第22話

 疲れ果てていたにも関わらず、浅い眠りと目覚めを繰り返し、フィルは起き上がった。

 リナに案内され連れてこられたのは、寂れた一軒家。元々兵士専用の家屋だったらしいが、数が減っているため一人で使えるとのことだった。

 もちろんリナとは別の部屋で休みをとったのだが、普段ならば年頃の女性と同じ家で眠るということは、僅かな緊張を持たせるだろう。

 しかし、今のフィルにそれはない。顔は暗く、頭では現状を認められず、追い込まれていた。

 台所へ向かい、一杯の水を飲む。ただの水だが、フィルには苦い味がした。



 部屋に戻り、ベッドへ体を投げ出し天井をぼんやりと見ていると、扉が軽くノックされる。フィルは慌てて体を起き上がらせ、立ち上がり扉を開いた。


「わっ、起きてた? おはよう、フィルくん」

「おはようございます」


 リナはフィルの顔を見て、悲しくなる。昨日よりは若干顔色が良かったが、表情は暗いままだった。話を聞くだけでも気を楽にはできると思うが、話してくれることもない。時間をかけて、ゆっくりとやっていくしかないのだろうか?

 笑顔とまでは言わないが、せめて暗い顔を変えてあげたいと思う。しかしその方法がリナには浮かばない。できることと言えば、少しでも笑って声をかけることだけだった。


「じゃあ、朝食を食べてから詰所に行って、今日の仕事を確認しよう。たぶん町の見回りからかな?」

「はい、分かりました」


 簡素で味気ない食事を済ませ、リナはフィルを連れて王城近くの詰所へと向かった。



 道中で聞こえてくる声は、呻き声や怨嗟の声。それ以外の声もあるのだが、フィルの耳には暗い感情しか入らなかった。

 人々の嘆きが、慟哭が、耳から頭に、胸に、体に染み渡る。馬に乗っていたときよりも近く、直接注ぎ込まれるような黒い感情が圧しかかる。せめてもと空を見れば、空は暗い靄に覆われており、周囲の人々以上に黒かった。

 ぎこちなく足を動かし、耳を押さえたい気持ちに抗いながら、リナを追いかけて歩き続ける。他の物を見てしまえば、歩けなくなってしまうような気がフィルにはしていた。



「ここが詰所だよ」


 リナが指さした先には、他よりもしっかりとした石造りの建物があった。城に近く、各門までは同じくらいの距離の場所。よく考えられているなと、フィルは歓心する。

 元の時代でも同じ場所にあった気はするが、人も多く建物も多かったため気づいていなかった。

 守るために、ここに建てられている。この時代に来たからこそ、分かった事実だった。


「おはようございます、リナ=フォックスです」

「来たな? おいチビ、難民を拾ったのに申請をしてないんだって?」

「もー、その話も今からするよ! ベイくんにだけは言われたくなかったな……」

「ははっ、リナもベイに言われるようでは終わりですね」


 大柄な男は黒いマントを。整った顔をした美形の男は緑のマントを。その姿を見て、フィルは一瞬笑みが零れそうになる。……しかし、すぐに気づく。その背には、見慣れた家紋がない。

 そしてなによりも違ったのは、フィルが知っている三人とは違い、誰もが憂いを帯びた表情をしていたことだ。その違いはあまりにも大きく、フィルから笑顔を奪い取った。


「それで、彼が例の難民ですか? 町の外にいたらしいですね」

「ちょっと待ってルアくん。彼、ちょっと落ち込み気味で……」

「元気に笑っているやつのが少ないだろ。おう、名前はなんて言うんだ? 俺はベイ=ボア。よろしくな」

「ルアダ=バードです。ルアと呼んでください」


 三人は気安く話しかけて来る。だがフィルは、名前の違いを反芻していた。そう、彼らは彼らじゃない。三騎士の末裔ではなく、三騎士なのだと。

 今はまだ違うかもしれないが、伝説となる三騎士へ、フィルは引きつりながらも笑顔を浮かべた。


「フィル=シュタインです。お会いできて光栄です」

「光栄、ですか? 一介の兵士でしかないのですが、そこまで言われると逆に恐縮してしまいますね」


 しまった。フィルはそう思った。

 彼らはこれから有名になるが、現在はただの騎士。光栄だなどという言い方は、誤解を招く元だった。

 しかし、ベイは機嫌良さそうにフィルの肩へ腕を回した。


「なんだなんだ? 俺たちの将来性に期待してるのか? そういうの、嫌いじゃないぜ? お前のこと気に入っちまったな」

「はぁ……ベイくんは単純だね」

「そこもいいところですよ」


 温かく逞しい腕に、フィルは薄っすらと涙を浮かべた。そして気付かれないように、そっと拭く。頭の中で「泣くことは悪いことではない」。そう頭に浮かんだが、それが誰の言葉かも思い出せなかった。


