第29話

 数日経ち、順調に進んでいた部隊は目指していた村へ辿り着いた。

 道中に大きな問題もなく、襲撃も無く辿り着けたことは幸いだっただろう。部隊の面々にも、安心した顔が浮かんでいた。


「村の見回りと警備を。人狼の襲撃があると考え、村の外の柵を補強。交代は休憩でとるようにしてください」


 ルアダの言葉に部隊は動き出す。本来ならば休ませてやりたいところではあったが、その余裕がなかった。本隊が到着するのは三日後。それまでは気を抜くことができない。

 周囲が森に囲まれている田舎の農村。敵からすればどこからでも襲い掛かることができる。いや、むしろ襲われていなかったことこそが、奇跡に近かった。


 フィルはここまでの道のりで仲を深めた、ガラの部下たちと見回りを始めた。疲れた体に重い足。

 休みたい気持ちはあったが、部隊を見て安心した顔をしている村の人々を見れば、疲れを無視して体は動いてくれた。


「フィル、疲れてるんだろう? でもこっからが本当の仕事だ。休ませてはやれないなぁ」


 少し意地悪そうな顔をしながら、中年の兵はフィルへ話しかける。彼の名前はスクイード。無精髭が特徴の、良く日に焼けた兵士だった。

 フィルは頬を掻きながら、スクイードへ笑って見せる。


「大丈夫です。頑張ります」

「お、いいぞ! その意気だ!」


 スクイードは嬉しそうにフィルの背を叩いた。無遠慮なところはあるが、優しい人物であることをフィルも知っている。だから笑って見せた。

 しかし村を見回っているうちに、フィルにはある疑問が浮かぶ。何度考えても分からず、スクイードに問いかけてみることにした。


「スクイードさん、村の人たちはなぜ王都へ逃げないんですか?」

「そりゃ王都に人が溢れていることを知っているからだろ。苦労して王都に行って、さらに苦労する。誰だって嫌だろ」


 彼の言葉にフィルは頷く。確かに王都に逃げ込めば安全になるかもしれないが、生活の保証はない。それは王都を見ているからこそ分かっていた。

 だが命に勝る物はないのではないか? フィルはその当たりの疑問を捨てきれず、納得しきれないでいた。

 スクイードもフィルの様子を見て、納得できていないことには気づいている。なので、おせっかいな兵は教えてやることにした。


「自分の故郷。大切な人。そういった物を簡単に捨てられるか?」

「……でも、死んだらどうにもなりません」

「そうだな。でも理屈だけじゃ人は動けないだろ? ここを立ち去ったら、魔物に村が焼き払われるかもしれない。やっと帰って来て焼け落ちていたら……たまんねぇよな」


 まるで見て来たかのようにスクイードは話す。空を見て、遠い何かを思い出すような瞳が、フィルの心を揺さぶった。

 悲しく、暗い瞳。悪いことをしたわけではないのに追い詰められ、こんな顔をした人ばかりがいる。とても悲しい気持ちになり、フィルは胸を押さえた。


「俺の村はな、王都から離れたところにあった。魔族に襲われて命からがら逃げて、兵になって……やっと村を助けられると思って戻ったら、そこには黒い残骸しかなかった。悲しいよな」


 笑ってスクイードは言っていたが、心は泣いていた。フィルはスクイードの言葉を自分に投影する。もし自分が元の世界に戻って、王都が焼け落ちていたら? 大切な友が死骸となっていたら?

 想像するだけで、フィルの目には涙が溢れた。


「泣くな泣くな! フィルのことじゃないだろ? お前はそうならないように頑張ればいい! な?」

「はい……」

「……ありがとな」


 スクイードは涙を流すフィルの頭をくしゃりと撫でた。自分もこんな強い人間になれるのだろうか? いや、なりたい。そう思った。

 フィルは涙を拭い、強く槍を握る。少しでも悲しい顔の人を減らせるようになりたいと。



 見回りを続けていると、森近くでボロボロのローブを纏っている小さな影を見つけた。体格からして子供であろうと推測する。

 声を掛けようと思いスクイードを見ると、彼は笑ってフィルの背を押す。許可を得る必要があったわけではないのだが、許された気持ちになり、安心した気持ちでフィルは駆け寄った。


