第3話
一週間が経った。怪我も癒え、軽くなった体で家を出た。
フィルは人気の少ない路地裏を抜けて、広場へと辿り着く。そしていつも通りに一人で槍を振るつもり……だったのだが、この一週間は違った。
珍客たちが、すでに待っていたのだ。
「あ、来た来た。フィルくんおはよー」
「おはようございます」
「おう、おはよ」
赤と緑と黒のマント。ガンタから助けてくれた三人組が、そこにはいた。三人は笑顔で挨拶をしているのだが、フィルの顔は固い。三人と、どう接すればいいかが分からないからだ。
しかし、三人はまるでそんなことは気にしていなかった。
金髪の少女はポニーテールを揺らしながら、にこにことフィルへ近づく。そして戸惑っているフィルの手を掴み、広場の中へと誘った。
「ほらほら、今日も槍の訓練するんでしょう? 私としようよ!」
カテリナは、フィルと出会ってから上機嫌だった。ルともベイラス以外、同年代で自分とまともに戦える相手はいない。しかし、フィルは違う。攻撃こそしてこないが、自分の攻撃を防げるのだ。
フィルは騎士の家の出でも無いので、なにかしらの訓練を受けていたわけでもない。彼女が一度も会ったことがないタイプの人間だった。興味をそそられたのは当然のことだろう。
だが、それに納得していない人もいる。それは、ルアとベイラスだ。二人は、自分たちが三騎士の末裔だという誇りを持っている。市民の出だからと馬鹿にすることこそないが、なぜこんなところまで出向き、フィルと会う必要があるのか。その理由が今一つ分からなかった。
「あの、カテリナさん」
「もう! そんな他人行儀な呼び方じゃなくていいって! リナでいいよ」
カテリナはぐいぐいと押して来る。フィルは、そんな彼女にどう対応していいかが分からなかった。カテリナからすると、彼と仲良くなりたいという気持ちからの行動なのだが、英雄と同じ名前というだけで馬鹿にされ続けてきたフィルに、その気持ちは伝わっていない。
距離感が全く掴めていない二人の仲は、この一週間でなにも変わっていなかった。
「あの……リナ、さん。他の二人も待っていますし、僕のことはいいですから……」
「え? 大丈夫だよ! ね? 今日も四人で頑張っていこー!」
「いや、ちょっと待ってくれるか?」
そんなカテリナの問いに、一週間かかってようやく疑問をぶつけたのはベイラスだった。実直な性格の彼は、ずっとどう聞くべきかを迷っていたのだ。しかし、結局どう言ったら良いかが分からず、思ったままに問いかけることにした。
「そいつがリナのお気に入りなのは分かってる。だけど、なんでそいつなんだ? 別に、取り立ててすごいとも思わないが……」
「ベイくんは分かってないね。フィルくんはすごいんだよ? だって、私の前に立ったんだよ? ほら、すごい!」
「いや、さっぱり分からないが……」
ベイラスは頭を抱えた。カテリナの言いたいことが全く分からない。立ったからすごい? 訳が分からない。立つだけならば、誰でもできるだろう。何度聞いても、それ以上のことが分からなかった。
困ったベイラスがとる行動は、大体いつも決まっている。こういうときにベイラスが頼るのは、ルアだった。
「ルア、お前はどう思う?」
「そうですね。リナちゃんの言いたいことは分かりません。ですが、これはいつものことです」
「えー、こんなに分かりやすく言っているのに、二人ともなぜ分からないんだろう?」
カテリナは首を傾げて真剣に悩んでいた。そんなカテリナを見て、ルアも頭を抱えたい気持ちになる。どうして伝わらないのかは、リナちゃんの言葉が足りていないからです。そう言ってしまえば簡単だ。
しかし、そう伝えれば彼女はなんとか伝えようとする。そしてその言葉は直感的で、彼女にしか分からない。つまり、余計ややこしいことになるからだ。
……よって、ルアにとれる行動は少なかった。フィルに話しかけるしかないのだ。カテリナの伝えたいことが分からない以上、もう一人に聞くしかない。当然の帰結だった。
「あなたは、リナちゃんの言っていることをどう思いますか?」
「え? 僕は、その……」
「焦らないでいいです。ゆっくり考えてから話してください」
「は、はい」
ルアは答えを焦らない。大人と話すことが多く、人の機微を気にして生きてきたことから、そういった話し方が身についている。そんなルアの態度は、フィルからしても安心して話すことができるものだった。
