第19話

 落ちる……落ちる……落ちる! なにも出来ずに落ち続ける。この先にあるのは死だけだと分かっているのに、逆らうことはできない。頭が下を向き、足は上を向く。ただひたすらに落ちて行く。

 死ぬ。

 そう意識したフィルは、死にたくないと願った。死にたくない、まだ生きていたい。そう思っているのに、頭のなかで冷静に問いかけて来る部分がある。

 本当に死にたくないの?

 名前で苦労し、虐められ、少し救われたと思えば、三騎士の末裔にすり寄っていると思われる。しまいには騙されて死にそうになった。

 本当に、死んだらいけないの?

 全身から力が抜け、意識が落ちかける。目を瞑ったフィルは、この高さなら苦しむことはないと思った。しかし……瞑った目の中に様々な情景が浮かび上がる。

 両親……カテリナ……ルア……ベイラス……銀色の……。「決して諦めないでください」。フィルは言葉を思い出し、目を見開く。まだ死ぬわけにはいかない。昨日の約束をすっぽかしたことも謝れていない。まだ、諦めることはできない!


 フィルは両手を伸ばし、初めて全力で風の魔法を地面へ向けて撃ち放つ。今まで相手を傷つけたくないという思いが先行し、一度も全力で魔法を放ったことはない。しかし、今は誰かを傷つけないためではなく、自分を守るために全力を尽くす必要があった。

 落下速度は目に見えて落ちていくが、このまま落ちて助かると思えるほどに速度は緩まらない。

 死にたくない、死にたくない!

 フィルが必死に目を凝らすと、崖から少し離れた位置に生えている木が目に入る。

 これ以上落下速度を落とすことができないのなら、せめて木に届けばと……! フィルは風の魔法で落ちる方向を変えた。すでに地面が見えている中での、僅かばかりの軌道修正だったが、フィルの目論見は成功する。


「がっ……うぐっ……ごっがっ……」


 ゴスッと枝にぶつかり続けながら落下をし……地面へと、落ちる。しかし、それで終わりではなかった。

 フィルは気づいていなかったが、落ちた場所は急激な斜面になっている。落下速度を落としたとはいえ、勢いは止まらず今度は斜面を転がり出す。

 息も絶え絶えになりながら、必死に掴めるものを探して手が彷徨う。だが、なにも掴めず転がり続けた。木にぶつかり、体を地面に打ち付けられ、それでも体はぐるぐると回り続ける。


 ふっと、体が軽くなった。


「あ……」


 そこにあったのは、山の裂け目だった。崖から落ち、斜面を転がり、辿り着いた場所は裂け目。もう指一本動かせなくなっていたフィルは、ゆっくりと目を閉じる。そして為すがまま裂け目へと落ちて行った。




 温かな、光を感じた。重い瞼を、フィルはなんとか開く。目に映ったのは、黒いフードを深く被っているが、鮮やかで美しい銀色の髪が見えている女性だった。


「怪我は直しておいた。体は重いと思うが、大丈夫か?」

「……うぅっ」


 重い体を起こし、フィルは銀髪の女性に膝枕されていたことに気付く。普段なら恥ずかしがるところだったが、そんな余裕はない。全身に残る鈍い痛みで、先ほどのことが夢ではないと理解するほうが先だった。

 周囲を見回すと、そこは裂け目の中。しかし綺麗に片づけられている洞窟のようになっていた。

 明かりが照らされており、敷物などもある。まるで人が住んでいるかのようになっていた。こんなところに人が住んでいるとフィルには思えなかったが、僅かな調度品などもあるので、間違いないようだ。

 となると、ここに住んでいたのはこの女性だろう。そうだ、お礼を言わないといけない。フィルはやっとそこに気付き、女性を見た。


「ありがとうございます、助かりました」

「……崖を落ち、斜面を転がり、裂け目に落ちる。よく無事だったものだ」

「ははっ……本当ですね」


 女性の言う通り、よく無事だったとフィルは思う。特に裂け目に投げ出されたときは、すでに諦めていた。決して諦めないでほしいと言われていたのに、情けない。そう思いつつも、限界だったと思わざるを得なかった。


