第25話
夜遅く、四人は森の中を慎重に進んでいた。先頭をベイが歩き、草木を払う。後ろへ続く三人は、ベイのお陰で少しだけ楽に歩くことができた。
ルアダは道中の木に、薄っすらと光る矢を突き刺す。近くまで寄らなければ分からないほどの光量だが、敵に気付かれず撤退するのには十分だった。
深い暗闇の中、悪い足場を進むということは体力以上に精神を擦り減らす。それが如実に現れているのは、フィルだった。
高鳴る鼓動と荒立つ息を押さえ、遅れないよう慎重に進む。口で言うのは簡単だが、実際に行うのは難しかった。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫?」
フィルの前を歩くリナには、その荒い声がよく聞こえていた。物音が少ない森の中、近くにいるフィルの小さな息遣いは彼女に響く。フィルを気遣い、たまに声をかけていたが、リナも決して状態が良いわけではない。
闇は誰にも平等に押し寄せており、緊張感は四人を少しずつ疲弊させる。三人がそれをフィルに気付かせないようにしていたのは、年配であるがゆえの強がりだった。
多少の休憩とも言えない休憩を挟みつつ、四人は少しずつ進む。どこにあるかも分からない人狼の棲家を探すことは、困難を極めるかと思われていた。
しかし、森の中へ入り数時間。四人は妙な明かりを見つける。最初に気付いたのは、もっとも目が利くルアダだった。
ルアダは前にいるフィルを突き、一番前へいるベイへ合図を送らせる。ルアダからフィルへ、フィルからリナへ、リナからベイへ届いた合図により、ベイは後ろを振り返った。
振り向いたベイへ向け、ルアダは手でしゃがむように指示をする。それに従い、ベイは目立ちにくい草木の影へ入った。
「どうした?」
「あそこを見てください」
三人が声を潜めて話しながらルアダの指し示す方向を見る。良く見ればそこには、僅かばかりの明かりが見えた。焚火かなにかの明かりだとすぐに予測がつく。
暗闇から奇襲を受けることを避けるためだったのだろうが、それが僥倖したとルアダは思う。お陰で、気づかれる前に気付くことができた。
「どうするの?」
「僕たちの目的は、棲家を見つけること。これ以上動く必要はありません」
「だな」
「ですが、チャンスでもあります。気付かれていませんし、このまま近づくことにより、さらに情報が得られます」
若さが出た。そうとしか言いようがないだろう。まだ20歳前後の三人は、功を焦ったつもりはなくても、功を焦る行動をしようとしていた。
しかし、フィルだけは違った。この森から早く出たい。三騎士を失うかもしれない行動は避けるべきだ。そう判断していたので、三人を止めた。
「待ってください。危険です」
「危険なのは分かっている。だが、必要な情報を得るためだ。ここからじゃ棲家がどうなっているのかも分からん。洞窟なのか、家屋を作っているのか、そういったことは調べたほうがいいだろう?」
「でも……」
「僕たちは遊びに来たわけではありません。気持ちは分かりますが、進む必要があります」
「大丈夫だよ。本当に危なくなったら、戻ろう?」
「……はい」
それ以上の議論は無駄だった。フィルの意見を切り捨て、三人は進みだす。フィルもそれに従い、三人へ続くしかなかった。
少しずつ、少しずつ進む。物音を立てないよう、気づかれぬよう、最大限の注意を払いつつ進んだ。そして四人は、焚火を目視できる位置まで近づいた。
焚火を囲む人狼の群れ。そこは開けており、さらに奥へも多数の人狼が確認できた。柵などもなく、壁などもない。数こそ多いが、これならば勝てるだろう。ルアダはそう思い、微かに笑った。
ルアダは撤退の指示を出し、四人は先ほどの位置まで無事下がる。見つからなかったことは運が良かったこともあるが、人狼が油断していたことも大きかっただろう。後は帰るだけであり、必要な情報は得られた。
四人は休む時間を惜しみ、すぐ様森を抜け出ることにした。
しかし、事はそんなに簡単には進まなかった。もう少しで森を抜けられるというとき、人狼の斥候と出会ってしまったのだ。
まだ気づかれてはいないため、やり過ごすしかない。四人は散開し、息を潜め、暗闇の中で蹲った。ガサリ、ガサリと二匹の人狼が動く音がする。今日一番ともいえる緊張の中、四人は口を押えて耐えた。
だが、ぴくりと人狼の鼻が動く。感知したのは匂いではない、僅かな風の流れだった。妙な渦巻くような風の流れ。それを人狼は見逃さなかった。
確信はない、だが怪しい。二匹は味方を呼ぶのではなく、警戒態勢へと入った。何事も無いのに仲間を呼んだのでは、面子が立たない。弱者と罵られることを避けた彼らの行動は、四人にとって不幸中の幸いだった。
このままでは見つかる。それは四人も気づいていた。ベイは背負った斧に手を回し、リナは剣を握り、ルアダは弓へ静かに矢を番える。
だがフィルは違った。何よりも意識していたのは、彼らの立ち位置。自分への距離、味方への距離。そういったものを重視していた。
震える体を、聞こえてしまいそうな心音を無理矢理押さえこみ、音を探る。今、どこに人狼がいるのか。自分はどうすべきなのか。フィルはただ、機を逃さぬように耐えた。
