第23話
―― 一ヶ月。口で言うのは容易い。だが短くはない時間が過ぎる。
フィルは帰る方法を調べつつも、日々の仕事に精を出す。へとへとになるまで毎日動くことは、今のフィルにとって必要なことだった。
考えることをやめることはできない。しかし体を動かすことは、考える時間を確実に減らしてくれていた。考えても分からない答えを追い続けるよりは、今できることを行うこと。
それはフィルの悩む心を、少しずつ軽くしてくれていた。
その日、見回りを終えた四人は町の外れ、小さな広場で鍛錬を行っていた。広場は周囲に建物もなく、町の外れということもあり人もいない。場所こそ違えど、懐かしいものをフィルだけは感じていた。
「よっし、今日もやるか」
ベイの声と共に、三人は装備を確認する。訓練と言えど、手を抜くことはできない。今ではなく、明日の自分のため。多くの人を救うためにも欠かせないことであった。
いざという時に装備に傷が入っていては命取りである。どんなときでも、自分たちが戦場へ出るということを忘れてはいなかった。
「よし、今日はフィルくんとやろうかな?」
「よろしくお願いします」
ぺこりと、フィルは頭を下げる。固い態度ではあったが、リナはそれを悪くは思っていない。むしろ好印象に思っていた。
誰もが暗い顔をしており、礼儀や礼節が損なわれている。しかし、フィルは忘れていない。見るたびに、自分の身が引き締まる思いをしていた。
「じゃあ、行くよ」
「はい」
リナはすらりと半身で剣を構える。その瞬間、周囲の圧が高まった。空気がピリッとし、肌がざわめき立つ。それはフィルだけでなく、ルアダとベイも同じであった。
剣を抜いたリナに、いつもの優し気な雰囲気はない。一挙手一動を見逃さないよう、目は強くフィルを見据えていた。
気圧されながらも、フィルは槍を握る手に力を入れる。瞬間、リナの姿が消えた。
「はっ!」
ガキンッと、剣と槍がぶつかり合う音がする。フィルの背筋がぞわりと、総毛立った。
鋭く、重い剣閃。光ったと思った時には、すでに剣は迫っている。音よりも速く訪れる剣は、一瞬の躊躇いも許さない。
フィルが今まで試合った中で最強だったのは、間違いなくカテリナの父親であるリスターだ。しかし今目の前にいる人物は、その実力を遥かに凌駕していた。
手を抜くこともない。油断することもない。実戦を想定し、剣が振るわれる。強くなったかもしれない、今ならリスターとだって多少は渡り合えるかもしれない。そう考えていたフィルの慢心を、リナの剣は容易く切り裂く。
「《フレイム・ソード》」
ほんの一瞬、距離をとった。次の瞬間にはリナの剣には炎が舞っている。体勢を立て直すことすら、許さない。炎の剣士は、すぐに踏み込み、地を蹴ってフィルへ迫った。
炎の剣を、ただの槍で防ぐことはできない。フィルも必死に槍へ風を纏わせ、剣を打ち払う。一ヶ月前はできなかったことが、今では当たり前のようにできていた。
「はっ……はっ……」
一撃で、フィルの槍を弾き飛ばすことだってできる。しかし、リナはそれをしない。先の先まで見据え、組み立てる。相手に他の手段があることを常に考慮した動きは、フィルを絡めとっていくようであった。
炎の剣で体勢を崩される。崩れた体勢で次の攻撃を防ぐ。連撃を防ぎ続けることは不可能であり、息が乱れたフィルは酸素を求めて、動きが止まった。
しかしリナは見逃さない。切り込まず、すぐに炎の球体を五つほど浮かび上がらせた。
「《ファイア・ボール》」
ほんの一息を許されたが、その代償は大きい。五つの炎球は、フィルへ撃ち放たれた。
辛うじて一呼吸、許されたのは一動作。そしてその一動作で、五つの炎球を撃ち落とさなければならない。すでに回っていない頭で、一瞬だけ考える。全てを防ぐ方法は……ない。
フィルは判断を下し、自分の体へ風を纏わせる。そしてそのままリナへ向かい突っ切った。
ベイとルアダは、驚愕の表情を浮かべる。防ぐことを諦め、ダメージを減らすことにした判断。先を考えない戦い方だとも言えたが、その決断には目を見張るものがあった。
「うおおおおおおお!」
炎球が腕に、足に、胴に当たる。勢いは削がれるが、フィルは必死に耐えた。顔に向かってくる一球だけを撃ち落とし、リナへ切迫する。槍の射程に……入った。
全く動かないリナへ槍を突き放とうとし、フィルは止まった。ぴたりと、完全にだ。そして慌てて後ろへと下がる。しかしその時には、リナは目の前にいなかった。
リナを見失ったフィルフィルの首元へ、後ろからすらりと剣が伸びる。言うまでもなく、リナの剣だった。
「……参りました」
「フィルくん、攻めるのなら躊躇ったら駄目だよ」
「うっ……」
「君が今躊躇ったことで、多くの仲間が死ぬ。戦わなくてもいいと私は言った。でも、あなたは犠牲に耐えられる?」
「……」
三騎士の末裔の顔が、頭に過る。三人が血に塗れている姿が、フィルの脳内にはっきりと浮かび上がった。
耐えられない。そう思いつつも、言葉にはできない。彼女の言っていることは、正しい。それが分かっているからこそ、フィルは黙って俯いた
元の時代であったなら、槍を投げ出していたかもしれない。フィルに戦えとは、誰も言わなかった。しかし、リナは違う。戦えと、剣が、全身が言っている。
リナは、誰よりもフィルのことを心配していた。槍の腕はある。魔法だって使える。なのに、どこか自分の命を軽んじている少年のことを。
