第17話

 明朝、旅支度を整えたフィルはぼんやりと本棚を眺めていた。目に入るのは、英雄の物語が書かれた本。自分が第二の英雄になるかもしれないなどと、思い上がった気持ちはない。ただ逆らうことができないので、向かうしかなかった。

 部屋を出たフィルは、言葉少なに両親へ挨拶をして家を出る。


 朝も早く、人もまばらな町を歩きながら、フィルは思い出していた。昨日、約束をしていた三人のことを。頭が真っ白のまま昨日は帰ってしまったので、何も告げることはできなかった。

 帰ったら謝ればいいか……。フィルは、まだ夢の中にいるであろう三人を思い出しつつ、東門へと向かった。


 東門の前には、見渡せないほどの人が集まっていた。恐らく国中のフィルと名がつくものが集められたのだろう。フィルは受付のような場所で自分がいることを知らせ、出発まで座って待つことにした。

 封印の山までは、徒歩でも数時間。なにかを探すにしても、そう帰るのが遅くなることはないだろう。探索に時間がかかっても、いいところ数日で終わるというのがフィルの読みだった。


 しかし早く帰ることを考えているフィルとは違い、周囲の人は盛り上がっており、自分が英雄となると血気盛んに話していた。

 フィルは妙な居心地の悪さを感じ、自分を包む茶色いローブを握りしめ、フードを深く被る。山へ登る以上、防寒対策は必要だと着て来たものだ。

 自分がいる場所が現実ではないように感じつつ、フィルは体を握りしめて耐えるしかなかった。三人がいないことが、こんなに心細いことだと。それを実感させられていた。


 一時間ほど経ち、周囲の前に何人かの兵士が立つ。この時フィルは、早く済ませて帰りたい。それしか考えられなくなっていた。英雄に憧れ、英雄になれると喜ぶ人たち。その中にいる英雄嫌いな自分が異分子でしかないと、待機時間で嫌になるほど分からされていたからだ。


「では、これより封印の山へ向かう。我々が先導するので、はぐれずについて来て頂きたい!」


 兵士はそれだけ告げると、歩き始めた。その場にいた人間たちも、気付いたように立ち上がり歩き始める。フィルもそれに続くよう、立ち上がった。

 歩き始めたフィルは、やることもないため回りを観察する。危険があるわけではないのだが、これは彼の習性に近い。小さいころに散々虐められたことが起因し、常に危険から離れようと考えていた。

 そして気付く。兵士の数が少なすぎることに。

 これだけの数がおり、割ける人手もないのだろう。それにしても少なすぎる。いいところ10名から20名といった兵士が、一番外側を歩いているだけだった。


 特にフィルが気になったのが、一番前を先導している黒衣の者だった。黒衣の者は何度もちらちらと後ろを確認しているのが分かる。普通に考えれば、遅れているものがいないかを調べているだけだろう。だが、フィルの背筋には嫌な感触があった。

 黒衣の者は、深く被った黒いフードで顔すら見えない。しかし、顔の下半分すら見えないとはどういうことだろうか? それが妙に、恐ろしい。……なによりも、こちらを見ている様子がなにか違う。

 そう、それは監視しているような様相だと、フィルは思い当たる。誰も逃げないよう、見ているのではないだろうか?

 妙なことを考えてしまったと、フィルは頭を振った。考えすぎだと。だが、黒衣の者はなるべく見ないことにしよう。そう決めて、目をそちらへ向けないことにした。

 妙な違和感と不安を隠せずにいたフィルの肩が、ぽんっと叩かれる。


「ひゃああああああ!」

「え、え? え?」


 突然のことに驚き、フィルは声を上げた。周囲の人も何事かと見ていたので、手を振りつつなんでもないことをアピールして頭を下げる。他の人々が前を向いたのを確認し、改めてフィルは自分へ触れた人を見てみることにした。

 フードを被っているが、ピンク色のウェーブがかった髪がちらりと揺れているのが見えている。申し訳なさそうな顔で、あわあわとしているのが一目で分かった。

 自分が気を張り過ぎていたことも気づいていたので、フィルは謝罪をすることにした。


「す、すみません。驚いて声が……」

「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません……」


 二人はぺこぺこと頭を下げ「自分が」「いえ私が」と、謝り続ける。切りがないそのやり取りを続けた後、フィルはピンク髪の女性をしっかりと見た。フードで頭頂部が隠れているとはいえ、隠しきれない美貌が見える。

 しかしフィルが最初に思ったことは、美しさについてではなかった。この人も"フィル"という名前なのか。どうしても、そう思ってしまっていた。

 男性につけられることが多いとはいえ、女性でも"フィル"という名前がつけらる人がいる。この女性も、そういった一人なのだろう。同じ名前の人間が、同じ名前の人間を見る。"フィル"という名前を避け続けていたフィルは、それを不思議に思った。


「あの……わたしに、なにかついていますか?」

「あ、いえ、すみません」


 女性はフィルをじっと見つめ、懐かしそうな顔をしつつ目を細めて笑った。懐かしそうで悲しそうな笑みには覚えがあり、フィルの胸をなにかが走る。……しかし答えも無く、思い出すこともできない。なのに、なぜか物悲しさだけが残った。


 どことなく憂いを帯びた表情のフィルを見て、女性の胸のうちも温かくなる。そう、彼はこうだった。常に自信が無さそうな顔をしており、だが優しさに溢れていた。

 懐かしさから流れそうになる涙を隠すように、女性は後ろを向いて、そっと拭った。

 涙を拭った女性はフィルへ振り向き、笑顔を向けた。


「えっと、はじめまして」

「突然集められてしまい、困りますよね」

「そうですね……?」


 戸惑いを隠せずにいるフィルを見て、女性はくすりと笑う。どう見てもただの少年でしかなく……いや、ただの少年なのだ。それを、誰よりも自分はよく知っている。頭の中では、思い出が通り過ぎていく。

 しかし、今は思い出している場合ではない。自分がなんのために来たのかを思い出し、女性は頭の中の思い出を振り払った。


「フィルお兄……フィルさんを驚かせるつもりはありませんでした。道のりも長いので、少し話でもしたいと思って」

「……すみません。急に肩を叩かれたので、驚いちゃって」

「いえいえ、大丈夫です」


 女性が笑って許してくれたので、フィルはほっとした。肩を叩かれたくらいで叫んでしまうほどに、気を張っている。独特な緊張感がその場にいる全員を包んでいるので、仕方のないことでもあった。

 フィルは、両手を組み上へ伸びをする。妙に肩が凝っている気がしたので、体をぐいっと伸ばした。それには効果があり、少しだけだが張りつめた気持ちが緩んだ。さらに、すーはーと深呼吸をし、少しだけ落ち着きを取り戻したので、女性と話を続けることにした。


「それで、なぜ自分に?」

「……なんとなく、では駄目ですか?」


 これだけ人がいるのに、自分に話しかけてきたのはなぜか? そう思ったのだが、言われてみればその通りだろう。なんとなく横にいたので話しかけてみた。取り立てて不思議でもなんでもないことだと思い、フィルは先ほどまでの自分を少しだけ恥じる。


 しかし、女性は少しばかり胸をドキドキさせていた。出発前にも探していたが見つからず、進み始めてからようやく見つけて話しかけたのだ。その時を見られていれば、不自然に思われるだろうと。

 だが、フィルがまるで気づいていなかったようで、胸を撫で下ろした。


「曇っていますね。雨が降らないといいのだけれど……」

「うーん、たぶん大丈夫だと思います」

「大丈夫ですか?」


 フィルはこくりと頷き、鼻をすんすんと鳴らした。その姿を見て女性は「あっ」と小さく声を上げる。しかしすぐに手で声を押さえたので、フィルはその様子に気付かなかった。

 なにかの匂い嗅ぐようにしていたフィルは、今度は空をもう一度見た後、女性へと視線を戻した。


「雨が降るときは」

「水っぽい匂いがする、ですね」


 女性は先読みするように、フィルの台詞をとっていた。驚いているフィルの顔を見て、女性はしてやったと言わんばかりに笑う。上の年齢に見えるのに、その顔は年下のようにフィルには見えた。

 なぜか嫌な感じがしない女性と、フィルは固くなっていた気持ちを和らげながら、話を続ける。気付けば、集められた嫌な気持ちを忘れていた。



 日が登り切り、昼となった。封印の山まではもう少しというところだったが、一同はその場で昼食をとることとなる。

 支給された質素な昼食をとっていると、女性がフィルへと両手を向けた。


「ちょっとしたゲームをしませんか?」

「ゲーム?」

「はい」


 少しだけ意地悪そうに笑う女性を見て、フィルは口元を引き攣らせる。カテリナが悪だくみを考えているときも、こんな顔をしていた。そう思いだしてしまい、嫌な予感がする。……なので、断ることにした。

 わざわざ嫌な予感に逆らってまで、ゲームをする必要はない。フィルはそう思ったのだが、思うようにはさせてもらえなかった。


「いいじゃないですか。ね? わたしと遊びましょうよ。ね? ね?」

「いえ、でも……」

「お願いします!」


 初対面の女性に頭まで下げられてしまい、フィルは観念することにした。少しゲームをするくらいならいいかな? そう思ってしまったのだ。しかし女性は、フィルがやると言ったら明らかにほっとした顔をしていた。

 フィルも早まってしまったかもしれないとは思ったが、すでに手遅れだった。


「では、わたしの手のどちらに石が入っているかを当ててください」

「……それだけですか?」

「はい、それだけです」


 大したゲームではなく、嫌な予感は気のせいだったのかと思えた。なのでフィルは特に考えず、右手を選ぶ。

 すると女性はにっこりと笑って両手を開く。石が入っていたのは左手だった。しかし、嫌な予感からしっかりと女性の行動を見ていたフィルは、見逃していない。先ほど開く前、僅かに右手から魔法の光が見えていた。恐らく、普通なら見逃してしまうほどの僅かな光。

 指摘しても良かったのだが、フィルは言うことをやめた。むしろ歓心していたからだ。手の中で何をしたのかは想像がつく。恐らく石を魔法で消滅させたのだろう。だが、それほどの制御は初めてみるものだった。

 素直に彼女の実力へ敬意を表し、フィルはなにも言わなかった。


「わたしの勝ちですね」

「はい、僕の負けです」

「……気付いていました、よね?」

「なんのことですか?」


 フィルが笑ってそう言ってくれたことで、女性は少しだけ悪いと思いながらも、乗らせてもらうことにする。

 ルアでも無理だろうと歓心しているフィルへ、女性は笑いながら話を続けた。


「では、わたしが勝ったので一つ言うことを聞いてくださいね」

「……え?」


 後から言うとは、自分のことながらずるいと女性も思う。だが、こうする以外に方法が浮かばなかった。女性は唖然としているフィルを、じっと見る。

 突っぱねてしまえば良かったのだが、その真剣な表情に押されてしまい、フィルは頷くしかなかった。


「分かりました。なにをすればいいですか? でも、無理なのは断らせてもらいますよ?」

「はい、大丈夫です。ではその時が来たら言いますね」

「その時……?」

「封印の山についてからです」


 女性の言葉は要領を得ず、言いたいことが分からない。しかし、すでに承諾してしまった自分がいる。フィルは自分の迂闊さを呪いながら、溜息をついた。

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