なので、ルアの言葉に甘えてじっくりとフィルは考える。彼女がなぜ、自分に親身になってくれているのか。いや、むしろ行き過ぎているくらいに仲良くしようとしてくれているのかを。
……しかし、分かるわけがなかった。フィルからして見ても、たまたま自分を助けてくれた人が、なぜか自分を気に入っている。そうとしか言いようが無いからだ。
頭を抱えたフィルは、申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません。僕にも分かりません。あの、お邪魔でしたら僕は帰ります……」
「いえ、帰れと言うつもりだったわけではないのです。ただ理由が分からないので、すっきりしないと言いますか……。そんな感じです」
フィルもルアもベイラスも、結局なにも分からない。そんな中で、一人だけ納得しているカテリナが手を上げた。
全員注目、私を見ろ。そういった自己主張だが、小柄で可愛らしい彼女が飛び跳ねているので、三人は特に異論を言うこともなくカテリナを見た。
「はーいはーい! 二人とも、フィルくんと戦ってみればいいと思います! そうしたら分かると思います!」
「は? 訓練じゃなくて、勝敗をつけろってことか? そりゃ弱い者いじめだろ……」
「……すみませんが、僕もベイラスに同意します。実力差がありすぎます」
だが、カテリナはそんな二人の意見を聞きもしなかった。ベイラスの手を引っ張り、フィルの手を引っ張る。そして二人を広場の中央で向かい合わせた。「いいから、やって?」そんな笑顔で三人へ笑いかけている。
ベイラスは溜息をつきながらも、斧を構えた。言っても無駄だと分かっているからだ。しかし、そんな状況で一番困っているのは、言うまでもなくフィルだった。持っている槍を構えることもできず、動けなくなってしまう。
なぜ、戦わなければいけないのだろう? 勝てるわけがない。なのに戦うことにされている。異論しかない状況に、追い込まれていた。
カテリナは、そんなフィルの態度に気付いてはいたが、無視をして自分の手をパンッと合わせた。
「はい、それじゃあ二人とも構えて!」
「いや、構えてるだろ……。なるべく早く終わらせてやるから、悪いが構えてくれるか?」
「で、でも……」
フィルは、構えない。ただ槍を抱えて動けないままだ。ベイラスとルアは、フィルに同情していた。流されて無理矢理試合をさせられそうになっているのだ。気の毒としか言いようがない。
しかし、カテリナだけは違う。震えているフィルの手をとり、笑いかけた。
「大丈夫! フィルくんは勝てないから!」
「え? なら、やらなくても……」
「勝てないけど、やれば分かるよ! だから、全力で戦って!」
カテリナの目には、絶大な信頼が浮かんでいた。なぜ信頼しているのかが、フィルには分からない。でも、ここまで信じてくれている相手を裏切ることも、フィルにはできなかった。
……フィルは、ゆっくりと槍を確かめるように握った後、ベイラスへ向かい構えた。
ベイラスも斧を構え直す。だが彼の頭の中にあるのは、早く終わらせてやろう。それだけだった。相手を侮っているわけではない。純粋に自分の方が上だという絶大な自信と、ほんの少しの同情から、そう思っていた。
二人を交互に見たカテリナは、満足そうに笑い片手を上げる。そして合図とばかりに、腕を思い切り振り下ろし、叫んだ。
「はじめ!」
「行くぞ! 防げよ!」
合図と同時に、ベイラスは駆け出す。防げ、というのはフィルを気遣っての台詞だ。防げないまでも、少しでもダメージを減らせるように。そう思った彼の気遣いだった。
ベイラスはフィルの左から右へ抜けるように、手加減しつつ斧を振る。当然のようにフィルはその斧を受け、吹き飛ばされた。
すさまじい衝撃で、足をなんとかつくがバランスを崩したフィルはごろごろと転がり、なんとか立ち上がる。「全力で戦って!」というカテリナの言葉があったからこそ、立ち上がりベイラスへ向けて、また槍を構えることができた。
フィルは一杯一杯だったのだが、それを見たベイラスは違った感想を抱く。手加減していたとはいえ、自分の一撃を受けて平然と立ち上がったのだ。カテリナの言っていた意味を、一撃で理解したベイラスは笑った。
そしてそれは、ルアも同様だ。ベイラスの体格はフィルより一回り以上大きい。ルアだってまともに受ければ、すぐには動けない。しかし、フィルはすぐに立ち上がった。未熟ながらも、ベイラスの攻撃を受け流していたということだ。
……面白い。ベイラスとルアの中で、フィルの評価は一瞬で変わった。こんなやつが、同年代にまだいたのかと。
「は……ははっ! 次は全力だ!」
ベイラスは、自分の力が強いことをよく知っている。だから同年代の相手では、カテリナとルア以外に全力で攻撃をしたことはない。しかし、こいつは耐えるかもしれない。……いや、耐えてくれる。
そう思い、頭上に掲げた斧を全力で振り下ろした。
フィルは先ほど以上の一撃を受け、後ろへ吹き飛ぶ。体も浮き上がり、槍が手から吹き飛ぶ。だがフィルはすぐに立ち上がり、槍を拾ってベイラスへ向けて再度構えた。
ベイラスはフィルを見て高揚する。ちっぽけで、痩せていて、大した技術もない。なのに、自分の全力を耐えたフィルに対し、歓喜した。
「まだまだ行くぞ!」
ベイラスが攻撃するたびに、フィルの手からは槍が吹き飛ぶ。フィル自身も、何度も土にまみれた。しかしそれでも、手を痺れさせながらだが立ち上がった。攻撃を流すことだけに集中し、ベイラスを見据える。
立ち上がることがベイラスには嬉しく、フィルはフィルで妙な感覚に包まれていた。傍から見れば弱い者いじめにしか見えないが、二人の気持ちは呼応するように昂ぶっていたのだ。
フィルは何度も吹き飛ばされるうちに、ベイラスの隙が見えるようになっていた。そこを突けば、勝てるかもしれない。しかしフィルは、それに気付きながらも攻撃を繰り出せずに、ただただ耐えた。踏み込めば、斧で打たれるかもしれない。突けば、防げないかもしれない。……なによりも、相手が痛いのではないだろうか?
自分の優しさや甘さ、恐怖を乗り越えられないフィルは、ひたすら耐えることしかできなかった。
そして、当然そんな戦い方では限界を来す。フィルの手から吹き飛ばされた槍が、遥か後方に飛び、カランと音を立てた。
「はぁ……はぁ……」
「ははっ……はぁ……はははっ! なんだこいつ! いや、フィル! お前すごいじゃないか!」
ベイラスはフィルに近づき、その背をばんばんと叩く。彼は心の底から喜んでいた。こんなやつが、いたのか。自分が間違っていた。カテリナが正しかったのだ、と。
同じように感じていたルアも、遅れて近づくとフィルに賞賛の言葉を述べた。
「えぇ、リナちゃんの言っていた意味が分かりました。僕たちが間違っていたようです。……ですが、なぜ攻撃しなかったのです? 何度か、ベイラスの隙を見つけていましたよね?」
「それ……は……」
怖くて、踏み出せなかった。その一言が、フィルの口からは出てこない。もごもごとしながら、痺れている手を擦るだけだった。二人もそんなフィルの態度を見て、なにか事情があるのだろうと察する。……だが、容赦なく聞く人物がいた。
「フィルくん、なぜ? どうして? ベイくんに勝てたかもよ? 突いちゃえば良かったじゃん!」
「あの……」
おろおろとしているフィルは、カテリナをルアをベイラスを見る。でも全員首を傾げているだけで、フィルの気持ちを理解してくれているわけではない。
むしろ、その真意が知りたくてフィルを見ている。……困ったフィルは、正直に打ち明けることにした。これでこの三人に失望され、もう会うことがなくなったとしても、それは今までと同じになるだけだ。
そんな後ろ向きの感情を持ったまま、フィルは正直に告げた。
「……怖かった、から」
「踏み込むのが?」
「うん……」
三人は顔を見合わせた後……笑った。フィルは三人を代わる代わる見て、予想外の反応に戸惑う。まさか、笑われるとは思ってもいなかった。
「うんうん、そうだよね。ベイくんの攻撃怖いよね!」
「えぇ、僕にも分かります。しょうがないですね」
「待て待て。俺が怖いみたいな言い方はやめないか?」
笑って、しょうがないと言ってくれている三人が、そこにはいた。フィルは、胸の中に温かいものを感じる。別におかしなことではないのだと、そう言ってもらえることが嬉しい。
その日、三人に向かって初めて……フィルは、笑うことができた。
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