 そして、思い出す。落下した自分が間違いなくいたのなら、先ほどの虐殺も事実。ならば、あの人もまだあそこに残されているのだろう。

 崖へ落とされたときは唖然としていたが、彼女がフィルを助けようとしていたことは間違いない。……だからこそ、戻らなければいけなかった。


「あの、ここからはどう出ればいいですか?」

「生憎、出口のようなものは落ちて来た裂け目しかない。元々はあったのだが、塞いでしまった」


 なぜ出口を塞いでしまったのかは分からないが、裂け目から出るしかないのならば仕方ない。そう思い裂け目を見上げると、とてつもない高さがあることが分かった。でも、登らなければいけない。

 そう思いフィルは立ち上がる。裂け目を登ろうと歩き出したところで、フィルの目に妙な物が映った。

 洞窟の一番奥、地面に突き立てられている一本の槍。派手な装飾などもなく、煌びやかな様相はない。しかし、どことなく艶めかしさを感じる、そんな深紅の槍がそこにはあった。


「あれは、フィルの槍だ」

「フィル……竜騎士の……?」


 女性がフィルと言い、一瞬自分のことかと思ったが、そうではないとすぐに思い至った。あの槍を手に入れたことどころか、見たことすらないのだから当然のことだろう。


 槍へと近づき、女性はフィルと槍を交互に見る。懐かしさ、嬉しさ、様々な感情を浮かべながら、微笑む。ついにこの日が来た、やっとこの日が来た。だが、本当にこれでいいのだろうか? でも、これしかない。

 複雑な心境を吐露することもできず、女性はゆっくりと頭を横へ振った。


「竜騎士の槍……世界を救う手立て。魔族を滅ぼすために、必要な物」

「……残念ながら、それは違う」


 フィルの考えを、女性は否定する。なぜ否定されたのかは分からないが、フィルはその言葉を信じた。この人が言うのなら、そうなのだろうと。なぜか心が受け止めていた。

 女性は槍を撫でた後、フィルを見て言った。


「この槍に触れば、お主が知りたいことが全て分かる」

「知りたいこと? 世界を救う方法ですよね? でも、それは僕じゃなくても……」

「お主じゃなければならない」


 フィルでなければならない。その理由は分からない。だが、女性は真剣だった。だから、何も言い返すことはできない。彼女の強い光を宿した目に、フィルは気押されていた。

 こんな強い意志を持った目をした人を、見たことがあった。それは、先ほど出会ったピンク色の髪をした女性。彼女も、強い意志を宿した目をしていた。もしかしたら、この槍のことを知っていたのかもしれない。

 状況を少しでも整理しようとしているフィルへ、女性は一つの選択を投げかけた。


「さぁ、選べ。槍をとり全てを知るか。槍をとらず、別の方法を模索するのか」

「……別の方法が、あるのですか?」

「分からない」


 分からないとは言ったが、女性には分かっていた。フィルがこの槍を手にしなかった場合、恐らく世界は滅びる。もし滅びなかったとしても、人も魔族もほとんど生き残っていない時代となっているだろう。

 だが、そんなことは関係がない。選ぶのはフィルであり、自分ではない。余計な情報を与えてはいけない。それでなくても、五年前に彼の道を変えてしまいそうだったのだ。干渉することはできない。

 銀髪の女性は、想いを顔に出さないよう、必死に心の中で抑え込んだ。


 フィルは、悩む。その槍がなにかも分からず、手に取ればどうなるのかも分からない。なのに、この槍を抜いてほしい。そう彼女は思っている。訳の分からないことに振り回されたくはないが、なぜか彼女の期待は裏切りたくない。

 深紅の槍は、竜騎士の槍。つまり、自分の大嫌いな英雄の槍だ。決して英雄が悪いわけではないが、その名前に苦しめられ続けた。その槍を……抜く?


