第21話

 二人を乗せた馬は、荒野を駆ける。閑散とした荒野を言葉も無く、ただ進んだ。


 王都の門近くまで来て、青褪めていたフィルは顔を上げた。周囲には夥しい戦闘の跡、荒れた大地に血の残り香。そして、死体。

 忙しそうに死体を運ぶ兵士の姿が、視界に入る。だがそれでも、フィルは目を背けた。絶対に違うのだと、目を覚ませば家で眠っていた自分がいると。必死に精神を保とうと、見ないふりをした。

 リナもそんなフィルの様子に気付いてはいたが、あえて声はかけない。混乱しているであろう少年に、かけるべき声が見つからなかった。


 馬は止まり、すぐに門番が近づいて来て二人に声がかけられる。


「おう、後ろのは誰だ?」

「はい、難民のようです。途中で助けました」

「そうか。一人でも多くの人を助けられるのならなによりだ」


 本来ならばその場でフィルを下ろし、難民の申請をしてもらうべきだ。しかし、リナは躊躇った。この少年を、今一人にしてもいいのだろうか? 弱い力で自分にしがみ付いている少年を、放置していいのか?

 ……リナは戸惑いを振り払った。一人にすることはできないと。


「この少年ですが、少し話が聞きたいので自分が連れて行きます。申請とかも任せてください」

「人手が足りないから助かるが、いいのか?」

「あはは、斥候も一人でやっているくらいですからね。大丈夫です、任せてください」

「分かった、よろしく頼む」


 門が開かれ、リナはゆっくりと馬を進めた。厄介ごとを背負い込んだ。そういった気持ちは欠片もない。やるべきことをやる。そのために選んだ自分の決断に、一切の躊躇いはなかった。

 問題といえば……話を聞くために、どこかの店へ入る必要があることだろう。食糧難なこの時代、二人分の食費を出すことだけが、少しだけ頭が痛い問題だった。



 王都の中を、ゆっくりと馬が進む。フィルは周囲を見ながら、背筋が凍るような思いをしていた。

 泣き叫ぶ人、知り合いを探し続ける人、動かなくなった子供を抱きかかえて歩く人、常軌を逸し発狂している人。そこには、形容しがたい地獄があった。

 建物もフィルが知っている時とは違い、崩れているものが多い。なによりも一階建ての平屋が多かった。店もほとんどなく、露店などもない。

 目に映るのは、倒れて絶望の色を瞳に浮かべている人々だけだった。


 フィルは、嫌が応にも理解させられる。ここが滅びの時代で、自分がその時代に来てしまったことを。笑い声も、温かな食事も、幸せな空気もない。ただただ、冷たいものだけが世界を包んでいる。

 リナが馬を止めたので見上げると、扉が開きっぱなしの壊れかけた店があった。


「どう? 王都では一番マシなお店だよ? ついてるね!」


 自慢気にリナは言ったが、フィルの表情は暗かった。思っていた反応が得られず、リナはがっくりとする。仕方ないのかもしれないが、彼をなんとか笑顔にしたい。そう思い、店へ入る間も色々と話しかけたが、良い結果は得られなかった。


 席へついた後も、リナは勤めて明るくフィルへと話しかけた。


「な、なにを食べる? お姉さんが奢っちゃうから、心配しないでいいよ?」

「……リナさんと同じ物をお願いします」

「遠慮しなくてもいいのに! まぁ、それならそうしようか」


 リナが注文をし、出てきたのは味気ない野草のスープに、野草に包まれたパンが一つ。香草のスープと香草包みのパンだという話だったが、書いたもの勝ちだなと、フィルは思った。

 しかし、嬉しそうに食事をとるリナを見て、これも贅沢なのだと理解する。フィルは黙って、感想も言わずに食事を平らげた。


 食事が終わり、リナは躊躇いつつもフィルへ話しかける。フィルの今後のこともあるので、躊躇いつつも聞かないわけにはいかなかった。


「それで、君はどこから来たの? 後、私の名前を知っていたよね?」

「……どこから、でしょうか」


 暗く、重い声色に、リナは頭を抱えた。明るい人を探すほうが大変とはいえ、これではどうにもならない。おいしい食事でも食べれば、口も軽くなると思っていたのだが、それも失敗してしまっていた。

 ため息をつきたい気持ちを我慢しながら、リナは根気強く耐える。俯いたままだが、どことなく雰囲気が違う少年に、最大限の配慮をした結果だった。


「えっと、どこからかは言いたくないんだよね? なら、私の名前のことは?」

「……幼馴染に、良く似ていました」

「そ、そっか。カテリナちゃんだっけ? 私も会ってみたいな。どこにいるの?」

「もう、会えません」


 リナがやらかしたと思っている中、フィルは少しだけ違うことを考えていた。もう会えない? なぜ? 自分は、そもそもどうしてここにいるのだろうか?

