。
しかし、間に立つということは距離が縮まるということ。
状況に戸惑っていた人狼の一体は、今ならばフーリムを奪い返せるとフィルへと飛び掛かった。
この少年を殺し、フーリムを連れて逃げる。それだけで自分たちの任務は達される。
とても簡単なことで……とても難しいことであった。
人狼の行動に気付いたリナは、他の誰も気付いていないのではと思い、慌てて飛び出した。
「フィルく……」
ザシュッと音がし、血が噴き出す。吹きすさんだ血が、周囲を赤く染め上げる。
返り血で赤く染まった少年は、人狼の喉から槍を抜き、困った顔で微笑んだ。
ぞわりと、リナの背が冷たくなる。体は震え、声を掛けることができない。
殺したくないから退いてほしいとまで懇願した少年が、襲い掛かって来た人狼を平然と殺した。
殺したくないのに殺す。その相反する考えに、人も人狼も動きを止めた。
「退いてもらえないか。残念です」
「お兄ちゃん……どうするの?」
「あぁ、殺すしかないね。途中で逃げ出してくれればいいけれど……」
フィルの言葉を合図とし、フーリムの手から氷の矢が放たれる。氷の弾幕の中、フィルは駆ける。
戸惑いながらも、氷の矢を防いでいる人狼の喉を、目を、口を貫く。反撃してくればその攻撃を捌き、返す刃で喉を切り裂いた。
「ニ、ニンゲン……」
「そろそろ退いてもらえませんか?」
「グ、グオオオオオオオオオ!」
フィルの言葉を挑発と受け取り、人狼は絶叫する。
しかしそんなつもりはなく、また殺さなければならないと、フィルはため息をついた。
迫り来る人狼の数が減る。それは殺したからではなく、動かなくなったからだった。動かなくなった人狼を殺す必要はなく、襲い掛かるものだけを穿つ。
自分の体が別人のように動くことへ、フィルは喜びすら感じていた。
防ぐだけではなく、隙を突く。たったそれだけのことで、こんなに世界が広がる。磨いた技が唸りをあげ、体が思い描いた形で動く。
しかし、上には上がいる。少しだけ頭を振り、図に乗りかけていた自分を戒めた。だが、体は止まらない。襲い掛かる人狼を殺し続けた。
壊れた少年は、自分の心を擦り減らしながら相手を殺す。
リナはフィルを見て、ぶるりと体を震わせた。もし、先に斬りかかったのが人間だったら? 彼は人を殺していたのだろうか?
そんなはずはないと自分に言い聞かせながらも、赤く染まった死神から目を離せない。
手伝うべきなのに、誰も動けない。そんな中で淡々と人狼を殺しているフィルが動きを止めたのは、異様な少年に恐れをなして、人狼が背を向けて逃げ出した後だった。
顔を真っ赤にし、フィルを怒鳴りつけたのは言うまでもなく、その場の指揮を任された兵だった。
「馬鹿者! スクイードは、こんな馬鹿のために死んだのか!? 魔族は敵。殺すのは当たり前のことだ。何を考えている!」
「……すみません」
男の言葉に、フィルは謝罪をした。しかし、その顔に反省の色は無い。気付いた男の態度はさらに激化した。
結果的に人狼を殺したとは言え、危険な思想を持っていると思しき少年。フィルのことを認めることは、この世界で戦い続けて来た兵にはできないことだった。
感情のままに兵は剣を抜き、フィルへと構える。だが次の瞬間、兵の手からは剣が弾き飛ばされていた。
「剣を構えられるのは困ります。斬りかかられたら……殺してしまうかもしれません」
フィルは槍で剣を弾き飛ばし、そのまま兵の喉に突き付け威圧する。隣にいるフーリムも、油断なく兵へと魔法を放てるように構えていた。
平然と殺すと言い放ったフィルが恐ろしく、兵は後ずさった。しかし下がり切るよりも早く、何かにぶつかる。いつの間にか兵の後ろへ立っていたのは、リナだった。
リナは茫然とした顔のまま、ゆっくりと進む。
少しずつ、少しずつ足を進め近づいて来たリナに対し、フィルは驚きもせず微笑んだ。
いつもと変わらぬ様子のフィルを見て、リナはぼんやりとした顔を見せた。
聞きたいことはたくさんある。聞かなければいけないこともある。だが、言葉は出て来なかった。
リナをせかすこともなく、フィルはフーリムの頭を優しく撫でる。
その様子を見て、リナは何も変わっていないのかもしれないと錯覚した。……しかし、そんなはずはない。
この惨状を、考え方の違いを目の辺りにしておいて、変わっていないと思えるはずがなかった。
リナはゆっくりと口を開く。聞くべきことは纏まっておらず、感情に任せて、一つの言葉を吐き出した。
「フィルくん、あなたは人間の味方なの?」
彼女の問いに、少しだけフィルは悩む。なぜここにいるのだろう? 援軍として来たのだろうか? 今まで考えていたフィルには、リナの問いは予想外のものだった。
人間の味方なのかと聞かれれば、イエスだろう。魔族の敵なのかと聞かれれば、ノーである。
自分の中の答えがまとまった気がし、フィルは頷いた。
「僕は人の味方です。ですが、魔族の敵ではありません。望みは殺すことではなく、戦争を終わらせること。必要があれば殺しますけどね」
少し困った顔でフィルは笑う。人が滅ぶか、魔族を滅ぼすか。それ以外の道を選んだフィルの意思に、リナは驚きを隠せなかった。
しかしその考え以上に、強い意志が籠められた瞳に、リナは感嘆を覚える。
……気付けば、リナはフィルの足元へと跪いていた。そんな夢物語が叶えられると思えるほど、優しい生き方をして来たわけではない。
だがそれでも、その夢を叶えたい。そう願ってしまった。
跪いたリナは、剣を両手でフィルへと捧げる。何を告げたいのかは、行動で分かっていた。
フィルはこの時、自分が目を逸らしていたこと、その事実と直面することになる。
気付いていた、そうなのかもしれないと、分かっていた。
だから、その剣を優しく受け取った。
「これからもよろしくお願いします、リナさん」
「はい、戦争を終わらせるために、この身をあなたの理想に捧げます」
リナに預けられた剣を見ながら、籠められた思いを受け止める。
そして自分の名前を、なりたくないと思っていた存在のことを、理解した。
嫌いだった。同じ名前なのに活躍している英雄が。
認めたくなかった。誰もが知っており、認められている英雄が。
……それは間違いだった。英雄は楽をしたわけでもなければ、褒めたたえられたくて活躍をしたわけでもない。
葛藤し、苦しみながらも進んだ。その思いが、今のフィルにも分かる。
自分が英雄であるとは未だに思えない。英雄と呼ばれたいとも思わない。
しかし、その苦悩と歩みだけは尊敬すべき物だった。フィルは英雄と呼ばれるためではなく、英雄のように苦しみながらも歩き続けよう。そう誓い、リナの剣を高く掲げた。
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