第33話

 慌ただしく消えた二人を探す陣営は、暗い中で捜索隊を出すべきではないか、日が出てからにするべきではないか。二つの意見で割れていた。

 最初に気付いたリナは自分の責任を感じており、何度となく捜索隊を出すこと、自分が行くことを述べた。

 しかし、それに賛同をしてくれた者は少なく、ベイ・ルアダ・ガラの三人も首を横へ振る。


「深夜、闇に包まれた森の中へ捜索隊を出すのは危険だ」

「ですが、二人の無事を考えれば……」

「今の僕たちは、隊の安全を考えるべき立場です。それに……こう言ってはなんですが、二人は自分たちからいなくなったんですよ」

「おい、ルアダ!」

「事実です」


 ベイに諫められるも、ルアダは言葉を止めなかった。

 言われていることは正しく、リナは自分の手を血が滲むほど強く握るしかない。追い込んでしまったのが自分だとしても、三人の正しい意見を否定できなかった。

 乗り越えてくれると信じ切っていた、自分の迂闊さが呪わしい。本当は一緒にいてあげなければならなかった。

 しかし、それでも面倒を見ると決めた以上の責任がある。リナはどうするかを決め、顔を上げた。


「私が一人で」

「失礼いたします! 二人が帰って来ました!」


 一同は顔を合わせる。だが顔を合わせる時間すら惜しんで、リナは天幕を飛び出した。



 暗い中、灯火だけが箇所箇所を照らす。そんな暗闇の中をリナは走る。

 無事なのだろうか? 怪我はしていないか? 身勝手な行動を叱るべきか? ……それ以上に謝らなければいけない。

 様々な思いが交錯しながら、最初にかけるべき一言を頭の中で求めながらも、リナは走り続けた。


 スクイードたちが死んだ東側の森の近くで、少年と少女を見つけた。兵に囲まれ、頭を下げている少年。

 伝えるべき言葉が浮かばず、感情のままに抱きしめようとしたリナの足は、フィルと目が合ったことで止まった。

 全身を赤く染めているにも関わらず、いつもと変わらず困った顔で頭を下げるフィル。

 戦うことを悲しみ、殺したことで折れた少年に、違和感を覚えた。


「フィルくん?」

「リナさん……勝手なことをして申し訳ありませんでした」

「あの、わたしもごめんなさい」


 少年と少女は、己の非を認めて頭を下げる。その目にはなぜか力があり、優し気な雰囲気を感じられない。

 何かを感じ取ったリナの背に、嫌な物が奔った。口が開けず、見ていることしかできない。

 そんなリナを見て、フィルは何度も頭を下げた。


「フィル! 無事だったか! 嬢ちゃんも一緒か! って、血塗れじゃねぇか! 怪我はないのか!?」


 追いついたベイは、動けなくなっているリナの前へ出て、二人の体を調べる。しかし主だった怪我は無く、胸を撫でおろした。

 ルアダとガラは二人が無事なことを理解した後、厳しい顔つきに変わる。特にガラの表情は、フィルを咎める表情だった。


「フィル、無事だったから許されるとでも思っているか?」

「思っていません。どんな処罰でも受けます」

「よろしい、なら歯を食いしばれ」


 ガッと鈍い音がし、フィルの唇から赤い滴が線を作り落ちた。

 殴っただけで済む問題ではない。今後のことも考え、しっかりと言い含める必要がある。

 目を細め、鋭くフィルを睨むガラ。彼に対し、ゆっくりとフィルは顔を向ける。そして……にっこりと笑った。


「一つだけよろしいでしょうか」

「……なんだ?」

「フーリムは、彼女は悪くありません。逃げ出そうと考えた僕に巻き込まれただけです」

「元より、一般人を殴るつもりなどはない。注意はさせてもらうがな」

「ありがとうございます」


 何かがおかしい。誰もがそれに気づいている。なのにそれは違和感でしかなく、口に出せない。

 フィルを睨みつけているガラは、最初にその違和感に気付いた。

 いつもと違い、目を逸らさない。真っ直ぐに自分を見ており、申し訳なさこそはあるが、おどおどとした雰囲気はなかった。

 ガラは注意をするべきであると分かりながらも、短時間での豹変ぶりに、その理由を問うことを優先させた。


「その血はどうした? いない間に、なにがあった?」

「これは人狼の血です。最初どこでもいいから逃げようと考えていたのですが、人狼に襲われました」


 事も無げにフィルは言う。戦ったと、自分についているのは返り血だと。それは普通のことであるが、目の前の少年にとっては普通のことではない。

 驚きから目を見開き、誰もが言葉を失った。


 フィルは周囲の様子で、事細かな説明を求められていると勘違いをし、詳細をしっかりと説明することにした。


「申し訳ありません、しっかりと説明します。もう生きていることすら嫌なほどになっていた自分は、この場から逃げ出しました。そして、三体の人狼に追い詰められます」


 淡々と、フィルは事後報告のように話す。実際、すでに終わったことではあるのだが、平然と話すことへの違和感から、誰もが口を噤んだ。

 周囲の人を見回しながら、ゆっくりと、丁寧に、フィルは話した。