 長く感じるが短い時間。悩んだ結果、フィルは槍へと近づいた。女性は邪魔にならないよう、フィルと槍から距離をとる。

 改めて目の前で見る槍は、禍々しくも感じた。まるで数多の血を吸ったかのような槍は、赤く光っているようにも見える。抜くべきではない、他の方法を選ぼう。そうも思うのだが、それができない。

 彼女が槍を抜いてほしいと思っている。全てを知りたいと思っている自分がいる。ならば、やれることは一つだった。


 槍に触れ、一息にフィルは槍を抜き放った。

 ……だが、それだけだ。なにも起きはしない。もしかしたら、抜いたら彼女が事情を話してくれるのだろうか? そう思い視線を向けて、気づいた。世界が歪んでいる。


「な……え!? 目が歪む!?」

「大丈夫だ、すぐ収まる」

「で、でも……」

「大丈夫」


 大丈夫と告げる銀髪の女性の言葉を信じるしかなく、槍を強く握る。そして空いている手を胸に当てた。心臓がばくばくと音を立てているのが感じられる。それでも大丈夫だと言い聞かせ、落ち着こうと槍を強く握った。

 そして、心臓の鼓動を手に感じなくなっているのに気づく。フィルは落ち着いたのかと胸元を見て、絶叫した。


「うわあああああああああああああああ!」


 フィルの体からは光の粒子が出ており、手の先から少しずつ消えていたのだ。全身を見回すと、手足の先から体が消えていっている。慌ててどうにかしようと消えた部分を触ろうとしながら、女性を見て気づく。

 視界が歪んでいると思っていたが、自分の体がはっきりと見えている。つまり……歪んでいたのは、世界のほうだ。


「これ、これは!」

「すぐに分かる。安心しろ」

「安心!?」


 女性は落ち着いていたが、フィルは当然慌てる。このままでは自分の体が消えてしまう。それも、数分経たずにだ。どうにかしようと思い、槍を見る。そうだ、槍を放してしまえばいい。……しかし槍を手放すことができない。

 よく見ると、槍を握っている右手だけはしっかりと残っていた。左手も両足も、肘や膝の辺りまで光の粒子となり消えたのに、右手だけは残っている。

 もうどうにもならない。そう判断したフィルは、女性へ問いかけることにした。

 助けて、消えたくない、死にたくない。言いたいことはたくさんあったが、口から出た言葉は違った。


「ぼ、僕はあなたのことを知っている! 名前を教えてください!」


 すでに体の7割以上が消えているにも関わらず、フィルから出た言葉は女性を知っている気がすることと、名前を聞くことだった。

 女性は唖然とした後、くすりと笑った。


「それも分かる」


 最後の言葉を聞いた直後、フィルの体は完全に消える。残された槍は、すとんと落ち、先ほどと同じように地面へ突き立てられていた。

 女性は槍へ近づき、優しく撫で上げる。そして、ぽつりと呟いた。


「どうか、無事に」


 人の神にでもなく、魔族の神にでもなく、竜の神にでもない。女性は裂け目から天を仰ぎ、フィルの無事を祈った。



 ぽつん、と水滴が顔に落ちる。呻いた声を上げ、体を起こす。周囲は暗闇に包まれており、なにも見えない。フィルは初級の火魔法を使い、小さな玉を浮かび上がらせた。

 映し出された部分に見えるのは、先ほどの洞窟。……いや、明かりもなければ敷物も調度品もない。ぼろぼろで岩や石が落ちている、ただの洞窟。そこには女性もいなければ、強く握っていたはずの槍もない。

 全てが夢幻のように、消えていた。


「一体、なにが……?」


 フィルの言葉に、答える者はいない。

 銀髪の女性も、助けてくれた女性も、三騎士の末裔もいない。

 いるのは、フィル=シュタイン。英雄嫌いの少年ただ一人。


 英雄嫌いな少年の物語が、始まった。

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