 ……答えは分かっている。あの銀髪の女性と、槍のせいだ。ならば、あの槍を見つければ帰れるのではないだろうか? そう気付き、フィルは顔を上げた。


「あの、銀髪の女性や深紅の槍を知りませんか?」

「え? えっと……ごめん、もうちょっと詳しく教えてもらえないかな?」

「銀髪の女性は黒い服装をしていて、黒いフードを被っていました。槍は……英雄の槍と、言っていたと思います」

「英雄の槍? あははっ、物語かなにか? 英雄なんていないよ」


 英雄はいない。それは、とても重くフィルに圧し掛かった。そう、この時代は救われておらず、英雄はいない。英雄の槍が英雄の槍と呼ばれるためには、英雄が必要だった。

 乾いた笑いと悲し気な表情のリナを見て、フィルは気づく。物語とは違い、彼女も追い詰められている。幼いころに読んだ話は物語だったが、これは現実なのだと。


「英雄……いればいいよね。世界とか、ババッと救ってくれちゃって……ごめん、聞かなかったことにして。私たちが頑張って、世界を救わないといけない立場だった」

「……すみません」


 自分がどれだけ恵まれていたのか。それがフィルにも分かる。今までは不幸だと思っていた。名前のことで、槍を使うことすら虐げられる。

 ……だが、三人がいた。両親も健在で、生活にも困らなかった。

 それが当たり前のことではなく、すごいことだと分かり、涙が零れそうな瞼を擦る。フィルは、限界だった。頼れる人もおらず、どこに行けばいいかも分からず、なにをすればいいかも分からない。

 世界に一人取り残された。それが、今のフィルだった。


「あ、あのね? この後、どうする? 探し物をするのもいいけれど、王都から出たら危険だよ? さっきみたいに死霊兵が襲って来ることもあるし……」

「死霊兵?」

「うん、死んだ人間をモンスターにしているの。性質の悪いことをするよね」


 リナは死霊兵を思い出し、ぎりっと歯ぎしりをした。怒りを抑えたいが、抑えられない。死んだ仲間を手にかけるということは、辛く、重く、苦しく……悲しかった。

 だが、やらなければならない。それが分かっているからこそ、辛かった。


 ふぅっと一息つきリナは自分を落ち着かせる。今は、その話はおいておこう。戦う人間の問題だ。そう思い出し、リナは話を続けた。


「このままだと、難民申請をするしかないんだよ。でも君は探したい人や物があるし、えっと……槍、使えたよね? もし良かったらだけど、兵士になったりとか……どうかな?」

「兵士に……?」

「無理にじゃないよ! 無理にじゃないけど……そうしてくれると、助かるかな」


 フィルは考えた。この状況を打開する方法は、今のところない。ならば、兵士になったほうが情報も入ってくるかもしれない。……だが、自分が戦えるだろうか? いや、戦えないだろう。

 となると、兵士になるのは無理を感じた。しかし難民になってしまえば、町の中で心細いままふらふらとするだけである。それは、なんの意味もない行動でしかない。

 ため息をついたフィルは、素直に心情を吐露することにした。


「自分は戦うのが苦手です。戦力にはとても……」

「そっか、向き不向きはあるからね。うーん……なら、難民申請をする?」

「それもちょっと……」

「そうだよね……。あ、なら私のお付きになる? 斥候とかに一緒に来てもらうから危険なこともあるけれど、兵士みたいに前線へ立つ必要はないよ?」


 戦ってほしいのだろう。この時代で、戦力はいくらあっても足りない。なのに、少しでも戦う力があるフィルが戦えないと言うのは、ずるいことだった。守るために、救うために、命をかけている。そんな人に、戦えないと言った。

 フィルは己を恥じる。だが、戦えるかと言われれば戦える自信はない。でもそれ以上に、唯一の知り合いであるリナと離れることが怖い。

 ……フィルにとれる選択肢は、一つだけだった。


「お付きでもお役に立てますか?」

「え? 本当に!? 助かるけれど大丈夫?」

「はい。攻めるのは苦手ですけれど、守ることは少しだけできます。それでも良ければ……」

「十分だよ!」


 リナは喜んだ。自分たちの役目は、戦うことではない。守ることだ。騎士として、それを疑ったことはない。

 もちろん現状では戦うことが主となっているが、守ることが第一だということは忘れていない。戦えないという少年が、守るために立ち上がってくれるというのであれば、それで十分だった。

 戦えるようになる日が来るかもしれない。そういった打算も多少はあったが、それは仕方のないことだろう。


「じゃあ、今日からは私の家に泊まって! 明日からは私の補佐をしてもらうから」

「は、はい。お役に立てるよう頑張ります」

「大丈夫大丈夫。一人より二人! 背中を守ってくれるだけで、助かるよ。それに……一人は、寂しいからね」


 悲しげなリナの横顔は、数多の死を経験して来たからこその物だった。その言葉の重さを、フィルはまだ理解していない。一人ではないということが嬉しく、それ以外のことまでは考えられなかった。


 銀髪の女性を探そう。ここが滅びの時代なら、まだ産まれていないかもしれない。それなら、深紅の槍を探せばいい。必ず、必ず帰ってみせる。

 その考えは人々を救うのではなく、自分が助かるため。だがこの様な状況下での精神状態を考えれば、致し方のないことでもあった。


 ……しかし、フィルはまだ気付いていないフリをしている。いや、無意識では気づいていた、と言うのが正しいだろう。

 英雄とは誰なのか。竜騎士とは、フィルとは誰なのか。自分が進む道の先に、なにがあるのかということを。

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