 フィルが涙を拭いたことに、三人は気づいていた。だが、よくあることだとそれ以上は聞かない。誰もが悲しみを胸に秘めている時代。仕方のないことだった。



 リナはその場の二人に軽く手を振り、フィルを連れて詰所のカウンターへ行く。カウンターでは、やせ細った老婆が座っていた。


「おやリナ。今日も無事生きていてなによりだよ」

「おはようおばあちゃん。この子、昨日助けた子。申請をさせてもらえる?」

「難民申請かい? うちにも用紙はあるけれど、提出はうちじゃないからね?」

「違う違う、私のお付きになってくれるの。これから一緒に行動するから」

「兵士じゃなくてかい?」

「うん、いきなり兵士は厳しいかなって」


 老婆は「こんな時代にお付きからだなんて、人手も足りていないのに……」と聞こえみよがしに呟いた。

 リナはその言葉に苦笑いを浮かべ、フィルは居心地の悪さからより小さくなる。


 しかし、申請自体は滞りなく行われた。多少のやっかみの言葉はあったが、問題はない。強いて言うならば、お付きということはリナが面倒を見ないといけないということ。

 事前に給料などは厳しいと話されていたが、それでもフィルはほっとする。今、彼女と離れることこそが、一番恐ろしいことだった。

 投げ出された世界で、拠り所すらない。唯一とも言える頼れる場所から離れることは、フィルにとって恐怖しかない。知り合いも、なにもいない王都で一人生きていく。想像するだけで恐ろしく、怖かった。



 その後、二人は簡単な記載をする。申請は杜撰なもので、フィルのことを調べたりもない。……実際のところは、そんなことをする余裕がなかった。

 日々王都へ集う難民。その全員を調べることは到底不可能。それが功を奏したとも言えた。

 リナは申請を済ませた後、数枚の紙を手にとり二人の元へ戻る。

 そして紙を三人に見えるよう、翳した。


「町の見回り! 周囲の斥候! ……いつも通りだね」

「そろそろ近場の魔族が潜んでいる場所でも潰したいところだが、しょうがないか」

「まず大切なのは命。情報が揃っていない以上は、現状を悪くしないことが大事です」


 ルアダは冷静さを装っていたが、本心はベイと同じだった。早く王国を救いたい。少しでも状況を変えたい。……だが、自分たちだけで変えられるわけではない。分かっているからこそ、歯がゆかった。

 感情を抑え込み、ルアダは息を細く長く吐く。落ち着け、と自分に言い聞かせた。


「では、行きましょうか」

「何事も一歩一歩、か」


 逸る気持ちを抑え、三人は詰所を出る。そこにいるのは国を憂う若者であり、伝説に残るような三人ではない。最初から三騎士も三騎士であったわけではないのだ。そんな当たり前のことを、フィルは一人感じ入っていた。



 平然と軽口を叩きながらも周囲をしっかりと確認し、揉め事を見つければ割って入り、両方を宥めた。特別なことはしていないが、三人は必要なことをしている。

 しかし、フィルは気づいていた。自分たちを見ている周囲の目に。

 彼らの目にはありありと不満や失望が浮かんでいた。お前たちがしっかりしないから、早く現状をなんとかしろ、へらへらと笑いやがって。わざと聞こえるよう声にし、その感情を目に乗せて見ているのだ。

 ぎゅっと、フィルは拳を強く握る。矢面に立っている彼らを尊敬するならばともかく、そのような目で見ることが許せない。

 怒りを抑えきれないフィルの肩を、ルアダがぽんっと軽く叩いた。


「駄目ですよ」

「でも……」

「呑まれてはいけません。彼らも悪気はなく、必死なんです。生きるために」


 生きるために必死であれば、なにをしてもいいのだろうか? この時代の人間でないフィルには、理解ができない。理解ができないからこそ……理解をしようとした。


 ふっとフィルの肩から力が抜けたのに気付き、ルアダは手を退けた。真っ直ぐなだけでなく、聡い少年だ。まだこの様な少年がいたのかと、ルアダには少しだけ笑みが出た。


「大丈夫、人間はまだ負けていません。理不尽に魔族に滅ぼされたりはしない。平和になれば、僕たちのことを認めてくれます。だから、心を強く持ちましょう」

「……はい」


 リナは二人のやり取りをきょろきょろと見ていたが、ベイに頬をぐにっと突かれた。余計な口出しをするなということだろう。仕方なく、リナは周囲の警戒へと戻った。


 ベイも周囲の警戒をしながらだが、二人の話を思い出していた。

 しかし、リナのように心配をしていたわけではない。兵士が嫌われているのは周知の事実にも関わらず、それに怒りを滲ませていたフィルへの違和感だった。

 悪い人間ではない。そう信じたい。だが、なにかがおかしい。ベイはフィルへの警戒を強める。フィルの考えは悪いことではないが、分からないことがある以上警戒は必要だった。


 そしてそれと同時に、フィルを警戒している自分も嫌になっていた。同じ人間を怪しむなんてことはしたくないのに、警戒してしまっている。嫌な人間になってしまった自分に気付き、ベイは悲しくなる。

 早く、平和な時代になればいい。あの真っ直ぐな少年の考えが当たり前な世界に。ベイはそう願いながら、黒い空を睨んだ。

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