第28話
フィルは落ち込んでいた。
なぜか最前列に立たされたことで、動揺が隠せなかったのは自分でも認めている。挙動不審だったので下がらされたことも、しょうがないことだ。
だがなによりも落ち込んでいた理由は、三人と周囲の兵が笑っていたことだった。
「フィルって言ったっか? 元気出せよ」
「ありがとうございます……」
槍を手に持った中年の兵は、楽しそうに笑いながらフィルへ声をかける。落ち込みながらも、フィルもそれに返答をした。
その兵が切っ掛けとなり、周囲の兵はフィルに興味をもち話しかけ始める。
「どこから来たんだ? あぁいや、色々あるよな。言わなくていいさ。でも大抜擢だろ? おどおどしてないで、肩の力を抜けよ」
「そうそう。俺だって初めての時は……」
「お前、腰抜かしてちびったよな」
「うるせぇ!」
「はははっ」
兵たちの顔には笑みが浮かんでいた。緊張、不安、そういったものが薄れている。もしかしたら、自分よりも若く落ち着きのないフィルがいたお陰かもしれない。
フィルに対する表情や言葉に悪意はなく、隊は悪く無い空気となっていた。
ガラもそれには気づいており、咎めることなく様子を眺める。取り立てて特別に感じる少年ではないが、危うくて目が放せない何かがあった。
フィルの申し訳なさそうな態度は、本人からしたら納得できないことではあるが、なぜか隊の雰囲気を良い方向へ変えていた。
自信なさ気な少年の、どこにそんな魅力があるのだろうか?
ガラは考えたが分からなかった。兵に軽んじられているようにも見えるが、不思議にそうは思わない。
素朴な少年の兵らしからぬ様相。ガラにも理解できない何かを、フィルは持っていた。
休憩の時も、フィルは精一杯頑張っていた。指示は不安に満ちていたが、なぜか手馴れた他の兵が声をかける。
兵士たちも子を育てる親のような顔をし、誰もがフィルに力を貸す。緊張していた三人の顔も、フィルといることで緩和していた。
……この少年が自信を持った時、一体どうなるのだろうか? ちらりとフィルを見たガラは、相も変わらず困っているフィルを見て顔を綻ばせた。
期待しすぎている。馬鹿なことを考えたものだ、と。
夜営の準備が整えられ、その日は休みをとることとなった。落ち着きを取り戻したルアダも、問題なく指示を出す。リナやベイも、十二分な働きを見せていた。
ガラも満足し陣営を見て周っていたのだが、不思議な物を見かけ、足を止めた。
「ベイくん、フィルくん、なんで穴を掘っているの?」
「おぉ、ここに水の魔法で水を溜めるんだ。で、火の魔法で温めた石を入れる。すると……」
「お風呂ができる!」
「そこまでの深さは無いよ。足を入れれるくらいだね。でもきっと気持ちがいいし、疲れが取れると思うんだ」
「なるほどねー」
四人は陣の中央に穴を掘り、足湯を作っている。魔法で手がかからない作業とはいえ、ガラは考えたこともなかった。
気を緩めることに繋がるのではないか? 兵を甘やかしているだけでは? 老兵の頭の中に、様々な疑問が浮かぶ。
しかし楽しそうに作業を進める四人を見て、やれやれと頷きながら顎を撫でた。
「四人とも」
「ガラ様。お疲れ様です」
「ガラのおっさんも手伝いに来たのか?」
「ベイくん! ガラ様に何を言ってるの! 申し訳ありません!」
三人が挨拶をする中、フィルは困った顔をした後にガラへ頭を下げていた。兵たちを見ても、穏やかな顔で笑っている。
決して気を抜いている様子もなく、ガラも四人の行動を認めることにした。
ガラは手に魔力を集めながら、穴に翳す。手の平から水魔法が放たれ、穴の中に並々と水が溜まった。
「気を緩めぬようにな」
自分がいたのでは気も休まらないだろうと、ガラはその場を後にしようとする。しかし、フィルがガラの腕を掴んだ。
何事かと振り向くと、目の前には困った顔をした少年。だが手を放すことはなく、おどおどとしながらもフィルはガラへ告げた。
「あの、ガラ様」
「どうした」
「も、もし良ければ湯加減を試して頂けたらと」
「私は実験台か?」
ガラの言葉に、フィルはやはり困った顔を見せる。そんなつもりはなく、純粋な善意から声をかけているつもりだった。
言い方が悪かったかもしれないと、フィルは眉間へ皺を寄せる。
その姿を見て、ふっとガラは顔を緩めた。
「冗談だ。しかし見回りがある。ここは任せよう」
「み、見回りでしたら自分が行きます!」
「いや、フィル一人では……」
「ガラ隊長、俺らがフィルについて行きますよ。ゆっくり休んでください」
長年共に戦って来た兵の数人が、前へ進み出る。無碍にすることもできず、ガラは頷いた。
フィルはほっとした顔を見せた後、兵たちと巡回へ向かった。兵たちもフィルを気に入っているらしく、見回りのコツなどを教えている声が聞こえる。
普段ならば気を引き締めろと怒鳴りつけているところなのだが、珍しいことにガラも穏やかな気持ちとなっていた。
ガラは装備を外し、足を湯へ浸ける。程よい湯の温かさが、疲れた体へ染み渡るようだった。
悪く無い物だと思っていると、隣でリナが湯に足を浸けた。
「フィルくんは面白いことを思いつきますよね」
「あぁ……、だが将としても、兵ととしてもまだまだだ」
「大丈夫です。すぐに一人前になります」
