第二章 物語で見ていただけの現実

第20話

 火の玉がぼんやりと辺りを照らし出す中、フィルは自分の体を擦る。軋むような体の痛みはあったが、立てないほどではない。そう判断し、少しでも早く先ほどの場所に戻ろうと立ち上がった。

 周囲を改めて見回すと、やはり先ほどの銀髪の女性や槍のことは、夢にしか思えない。

 だが体の痛みで分かる。フィルという名前のものが集められて殺されようとしていたことは、事実だろう。

 ならば、自分を崖から突き落とすことで助けてくれた彼女を、見殺しにはできなかった。


 壁に手を付き、慎重にフィルは歩いた。裂け目から登ることも考えたが、とても登れる高さではない。体が万全だったとしても、途中で落ちるのが目に見えている。となれば、別の出口を探す以外なかった。

 火の玉を少しだけ前に出し、隈なく洞窟内を歩く。すると、火の玉が僅かに揺れた。風の流れがあることに気付いたフィルは、行く先を定めて歩みを速めた。


 少し歩くと、先に光が見える。どうやら、出口に辿り着けそうだ。銀髪の女性は出口を塞いだと言っていたが、やはり出会い自体が夢だったらしい。納得したフィルは、洞窟から出て周囲を見回した。


 山の中腹だろう場所だということは、すぐに分かる。崖を落ち、斜面を転がり、裂け目に落ちた。つまり、かなり下の方まで来てしまっている。……急いで戻る必要がある。

 フィルは山道へ戻れるよう、軋む体を押さえつけながら足を進めた。



 かなりの回り道をすることになったが、フィルは山道へ戻り、先ほどの崖へと戻って来た。本来ならば、急ぎ王都に戻り助けを呼ぶべきだったのかもしれない。だが、助けてくれた人を見捨てることはできなかった。

 ……しかし、辿り着いたフィルは愕然とする。その場所には、何も無かった。

 人もいなければ、争った跡も、血の跡すらもない。そこでは何も起きていない。そうとばかりに、何も痕跡が無かった。


「なんだよ、これ……」


 まるで頭がついて行かず、フィルは手ごろな岩に腰を下ろす。そして、ゆっくりと頭の中を整理した。……だが、なにも答えは出ない。分かることは、王都に戻るしかないということだけ。

 王都に戻れば、なにか分かる。それ以上に、あの場所に帰れる。三人に会える。それだけで、フィルが歩く理由は十分だった。



 山を下り、街道を進む。進んでいるうちに、異変に気付いた。街道は舗装されておらず荒れており、木々が生い茂っていた森は、枯れ果てている。そして、なによりも空だ。曇っているわけでもないのに薄暗く、空には黒い靄が敷き詰めていた。

 フィルは胸をぎゅっと押さえる。不吉で、嫌な予感と不安に包み込まれる。だが、進むしかない。背筋に感じる冷たさに耐えながら、王都を目指すことだけを考えた。


 王都が見え始めるところまで進んだところで、二つの人影が目に入った。遠目にだが、鎧を着ていることが分かる。フィルは、ほっと胸を撫でおろした。

 人に会えば話も分かり、今のよく分からない状況も払拭される。そう信じて疑わなかった。

 逸る気持ちを抑えようとするが、どうしても足は早くなる。フィルは少しでも早く、その人影と合流をしたく、急ぎ向かった。

 ガシャガシャと鎧の重なり合う音が聞こえ始め、フィルは顔に笑顔を浮かべながら手を振った。


「すみません!」


 ガシャリ、と音が止まる。そして二つの人影はフィルを見た。気づいてもらえたことで、フィルは喜んだ。これで助かる。そう思っていた。

 しかし二つの鎧は、フィルに向かい走り出した。そんなに焦る必要はないのに、そう思ったのだが、なにかがおかしいとフィルは気づく。

 なぜ答えが無いのか。なぜ急に走り出したのか。なぜこんなところにいたのか。フィルは不安を振り払うように、声を掛け続けた。


「あの、自分は王都の人間です。王都まで送ってもらえませんか。変なことがあって……」


 すぐ目の前に迫っていた鎧は、返事もせずに手に持っていた槍を突く。決して早くは無く、避けることは容易い。しかし、攻撃されると思っていなかったフィルにできたことは、僅かに体を逸らすことだけだった。

 ピッと音がし、頬に手を当てる。フィルの手についていたのは、血だった。


「え……?」


 戸惑い、混乱し、状況が理解できない。しかしフィルの答えを待つ必要などないとばかりに、二体の鎧は槍を振るう。何も分からないまま、フィルはかろうじて槍を避けるしかなかった。

 手には槍もなく、荷物もない。あるのは服と、体を包んでいるローブだけ。腰に下げていた剣すら無くなっていた。

 精神も安定しておらず、体も鈍い。フィルはあっという間に追い込まれる。逃げることはすでに出来ない。後ろを向けば突かれて死ぬ。立ち向かうにしても、武器がない。

 ぼんやりと鎧を見ながら、考える。あぁ、もう駄目なんだ。何も分からないが、ここで死ぬんだ。

 フィルが諦めたときだった。鎧の先から馬で駆けて来る人影。赤いマントを靡かせた女性が目に入る。それは、よく知っている彼女だった。


「諦めないで!」


 もう動かないと思っていた体が、彼女の一声で動き出す。槍を避け、地を転がり立ち上がる。大丈夫だ、まだ動ける。死ぬわけにはいかない。フィルは重い体に鞭を打ち、改めて鎧を見据えた。