たゆまぬ訓練を積んだのだろう。逃げることなく、鍛え続けたのだろう。……だが、そんなものに意味はない。このままいけば、フィルにあるのは死だけだった。
リナの気持ちには気付いている。だがそれでも、フィルは弱弱しく言った。
「戦え、ません。殺したく……ないです」
「……本当に、それでいいの? 君の槍は、本当にそう言っているの? 私の攻撃を防ぎ、機を窺い、前に攻める。そこまでやったのに、無理矢理抑え込んでいる」
「殺すのは正しいことですか!?」
「そこまでです」
二人の言い合いを、ルアダが止める。リナはルアダを一瞬睨んだが、すぐに背を向けた。
ルアダはフィルへ手を貸し、リナから距離をとる。ベイはすかさずリナの元へ行き、彼女を慰めていた。
「フィル、リナの言っていることは間違っていません」
「僕は、でも……」
「彼女は、君とよく似ています」
「え……?」
ルアダの言葉に、フィルは目をぱちくりとさせた。あの天才剣士と似ている。その言葉がまるで信じられない。
だが、ルアダは優しく笑う。前もってリナへ確認をとっていた通りに、彼女の過去をフィルへ話し始めた。
「彼女は己を鍛えることが好きでした。才もあり、努力も怠らない。天才ってやつですね」
「……分かります」
「ですが、止めがさせなかった。誰と戦っても笑って終わりにし、場合によっては引き分けにすらしました。勝つことが目的ではなく、己を高めることが第一だったのです」
フィルはルアダの言葉を神妙に聞く。それは間違っていることだが、間違っていない。そういう気持ちが捨てきれなかった。
だがルアダはそんなフィルの気持ちも見抜き、話を続ける。
「しかし、それを彼女は悔いています。五年前の初陣のとき、彼女は父親と共に戦場へ赴きました。彼女は、リナは……実戦でも同じことをしてしまいました」
「それは……」
「彼女が動きを封じたと思っていた相手が動き出し、攻撃をしてきました。……リナは動揺していました。なぜ、負けたのに攻撃をしてくるのかと」
殺したくなかった。だから負けを認めさせた。……だがそれは、間違ったことだった。リナはそれを身を持って知ったのだ。
なぜ彼女が自分へ強く言うのかを、フィルは少しだけ理解した。知っているからこそ、同じようになってほしくないのだと。
「ですが、命の取り合いです。相手はそんな事情を考慮しません。結果、彼女を庇って父親が命を失いました。……最後まで笑って、気にするなと。そう告げて息を引き取ったのです」
父親の命を犠牲に生き残った。その時、彼女はどう思ったのだろうか? ……考えるまでもない。死ぬ必要の無かった人間が、自分のせいで死んだ。
しかもその人が大切な家族だった。泣き叫ぶリナの、絶望した姿がフィルに浮かび上がる。辛く苦しい過去……だが、それでも彼女は立ち上がったのだ。
「リナは君に同じ思いをさせたくないんですよ。大切な人を、自分のせいで失うということを、誰よりもよく知っているから」
「……」
「リナの考えを認めろとは言いません。ですが、少しでも分かってあげてください」
「……はい」
フィルがちらりとリナを見ると、目元をそっと拭っている姿が目に入った。思い出していたのだろう、その時のことを。
強く槍を握り、フィルは苦々しい気持ちを噛み締める。そんなフィルの肩を、ルアダはいつもと変わらぬ様子で、ぽんっと叩いた。
――数日後。
四人は普段と同じように、詰所へと来ていた。本日の仕事を確認するために。
「ちょっと待って。今日の斥候は全員で行くようにって書いてある」
「全員? 人手が足りないのにか?」
「うーん……これって、近くで目撃されている
改めて紙を三人は見る。遠回しな言い方で書いてあったが、ただの斥候ではないことがすぐに分かる。書かれていた内容は、若い三人への危険な斥候任務だった。
実力はあった。たゆまぬ訓練を続けて来た。そんな三人への信頼の現れでもあり、追い詰められている現状を打破するための指令。
三人は、口角が僅かに上がるのを我慢できなかった。待ち望んでいた日が来たと。
「……とりあえず、町の見回りをしましょう」
「だな。話はそれからだ」
リナは、ずっと黙っているフィルに気付く。正式な兵士ではないとはいえ、力を借りれるのならば借りたい。……しかし、それは自分の都合を押し付けているだけではないかと、思っていた。
「フィルくん、町の見回りの後は家に戻っていてくれる?」
「……行きます」
「でも」
「行きたいんです。お願いします」
強い眼差しで、フィルはリナを見た。危険な任務につきたいわけではない。まだ現状を全て認められたわけでもなく、逃げたい気持ちもある。
だがそれ以上に、よく知っている三人と同じ容姿をした人を、素知らぬ顔で送り出すことはできなかった。
自分になにができるかは分からない。だが、共に行くことで守れるかもしれない。……いや、知らないところで傷つかれたくない。
フィルは、出会ったばかりの三人が傷つくことをなによりも恐れた。
「分かった。でも無理はしないでね?」
「はい、約束します」
「リナ、こう言ってはなんですが……」
「大丈夫。私がサポートする」
「……分かった」
リナの強い意志を秘めた目に、二人はただ頷くしかなかった。
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