リナはくすりと笑う。将どころか正規の兵でもないフィルに対し、それは最大の賛辞だと、リナにも分かっていた。
しかしガラには疑問があった。考えても、どうしても分からない。
だから本人がいない今、それを聞くのにもっとも適していると思い、湯へ足を浸けて緩んだ顔を見せる三人へ問うことにした。
「なぜフィルはあんなに自信が無い。腕も悪くないと報告を受けている。実際見たわけではないが、歩いている姿だけでも実力は予想できるものだ」
ガラの言葉に三人は口を噤んだ。三人にとっても、どこから来たか以上に気になっていることであった。
あの年齢であの実力。手の平に残る無数の努力の跡。もがき苦しみ、強さを手に入れようとしていてことは想像に容易かった。
だが、理由が分からない。それだけの努力をしていながら、常に自信が無く困った顔を見せる少年。
四人は知らない。耐え忍び、槍に縋るしかなかったフィルの思いを。三人の末裔に救われ、少しだけ前を向く事を自分に許すことができたことも。……何も知らず、何も教えてもらえていなかった。
ぽつり、とベイが呟く。
「あいつが自信を持ったら、どうなるんだ?」
「それは……面白いことになりますね。彼の弱さは、自信の無さですから」
「前に、フィルくんが言っていたことがある」
ルアダの言葉に全員が笑みを浮かべる中、ぽつりと呟いたリナの言葉に全員が注目する。あの弱い少年のことを知りたいと、誰もが思っていた。
思い出すように、リナは空を仰ぎ見る。そこには星も見えない黒い空が広がっていた。
「銀髪の女性と、真紅の槍。英雄の槍を探しているって」
「槍使いが探す英雄の槍? 自分が英雄だってことか?」
笑って聞くベイの言葉に、リナは首を横へ振る。決してそういう意味ではないことは、聞いたベイも分かっていた。
誰もが口を開かない中、ガラが三人を見る。三人もそれに気づき、真剣な表情でガラを見た。ゆっくりと、少しだけ悲し気な声色で老騎士は話し始めた。
「英雄などはいない。もしいるとすれば……」
「いると、すれば?」
「それはきっと、国を救いたいと思う全て者だろう」
ガラの言葉に、ルアダとベイは頷く。救いたいと願う気持ちこそが、もっとも大切なことだと。老兵は若き三人に教えてようとしていた。
そんな中でリナだけが俯く。彼女の頭の中では違う考えが浮かんでいた。誰もが憧れ、その背を追いかける。物語にしか存在しない英雄。
いてもいいではないか、いたらいけない理由はない。英雄に跪く自分たち三人の姿が、はっきりと見える。それはとても幻想的で、淡く温かい夢だった。
ぱたぱたと足音を立てながら、困った顔をした少年が近づいて来る。少年は四人に見られ、不思議そうな顔を見せた。
自分がいない間に、自分のことを話していたとは全く思っていない。フィルはそういう少年だった。
「ガラ様、見回りをしてきました。異常はありません。次は何をしたらいいですか?」
「……そうだな。うまく交代させ、湯で足を休ませてやろう。まずはフィルが休め」
「自分は最後で大丈夫です」
「命令だ、休め」
「は、はい」
ガラにそこまで言われて逆らえるはずもなく、フィルは靴を脱ぎ足を湯へ投げ出した。温かな湯の感触で、ぶるりと体を震わせる。
気の抜けた表情は歳相応のもので、四人はフィルを見て笑った。
「え? あの、何かありましたか?」
「何もないよ? ふふっ」
「えっと……?」
困りながら四人を見回すフィルを見て、さらに笑い声が大きくなる。話を聞いていた他の兵も、同じように笑う。ただフィルだけが理解できず、首を傾げた。
そんなフィルの肩をぽんっとルアダが叩く。フィルと目が合い、ルアダは一つの質問を投げかけてみることにした。
「フィルくん、英雄とはどういう存在だと思いますか?」
「英雄……」
フィルの顔が険しい物へ変わったことに、四人は気づく。何気なく聞いた話で、この様な反応をされるとは思っていなかった。
悔しそうな、辛そうな、悲しそうな顔をしながら、フィルは四人へ告げる。
「誰もが憧れ、そうなりたいと思い、優しく強く、世界を救えるような人。そして……」
「そして?」
ルアダが聞くと、フィルは黙って俯いた。その拳は強く握られており、怒りのような物すら浮かび上がっている。この優しい少年が、このような感情を露わにすることは珍しく、四人も黙ってフィルを見ていた。
ふっとフィルの手から力が抜ける。諦めたような顔をしながら、フィルは四人へ告げた。
「僕が一番憧れない存在です」
周囲が唖然とする中、はっとしたように顔を上げたフィルは慌てて立ち上がる。そして四人へ頭を下げ、逃げるように走り去って行った。
英雄になりたいと思う人は多い。英雄が現れて欲しいと思う人だって多いだろう。だがフィルは、英雄に憧れないと言った。
ガラはフィルの言葉を頭の中で反芻し、自分の顎を撫でた。
「ほんの少しだけ、本当の姿が見えた気がする。理由は分からないが、どうやら根が深い問題のようだな」
理由は分からず、聞いていた全ての人が静まり返る。ただフィルとガラの言葉が、周囲にいる全員の頭の中に残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます