第7話

 リスターの鋭い眼光が、佇まいが、怒っているかのように見える。決してそんなことはないのだが、フィルはそう感じていた。

 フィルが動けずにいると、ルアとベイラスが一歩進み出る。そしてリスターの前に跪いた。騎士の前に跪く姿は、フィルの知っている物語と全く同じで、妙な感覚を覚える。それはまるで、自分が物語の中にいるような錯覚だった。


「ルア、ベイラス、久しぶりだな」

「お久しぶりです、リスター様」

「挨拶もなく、失礼いたしました」

「構わん。娘の友達に、そんなことは望んでいない」


 リスターは幼少よりよく知っている二人の跪く姿を見て、頷く。顔はしかめっ面で、口にも出さないが、素直に喜んでいた。すぐに自分の前へ進み出て頭を下げるというのは、教育の賜物だろう。三騎士の末裔として、それは喜ばしいこと以外のなんでも無かった。

 しかしカテリナは跪くこともなく、にこにこと笑いながら父親へ近づく。そしてスカートの両端をそっと掴んで広げ、頭を下げた。


「お父様、お疲れのところなにか御用でしょうか?」

「いや、騒がしい声がしたので様子を見に来ただけだ。邪魔だったか?」

「いえ、そのようなことはありません。……そうだ、こちらの方は新しい友人です。ご紹介させて頂きます」


 カテリナは手をくいくいと動かし、フィルを招く。フィルは自分がいきなり呼ばれたことで、完全に動揺していた。だが、失礼な態度をとるわけにはいかない。そう思い、今更ながらではあるが、ルアとベイラスを見倣い、片膝をついて跪いた。

 最初は目を合わせないで済むので、この体勢の方が良いかもしれない。そんな風に思ってもいたが、それは間違いだった。近づき、跪いただけで分かる。リスターから感じる威圧感が、先ほどとは比べものにならないほど強くなり、フィルを押し潰そうとしていた。

 当然リスターにそんなつもりは無かった。今まで生きてきた上で身に纏ってしまったものであり、決して娘の友達を追いつめようという気持ちは無い。だがフィルにとっては、指一つ動かせず、体が震えるほどの状況だった。


「ほう……珍しいな。娘が、ルアとベイラス以外で友人と呼べる人を連れて来たのは初めてだ。名前は? どこの家の出だ?」

「あ、の……」


 失礼なことだとは分かっていたが、フィルは跪いているだけで精一杯だった。口を開き、声を出し、答える。そんな単純なことができない。ただその場にいるだけで、なにもできなかった。

 そんなフィルに気付いたのだろう。カテリナがフィルの横へ立ち、代わりとばかりにリスターへ答えた。


「名前はフィル。家はシュタイン家です」

「フィル……? シュタイン家というのも、聞いたことがないな」

「当然です。騎士でも貴族でもありませんから」

「あぁ……」


 リスターの声には、若干の落胆があった。「またこの名前か……」と、呟いた声はフィルにも届いている。だが決して、彼にも悪気はない。最近では、リスターの部下にもフィルという名前が増えている。

 騎士や貴族だけではなく、平民に多く名付けられていることは知っていた。誰もが偉大な英雄である竜騎士にあやかりたいのであろう。

 その気持ちは分かるのだが、同じ名前をつければいいと言ったものではないだろう。というのが、リスターの本音だった。

 フィルはそれを良く知っており、なにも言い返せず小さく震える。竜騎士と共に戦った三騎士の末裔に言われるということは、今まで以上に気持ちを重くさせた。だから、仕方のないことだと自分に言いきかせて、じっと耐える。

 ……しかし、耐えられない人物がいた。


「お父様。彼は私の友人です。そのような言い方はやめてください」

「ん? あぁ、すまなかった。そういうつもりではなかったのだがな……。フィルという名前、平民の出、持っている武器は槍。どうしても、な」


 カテリナはリスターの言葉に、さらに怒りを滲ませた。それは跪いているルアとベイラスも同じだ。フィルという名前がありふれていることは知っているが、友人を侮辱されているようで、リスターの言葉は我慢ならないことだった。

 ぎゅっと、フィルは槍を握る。彼の頭の中では、ずっと同じ言葉がぐるぐると回っていた。「持っている武器は槍」その一言だった。


 フィルが鬱屈としたものを押さえているとき、ルアとベイラスは拳を強く握っていた。三騎士の末裔ということもある、尊敬している人物でもある。言い返すことは愚の骨頂だ。

 ……それは分かっていたが、ルアとベイラスは立ち上がった。そして強い意志を込めた瞳で、鋭くリスターを見る。


「リスター様、フィルは」

「槍は! 槍……は!」


 リスターへ反論しようとしていた二人は、いつの間にか立ち上がったフィルを見た。まだ短い付き合いとはいえ、彼のことは多少とはいえ分かっている。この様な状況で、自分から言い返すような愚かな人物でもなければ、気の強い人間でもない。

 しかし、フィルはリスターを見ながら槍を握りしめていた。


「槍が……どうかしたのかね?」

「この槍は! ……そうじゃないです!」

「そうじゃない……?」


 リスターは知らない。フィルが槍を持つ理由も、槍に込められた約束も。

 小さな約束だった。もう一度会うという、それだけの約束。この先、忘れてしまうかもしれない。本当にそんな、一瞬の出会いだっただろう。しかし、その約束がフィルを立ち直らせた……もう一度立たせてくれた。

 だからこそ、英雄と同じ名前だから槍を使っていると思われていることが、見過ごせなかった。


「僕は、フィルという名前が嫌いです」

「……」

「英雄と同じ名前で、最初は嬉しかった。誇らしかった! でも、今は違う!」

「どう違うのかね?」

「僕は、英雄も竜騎士もフィルも、全部嫌いだ! この名前で良かったことなんてない! だけど、槍は違う!」


 フィルは三騎士の末裔に、英雄を否定する言葉を述べる。これほどまでの強い思いをぶつけているフィルを、三人も初めて見たため驚いていた。


 しかしフィルは止まらずに、今までの思いを吐き出してしまう。リスターに槍を強く握って見せ、ただただ否定をする。これは英雄とは関係ない、フィルという名前とも関係ない。約束し、自分が選んだのだと。


「僕が槍を使うのは、英雄になりたいからじゃない! 約束したからだ!」

「ふむ……」


 リスターは、フィルをじっと見た。槍に強い思い入れがあったようだ、悪いことをしたかもしれない。素直にそう思っていた。

 しかし、彼だけでなく三人も自分へ飛びかかろうと身構えているのが分かる。恐らく英雄を否定する言葉を告げたことで、自分が怒るかもしれないと思われているのだろう。子供相手にそんな大人気ないことをするつもりはないのだがと、リスターは自分の顎を撫でた。

 それにしても、この変わった少年はなんなのだろうか? そう思いながら、リスターは考える。

 今や、フィルのことを少しだけ面白いとまで思っていた。三騎士の末裔、その筆頭ともいえる当主に英雄否定を投げかける。今までに会ったことがないタイプの人間だった。

 子供とはいえ、そこまで頭が悪いほうには見えない。ならばと、リスターはフィルへ意地の悪いことを言ってみた。


「分かった。ならば、その槍で示してみろ」

「え……? あの、どういった意味ですか?」


 リスターは平然とした顔のまま、腰元の剣を抜く。すでに少しだけ冷静になり、いつ謝ろうかと悩んでいたフィルの顔色が青褪める。そして、この様な状況も考えられたはずだろうと、愚かだった自分の行動を顧みた。

 しかし……もう謝ってどうにかなる問題ではない。リスターの目を見れば、そんなことは分かり切っていた。


「お父様! お戯れはその辺で」

「下がっていろ」


 娘であるカテリナの言葉は、一蹴される。当然、ルアやベイラスの言葉でも駄目だろう。

 フィルは、ふーっと息を細く吐き、槍を構えた。顔は青褪め、足は震え、手にも力が入らない。

 だがそれでも、構えるしかなかった。謝れば許してもらえるかもしれないという考えが、頭から離れない。……だが、謝罪をせずに槍を構えることをフィルは選んでいた。試されている。無意識にだが、そう感じていた。


 リスターはほんの少しだけ、口元を曲げて笑った。ルアとベイラスは、怒っているのだろうと判断する。しかし、実の娘であるカテリナは違った。

 ほとんど笑うことがない父が、笑っていたのだ。それは彼女にとっても衝撃的だった。


「心配するな。殺す気もなければ、傷つける気もない」

「しかし、リスター様!」

「下がっていろ!」


 止めに入ろうとしていたルアとベイラスは、リスターに一喝される。その気合に押され、下がらさせられた。リスターは本気ではないと言っていたが、怒っていると感じていたルアとベイラスは、なんとか割って入ろうと考える。

 しかし、そんな二人はカテリナに掴まれ押さえられた。


「おい、チビスケ!」

「リナちゃん、放してください!」

「大丈夫。……だって、お父様笑っているから」


 カテリナの言葉を聞き、二人はリスターを見た。……だが、どう見ても怒っている顔だ。いや、むしろ少しだけ口元が歪んでおり、いつも以上に怒っているように見える。

 新しく出来た友人が、弄ばれて殺されるようにしか見えない。運が良くても、腕の一本くらいは斬り落とす。そういった風に見えていた。

 ……しかし、カテリナはこんな状況で嘘をつく人間ではない。だから二人は、リスターではなくカテリナを信じることにした。いつでも割り込めるよう、準備だけは忘れずに。


 リスターはだらりと腕を下ろした状態、自然体のままフィルを見ていた。全身が力んでおり、なにも脅威は感じない。娘が友人といった人間は、過去に二人。そのどちらも天才といえるほどの、才ある人物だった。

 だが、フィルからはなにも感じない。震え、なんとか槍を構えている。そんな印象しか感じなかった。


 一方フィルは、ぼんやりとリスターを見ている。真っ直ぐに見てしまえば、怖くて動けなくなってしまうだろう。だから、全体を見てなるべく相手の一点に注視しない。それは、ガンタに殴られ続けたフィルが身に着けた、自分なりの戦い方だった。


 先ほどは面白かったが、こんなものか。少しだけリスターは落胆した。そして、自分に食ってかかった気概を認めてはいたが、武人としてのフィルは大したことが無いと判断する。そう判断してしまった以上、リスナーの胸の内にあるのは、大人気ないという気持ちだけだった。

 リスターは早く終わらせてやろうと、剣をしゅっとフィルの喉元に振る。剣はぴたりと予定通りに止まった。

 フィルは早すぎる剣を防ぐことすらできず、勝負はそれで終わりだった。


「あ……」

「フィルくん! 大丈夫!?」

「う、うん」


 カテリナは勝負が終わった瞬間、すぐに割って入る。そして恨みがましそうにリスターを見た。ルアとベイラスもそれは同じで、非難の気持ちを混ぜてリスターを見ている。

 ……だがリスターは、三人の非難混じりの視線に気付かないくらい驚愕していた。親馬鹿と思われるかもしれないが、娘は天才だ。リスターはそう信じて疑ったことはない。そしてそれは、ルアとベイラスに対しても同じ評価だった。

 しかし、そんな三人でもリスターの剣に反応することすらできない。なのにフィルは、追いついていなかったとはいえ、槍で防ごうとしていた。

 その証拠に、槍を左側に動かしていたのだ。


「は……はっはっはっはっはっは!」


 リスターは笑った。これ以上ないくらいに、大声で笑った。そんなリスターを見て、三人は固まってしまう。リスターがこんなに笑っているところを、初めてみたからだ。

 そんな事情を知らないフィルは、なぜリスターが笑っているのかも分からない。だが、伝えなければいけないことは分かっていた。

 固まっているカテリナたちの間を抜け、フィルはリスターの前へ進み出た。


「……どうかしたかね?」

「失礼なことを言って、すみませんでした」


 深々と、フィルは頭を下げた。リスターはそんなフィルを見て、さらに笑う。そしてフィルと同じように、自分の失言や態度を恥じた。


「君は悪くない。良く知りもしないのに、失礼なことを言った」

「いえ、でも……三騎士の末裔の方に、英雄が嫌いだなんて……」

「確かに、嫌いというのは良くないな。以後、口にしないほうがいい」

「はい……」


 リスターはしょげるフィルへ近づき、励ますように肩を叩く。気にしないでいいという気持ちを、少しでも伝えるためだ。

 それでもフィルは俯いて気まずそうにしているので、耳元へ口を寄せて、他の三人には聞こえないよう呟いた。


「三騎士の末裔の目標は、英雄を越えることだ。英雄より下だなんて、悔しいだろう?」

「え……」

「だから、気にしないでいい。……あぁ、だが先ほども言った通り、あまり他の人に英雄の悪口は言わないように」


 リスターはフィルにそう告げた後、振り返ることもなく屋敷へと向かった。四人が自分のことをぼんやりと見送っていることには気づいていたが、決して見ない。見れば、笑ってしまっていることがバレてしまうからだ。

 "フィル"という名前に、良い印象は変わらずない。英雄を崇拝する気持ちにも、代わりは無い。だが……。


「面白い少年だ。うかうかしていられないぞ、カテリナ」


 リスターはもう一度、先ほどの少年とのやり取りを思い出し、笑った。

 屋敷ではそれからしばらくの間、ある噂が流れる。笑わない当主が笑っていたと、噂となっていた。

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