「自分に逃げ場はなく、生きるために戦わなければならないと理解しました。なので、三体の人狼を殺しました」

「殺したの……?」

「はい、相手も自分を殺そうとしていたので、それが一番早いと考えました」


 一番早いから殺した。逃げることを考えるのでもなく、殺さない方法を考えるのでもなく、手っ取り早い方法をとった。

 その物言いに、リナは唇を震わせる。優しくあって欲しかった、強くあって欲しかった。殺すか殺されるかしかない時代で、殺す覚悟を持って欲しかった。

 しかし、こうなってほしかったわけではない。目の前にいる少年に殺した戸惑いはなく、石ころを蹴ったと伝えるかのように、殺したと告げられる。

 目の前にいる少年がなぜか恐ろしく、リナの震えは止まらなかった。


「帰り道、他の人狼にも見つかってしまいました。五体ほどいたので少し手こずりましたが、なんとか殺せました。無事戻れましたが、本当に申し訳ないと思っています」


 言い終わったフィルは、ぺこりと全員へ頭を下げる。続くよう、フーリムも頭を下げた。

 誰もが言葉を失った中、震えながらもリナはフィルへ近づき、その肩を掴んだ。驚きもせず、フィルは顔を上げる。

 目を合わせリナは、フィルの肩を強く握った。


「殺したの? 本当に? ううん、間違ってはいない。でも……それで良かったの?」


 何を伝えたいのか自分でも分からないままも、リナは問いかける。そんなリナに対し、フィルはいつも通りに笑った。

 その目に後悔の色はなく、むしろ不思議そうな顔すらしている。リナはこの時、漸く理解した。この少年は、もう少年ではなくなってしまったのだと。


 性急な変化を望んだわけではなく、この早すぎる変化への戸惑いが隠せない。

 しかし、しょうがない。いつか、こうなってしまっていたのだ。自分にできることは、彼と共に進むことだけ。

 未だ混乱の渦中にはあったが、リナは一つの決断を下す。それは、引きずり込んだ責任からの負い目でもある。

 この少年の行く末を見守ろう。そう決めた。



 ガラから注意をされた後、フィルは武器の調整を始めた。

 血に汚れた槍を研ぎ、腰に差した剣を磨き、数本の投げナイフを装着する。鎧も装備するべきかと考えたが、身軽さを優先した。

 作業を続けるフィルへ、フーリムが恐る恐ると顔を向ける。そんな彼女に対し、フィルは短剣を一本渡した。


「きっと必要になるよ」

「はい」


 言葉は少なくとも、思いは通じていた。戦うと決めたのだから、身を守る術が必要になる。

 フーリムは短剣を何度か振った後、鞘に納めて腰に刺した。

 一つ頷いたフィルは、優しくフーリムの頭を撫でる。少女もくすぐったそうにしながらも、その頭を預けた。


 その様子を、三人はじっと見ていた。リナは決意を固め、ベイは悲し気に、ルアダは顔色を変えないように気を付けつつ。

 戦うことを嫌った少年が、殺すことを拒んだ少年が、ここまで変わった理由が三人には分からない。

 しかし、必要なことだったのだろうと思う気持ちもある。

 誰もが、気付かない。少年の心に罅が入り、少しずつ壊れていることに。


 準備を整えたフィルが立ち上がったとき、外から叫び声が聞こえる。三人が一瞬焦る中、フィルは焦りもせずに外へ出た。


 夜遅い中、聞こえた叫び声。確認するまでもなく、それは人狼たちの襲撃だった。

 肩に槍を乗せたフィルは、冷静にルアダを見る。どうしたのかと一瞬ルアダは思ったが、すぐに理解した。

 自分に指示をするよう促している。つい先日まで心配していた少年から、試されるように見られていた。

 それは不気味なことであったが、一つ深呼吸をし、ルアダは落ち着きを取り戻した。


「また全方位からの攻撃の可能性があります。全員先日と同じ持ち場へ、急ぎ向かってください」

「うん!」

「おうよ!」

「分かりました。フーリム、おいで」


 フィルの言葉に、三人はぎょっとした。戦場へ少女を連れて行こうというその考えが、全く理解できなかったのだ。

 しかしフーリムは三人の様子など気にせず、フィルの手を掴んだ。

 彼女を一人にするべきではないというフィルの考えと、一人でいたくないというフーリムの考えは一致していた。

 ……だが見逃せなかったベイは、声を荒げた。


「フィル、何を考えていやがる! その子は安全な場所へ避難させろ!」


 ベイの言葉に、フィルは少しだけ悲しそうな表情を見せて首を振った。

 フィルが否定したことで、ベイの戸惑いは大きくなる。まるで別人のようだった。


「安全な場所なんてありません。なら、僕が守ります」


 強い言葉だった。目にも力があり、必ず守ると全身から伝えている。

 止めるべきであるにも関わらず、フィルの目に射すくめられた三人は、何も言えなくなった。


 それ以上なにもないと理解したフィルは、フーリムを伴い走り出した。

 少年の胸の中にあるのは、敵を殺すということ、それが守ることへ繋がるということ。そして、この小さな手の少女を守ることだけだった。

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