 女性は馬から飛び、剣に炎を纏う。そして自分へ向かって来ていた鎧の片割れを縦に両断した。後、もう一体。油断することなく、女性はすぐさまフィルを襲っている鎧へと向かい走った。

 フィルは鎧が両断されていたのには気付かない。自分の前にいる鎧を相手どるので必死だった。

 だが女性が向かって来ていることには気付いていたので、避けたことで伸びきっていた槍を掴む。動きを止めて、少しでも援護をするためだ。

 当然女性のほうもそれに気づいており、チャンスとばかりに動きの止まった鎧を横一閃に両断した。

 女性が近寄って来る中、フィルは唖然としながら座り込んでいた。助かった。そういった安心感と、なぜ殺したのかという疑問。そんなフィルに、女性は手を伸ばす。


「ふぅ……大丈夫?」

「なんとかね。ありがとう、リナ。でもなぜ殺したんだい? 殺す必要は……」

「え? 私の名前……」


 女性の手を掴み立ち上がろうとしたとき、フィルは気づく。横一閃に両断した鎧が、上半身だけで動き、腰の剣を抜いて投擲しようとしていることに。

 慌てて差し出された手をぐいっと引っ張り、その反動でフィルは立ち上がった。そして、先ほど掴んだままになっていた槍で、投擲されてきた剣を撃ち落とす。

 女性は驚きながら見ていたが、フィルは二体の鎧を見ていた。まだ動くかもしれない、と。


 しかし二体の鎧は炎に包まれ黒く焦げ付き、動きを止める。戦闘が終わったことに安堵したとき、フィルの背中が叩かれた。


「すごい、やるね! ありがとう助かったよ!」

「い、いてて……。助けられたのはこっちだよ」

「うん! ……そうそう、なんで私の名前を知っていたの?」

「……え?」


 金髪の女性が首を傾げ、フィルを見る。まじまじと自分を見ながら、フィルは唇を戦慄かせていた。明らかに青褪めており、尋常ではない様子に、女性は戦闘の恐怖からだと判断する。

 そして落ち着かせるように、声をかけた。


「大丈夫? ゆっくりでいいから」

「……リナ?」

「うん、私の名前だね」

「……カテリナ=フォックス?」

「カテリナ? 私の名前はリナ=フォックス。アルダール王国の騎士だよ」


 フィルはリナを改めて見て、気づいた。普段の陽気さと同じように、悲しさと影を持っている。そして大人びた様相と、敵を躊躇わず殺したことから、彼女ではないと分からせた。

 昔、フィルはカテリナに聞いたことがある。カテリナという名前は、三騎士のリナ=フォックスからとったのかと。

 彼女はそれに対し言っていた。「三騎士の末裔から名前をもらったんだよ! 私も負けていられないからね!」。そう、元気よく告げたのだ。

 つまり今、目の前にいる彼女はカテリナではなく……。そこまで考え、フィルは頭を振った。ありえない、と。


「もしかして、知り合いと似ていたのかな? それとも怪我でもした?」


 彼女と良く似た女性が、声をかけてくる。その凄まじいほどの違和感が、フィルの視界を歪ませた。立っていることもできず、槍を杖代わりにする。それでも耐えられず、フィルは膝をついた。

 慌ててリナが駆け寄って来るが、なにも答えられない。


「えっと……とりあえずここは危険だよ。君は難民かな?」

「難民……?」

「うん、難民が集まっている場所があるなら、助けないといけないから教えてくれるかな? あ、それとも王都から逃げ出して来た? 他に安全な場所があるとは思えないけど……」


 難民、逃げる、安全な場所。フィルの頭の中は、さらなる混乱に包まれた。

 そしてそんなフィルを見ているリナも、どうすればいいか悩んだ。このままここにいたら危険だ。しかし、明らかに彼は動揺している。なによりも、なぜ一介の騎士に過ぎない自分の名前を知っていたのか?

 聞きたいことは、たくさんあった。だが、聞くことができない。青褪め震えている少年に、無理矢理聞き出すことはできなかった。

 悩んだ結果、仕方なくリナはフィルの手を掴んだ。


「とりあえず、安全なところで話を聞けるかな? 王都に行こう」

「はい……」

「ん、よろしい。ではお姉さんを信じてついてきてください」


 ふらふらとしてはいるが、フィルがついて来てくれていることにリナは安心する。

 そして今、聞いておかなければならないことを一つ思い出し、くるりとフィルへ振り返った。


「そういえば、君の名前は?」

「フィル……フィル=シュタイン」

「そっか、フィルくんね。助かって良かった」


 フィルくん。その呼び方に、フィルはなぜか懐かしさまで覚えた。つい先日まで呼ばれていた名前にも関わらず、遠い彼方のことに感じる。……だが、フィルという名前について何も言われなかった。

 つまり、それは……フィルという名前が、特別ではないということだろう。そう理解しつつも、フィルは認めなかった。

 違う、こんなことがあるわけがない。全て夢だと。


 ならば、どこから? 同じ名前の人が殺されたところから? 山へ向かったことから? 王城に呼ばれたことから? 学園に入ったことも? 三人に、出会ったことも?

 混乱の渦中で、フィルは握られた手の温かさだけが頼りになっていた。何も考えたくはなく、何もしたくはない。ただ引かれるがままに馬へ乗り、王都へと向かった。

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