「こんにちは、どうしたの?」


 フィルが話しかけると、びくりと小さな体が震えた。不安や恐れ、そういったものに圧し潰されそうになっているのかもしれない。

 少しでも気持ちを楽にしてあげようと、跪いたフィルは笑顔でもう一度話しかけた。


「大丈夫、僕たちは村を守りに来たんだ」

「村を……?」

「うん、そうだよ。もう大丈夫だからね」


 少女が顔を上げると、フードの中から顔が現れる。目が隠れるほどに長い桃色の前髪。顔は半分ほど隠れてしまっているが、少女であることが分かった。

 少女が立ち上がると、ボロボロの短いローブから素足が見える。ローブの中に服は着ているだろうが、裸足の少女がフィルには痛ましく映った。

 フィルはそっと自分のローブを外し、少女へと差し出す。行動の意味に一瞬少女は悩んだが、それが自分への気遣いだと分かり受け取った。


「ありがとう」

「いいんだよ。僕の名前はフィル。家まで送るよ」

「わたしはフーリム。家は……その……」


 フーリムと名乗った少女は、ぎゅっとフィルから受け取ったローブを握った。

 険しい顔で怖がらせてしまったかと思い、フィルは自分の頬を引っ張る。笑顔笑顔と言い聞かせていると、フーリムが笑った。


「ふふふっ」

「えっと、そんなに楽しかったかな?」

「うん、お兄ちゃんはなんで頬を引っ張っているの?」

「その、困ったなぁ……」


 フィルが困った顔をしていると、スクイードがやれやれという顔をしながら割り込んで来た。このままでは話が進まないと、本当にしょうがなくだ。

 前へ進み出たスクイードを見て、フーリムは一歩後ずさる。その姿を見て、スクイードは一つの予測を立てた。


「もしかしてお嬢ちゃんは難民かい? この村にはいつ来たのかな?」

「さ、さっき……」


 とてとてと走ったフーリムは、フィルの影へと隠れてスクイードを見る。

 その様子に少しショックを受けたスクイードは、顎の無精髭を撫でた。


「俺、そんなに怖いか?」

「無精髭のせいかもしれませんね」

「……剃ったほうがいいかぁ」


 スクイードがトレードマークである無精髭を剃るか悩んでいる間も、フーリムはフィルにギュッと掴まっていた。

 頼られている感じがして嬉しく思ったフィルは、フーリムの頭を撫でる。すると、その手がフーリムに叩かれた。


「え?」

「あ……ごめんなさい」

「いや、僕がいけなかったよ。頭を撫でられたくなかったんだよね。ごめん」


 フィルが謝ると、フーリムは悲しそうに頭を横へ振った。どうしたらいいか分からずにいると、フィルの肩をスクイードが掴む。

 何かあったのかと見ると、彼は首を振っていた。


「見回りに戻るぞ。俺たちにできることはそれくらいだ」


 この子を助けることはできない。スクイードの目はそう言っていた。

 だがそれは間違いではない。村を守ることで少女を守ることはできるが、一生守り続けることはできない。フィルは歯がゆい思いをしながら、その場を立ち去ろうとした。

 しかし、フーリムはフィルから離れようとしなかった。


「フーリム?」

「お兄ちゃん、村にいたら駄目だよ。お願い、早く逃げて」

「僕たちは村を守るために来たんだ。だから逃げるわけには……」


 フーリムはフィルを掴んで必死に頭を振る。それではいけない、ここにいてはいけない、早く離れないといけない。

 初めて自分に優しくしてくれた人、初めて頭を撫でてくれた人。たったそれだけの相手ではあるが、それはフーリムの人生で初めての事。

 フーリムは、フィルを見殺しにしたくない。頭に残る僅かな温かさが、逃げ出して来た冷たい彼女の心を、少しだけ温かくしていた。

 だが、事情を知らないフィルにその想いは届かない。いつもと同じよう、困った顔で微笑むだけだった。


 諦めたフーリムは手を放す。フィルはほっとして見回りに戻ろうとする。しかしフーリムは、フィルの側を離れずついて来た。

 フーリムの追いかけて来る姿に、フィルは自分の姿を重ねていた。三騎士の末裔を追いかけていたとき、リナに縋りついて行ったとき。

 この少女に頼れる者が自分しかいないのかもしれない。そう思ってしまい、強く追い返せなかった。


 スクイードは二人の様子を見て、ぽりぽりと頭を掻いた。


「なぁ、フィル」

「は、はい。すみません」

「いや、その子に随分懐かれたな。こんな時代だ、できるだけ一緒にいてやったらどうだ?」

「ですが……」

「心配するな、俺がうまいこと言っておいてやる」


 フィル自身もどうにかしてやりたいと思っていたので、その提案は渡りに船であった。

 恐る恐るとフィルが手を伸ばすと、フーリムは嬉しそうな顔でその手を掴んだ。

 嬉しそうな様子を見て、これで良かったのかもしれない。フィルはそう思う。

 その握った手の重さにも気付かず、フィルは優しくフーリムの手を握った。



「それで連れて来てしまったのですか?」


 ルアダの呆れ混じりの言葉に、申し訳なさからフィルは俯いた。すでに夜となっている時間、一同は焚火を囲んでいる。

 いるのはリナ、ベイ、ルアダ、フィル、そしてフーリムだった。三人共呆れた顔でフィルを見ている。


「あの、王都に避難したい人とかは……?」

「多少いますから、その人たちと一緒に連れて行くしかないでしょう」

「すみません……」


 フィルが頭を下げると、同じようにフーリムも頭を下げる。その様子を見て邪険にすることもできず、三人はため息をつくしかなかった。

 ベイは肉を焼きながらフィルを見て、呆れた顔から笑い顔へと変えた。


「なんつーか、お人好し極めりって感じだな」

「それがフィルくんのいいところだけどね。でも忘れないで? 全ての人を救えるわけじゃないんだよ?」

「肝に銘じておきます……」


 自分のせいでこうなっていることには、フーリムにも分かっている。フィルのローブを纏った少女は、ぎゅっとしがみ付いた。

 君のせいじゃないよ。そういった思いを込めて、フィルはフードを被るフーリムの頭を撫でた。


「あっ、ご、ごめん!」

「大丈夫……。お兄ちゃんの手、温かいから」


 咄嗟に頭を撫でてしまい謝ったが、フーリムは嬉しそうに笑っていた。さっきは緊張していたのかもしれない。

 そう思い頭を撫でていると、違和感に気付く。撫でている手に、何か固い突起物のようなものが当たっていた。


「フーリム、頭に何かつけて……」

「敵襲!!」


 フィルがフーリムに問いかけようとした時、敵が現れた知らせが言葉を遮った。慌てて四人は立ち上がり、武器を手に持つ。

 想定はしていたが、あってほしくなかった事態に動揺が隠せない。しかし、それ以上に震えてしがみ付く少女を安心させようと、フィルはフーリムの頭をもう一度撫でた。


「大丈夫だよ。ここで待っていてね」

「駄目、お兄ちゃん……」


 フーリムの言葉を、頭を撫でることで押さえ、フィルは事前に打ち合わされていた配置の場所へと走り出した。

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