草をかき分ける人狼からもっとも近いのはリナだった。見つかった瞬間、切り伏せると決めたリナは目を瞑り、深く細く息を吐き出し、心を落ち着かせた。
ガサッと自分が隠れていた草が退かされる瞬間、リナは瞑っていた目を見開く。
しかし、その瞬間立ち上がって走り出した人物がいた。
「グルッ!」
人狼たちはリナから目を逸らし、走り出したフィルを見る。大きな物音を立てて走り出した影を見つけ、舌舐めずりをした。獲物を見つけた、と。
だが、彼らはそれが致命的な失敗だったことに気付いていなかった。フィルを見た瞬間、一匹はリナへ切り伏せられ、もう一匹はルアダの矢が頭を貫いている。
気付いたときには、二匹の人狼は血を吹き出し倒れていた。
しかし、リナに切り伏せられた人狼は即死ではなかった。仲間を呼ばなければいけない。失敗をした。それでも危機は知らせなければならない。
最後の力を振り絞り口を上げ、人狼が遠吠えをあげようとしたとき、首に大きな斧が当たる。
「させねぇよ」
すかさず距離を詰めていたベイが、躊躇わずに人狼の首を切り落とした。
集合し直した四人は現状を手早く確認し、すぐに撤退をしなければいけない。しかしルアダは、三人を押しとどめた。
「ベイ、死体を地の魔法で埋めてください」
「おい、そんな時間は無いだろ。急いで撤退しないと」
「死体が見つからなければ、時間を稼げます」
ベイはなるほどと頷き、集めた二つの死体と一つの頭を地の魔法で埋める。
ルアダはそれを確認した後、匂いの強い袋を開き、中の粉を巻いた。
「フィル、風の魔法で匂いを少し広げてください」
「え? でもそれじゃあ、ここでなにかあったって……」
「血の匂いよりはマシです。早く!」
確かにその通りだった。血の匂いに人狼は鋭敏に反応し、ここに集まってくるのは間違いない。時間を稼ぐためにも、死体を埋めて血の匂いを誤魔化す必要がある。
フィルはルアダの指示通り、強い匂いがする粉を風の魔法で周囲へと広げた。
四人は一通りの時間稼ぎを済ませ、血の匂いが早く乾いて薄まることを祈りつつ、素早く森を脱出した。
森を抜けた四人は、すぐさま野営地点へと戻り、近くへ繋いでいた馬へと飛び乗る。馬が襲われていなかったことも運が良かった。
斥候と撤退は、多少のリスクは背負ったものの成功したのだ。
「急いで戻りましょう!」
「気付かれる前に報告をして攻め込まないと」
「相手だってあれだけ数がいたんだ。百だか数百だか分からないが、すぐには撤退できないだろ!」
「だからこそ、急ぐ必要があります!」
ルアダの言葉に頷き、四人は馬を全力で走らせた。
戻る途中、リナはフィルへと話しかける。聞きたかったことは言うまでもなく、突然立ち上がり走り出したことだった。
「フィルくん、森の中で急に走り出したよね」
「はい」
「あれは……気を引くため?」
リナの問いは間違っていない。気を引くためにできることをやった。そういった気持ちがフィルにもある。だがそれ以上に、逃げ出したかった気持ちに抗えなかったという思いがあった。
「……すみません、耐えきれませんでした」
「そっか。……そういうことにしておこうかな」
フィルは正直に言ったのだが、リナは良い方にフィルの意見をとっていた。その顔には笑みがあり、フィルは申し訳ない気持ちとなる。
買いかぶりです。そう告げたかったのだが、リナの笑顔を見てそれ以上フィルはなにも言えなかった。
二人の話を聞きながら、ベイとルアダは考えていた。結果として、フィルの行動で相手の隙をつけたのは間違いない。しかし、危うかったことは間違いなかった。正しかったが、正しくない。
それは咎めるべきか認めるべきか、判断のつかないことだった。
「ベイ、どう思いますか」
「結果としては問題なかった。それでいい気もしている」
「……僕もそう思います。ですが、危うかったという思いも捨てられません」
「なら、最善はなんだったんだ?」
「それは……」
ベイの問いに、ルアダは答えられなかった。あの場での最善がなんだったのか、それを想像することはできる。
……しかし、結果はすでに出ていた。誰も失わず、撤退している。あの時にバレなかった方法は無く、現状が最善だったと言えた。
つまり、フィルの行動を褒めることはできなくとも、咎めることもできない。今できることは、あれが最善だったと認めることだけだった。
「……結果良ければなんとやら、ですかね」
「そういうことだ。今考えなければいけないのは終わったことじゃなくて、これからのことだ。始まるぞ、人狼との戦いが」
ベイの言葉に、ルアダは気を引き締め直す。情報が揃った以上、人狼との戦いが始まることは間違いない。
今回の斥候はうまくいったが、次はそういかないだろうと二人は気を引き締める。
……だが、困った顔で笑っているフィルを見て、ルアダは少しだけ心を軽くした。
次もうまくいくかもしれない。なんとなくではあるが、そんな予感が三人にはしていた。
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