第2話
一年が過ぎ去った。
フィルは約束の広場で、木製の槍を今日も振る。突き、払い、斬る。そんな基本動作を繰り返していた。
同じことを繰り返しているだけではあるが、フィルには充実感があった。本を見ながら、ただただ無心に槍を突く。
もう少しひねろう。もっと早く突こう。次の動きに繋ごう。相手が右に避けたらどうするか。相手に払われたらどうするか。ひたすらイメージしながら、槍と体を動かす。
疲れて動けなくなれば休憩を入れ、広場を見回した。あの女性がもう一度来たら、自分の成長を喜んでくれるだろうか? そんな小さな思いだけが、フィルを広場へ通わせていた。
その日もフィルは、いつも通りに広場で槍の訓練をする。
広場の中心ではなく端の方にいるところが、彼の性格をよく現わしていた。木の箱の上に本を置き、槍を振ることに夢中になっていたフィルの元へ人影が近づく。……しかし、フィルはそれに気付かなかった。
人影はフィルへ近づき、ドンッと彼を突き飛ばした。
「うっ」
「おい、へなちょこ英雄。今日も棒切れ振り回してるのか?」
人影は、フィルと同年代の数人の子供。一番前におりフィルを突き飛ばした少年は、明らかに親玉といった感じの一際大きい少年だった。
大柄な少年は、にやにやとフィルを見る。フィルはそんな彼を怯えた目でちらりと見た後、目線を逸らした。
「こ、こんにちはガンダ」
「ガンダ"さん"だろ!」
立ち上がったところを見計らったかのように、ガンダはフィルをもう一度突き飛ばす。フィルは少し震えながらも苦笑いを浮かべ、ガンダの機嫌をとるしかなかった。
ガンダはそんなフィルを見て、苛立ちと高揚を感じていた。自分より弱く、何も言い返せない相手。フィルはガンダにとって、格好のおもちゃだった。
苛立ちを感じるのだから、相手にしなければいい。そんなことはガンダにも分かっていた。しかしフィルの態度を見ていると、妙な高揚を覚える。苛立ちと高揚。苛立ちを忘れるためにフィルを突き飛ばす。そこから生まれる高揚感。ガンダはその妙な感情を面白く思い、広場へ毎日通っていた。
「広場には来るなって言ったよな? あぁ、それともまた訓練の相手をしてほしいのか?」
訓練とはなんて都合の良い言葉だろうか。フィルを痛めつける理由として、その言葉は最適だった。
いじめているわけではなく、訓練なのだからしょうがない。理由づけをして罪悪感を誤魔化し、ガンダはフィルを毎日殴る。
ガンダが疲れたら、他の少年がフィルを無理矢理立たせて木剣を叩きつける。彼らが疲れたら、またガンダの番だ。永遠に続くループ、それはフィルにとって地獄だった。
「僕は、ガンダ……さんの邪魔をする気はないんだ。端っこの方で、槍を振っているだけで……」
「それが邪魔だって言ってんだろ! 今日もやらないと分からないみてぇだな!」
ガンダは腰に下げていた木剣を抜いた。それを見たフィルはびくりと体が震える。今日もまた、この時間が来てしまった。
怯えるフィルを見て、ガンダはいつも通り高揚した。そしてその高揚感は、ガンダの苛立ちを全て忘れさせてくれる。さぁ、今日もこいつで訓練させてもらおうと、ガンダは歪に笑った。
「あ……の……」
「さっさと槍を構えろよ、へなちょこ英雄。それとも剣か? 俺はどっちでもいいぞ?」
フィルは怯えながら、周囲を見回す。しかし周りにいるのは、ガンダとその取り巻きだけ。にやにやと笑い、自分の番が来るのを待っているやつらだけだった。
広場に来るのを止めればいい。別の場所を探せばいい。そんなことは、フィルにも分かっている。……しかし、それだけはできなかった。
この場所はフィルにとって、大事な場所だ。泣いているだけだった自分に、小さな道を示してくれた人。あの女性と会える可能性がある唯一の場所。だからこそ、どれだけ痛めつけられることになっても、フィルは逃げることができなかった。
体も手も震えたまま、フィルはガンダに向かって木製の槍を構える。その姿を見て、ガンダはカエルを見つけた蛇のように、舌なめずりをした。
「行くぞ! 今日はどれくらい持つか楽しみだなぁ!」
「ひっ……」
勢いよく、自分より弱いと決めた者にガンダは飛び掛かる。思い切り剣を掲げ、叩き下ろす。フィルは槍の柄で木剣を受け止め、後ろへ下がる。
本当ならば近づかれる前に、突くなりして距離を保たなければいけない。だが、フィルはただ押され、追い込まれ、逃げ場を失う。後はただひたすら、剣を受け続けて耐えるだけだった。
「どうしたどうした! 全く成長しないやつだな! さっさと諦めろよ!」
しかしガンダは、日に日にここから攻めきれなくなっていた。追い込んでいるにも関わらず、フィルに粘られているのだ。
上から、横から、下から。あらゆる方向から剣を打ちこむが、その全てが防がれる。日々、フィルが耐え続ける時間は伸びていた。
ガンダの取り巻きは、それをガンダが遊んでいるからだと思っていた。だが実際は、本当に防がれている。……ガンダは、その事実に気付いていたが、ありえないと決めつけて打ちこみ続けた。
「おらおら! さっさと諦めろ!」
「ふっ……はっ……ぐっ……」
フィルに言葉を返す余裕は……無い。一発でも食らってしまえば、そこから崩れて叩き続けられる。ひたすら防いで耐えることしかできない。
だがその耐え続ける日々の成果か、ほんの少しだけ隙のようなものが見えるようになっていた。
(今、突けば入るかも……)
ぴくり、とフィルの体が反応する。しかし、意思が動きを止めた。
反撃すれば、さらに痛い目に合う。その恐怖にフィルは勝つことができなかった。だから今日も、ただひたすら耐え続ける。
……だが当然のように、耐え続けられるわけがなかった。
「おらぁ!」
「あっ……」
ガンダの渾身の一撃で、痺れ始めていたフィルの手から槍が落ちる。慌てて槍を拾おうとするが、そんなことは許さないとばかりに、ガンダの蹴りが腹に入った。
すでに追い込まれていたフィルは、すぐ後ろの壁に叩きつけられる。いつも通り、なにも変わらない展開だった。この後どうなるかは、フィル自身が一番よく知っている。
「がはっ……」
「はぁ……はぁ……ははっ、もう終わりかへなちょこ英雄!」
「ごほっごほっ……」
荒い息を必死に隠しながら、ガンダは強がる。弱者だと決めつけているフィルに、自分の息を乱されたことが腹立たしい。
だからガンダは……その感情をフィルにぶつけた。
「おら! おら! 立てよ! もう終わりか!」
「がっ……ぐっ……ま、参ったよ」
「うるせぇ!」
フィルが何を言おうと気にせず、ガンダは木剣を打ちつける。毎日毎日繰り返される、最悪の状況。……しかし、その日は少し違った。ガンダの動きがなぜか止まった。
自分の頭を腕で庇い、体を丸めていたフィルは動けない。またいつ叩かれるか分からない状況で、防御をやめることはできなかった。
何かの気まぐれで彼が叩くのをやめているが、もしかしたら自分が様子を窺うのを待っているのかもしれない。そんなことは、今までに何度も経験している。だからこそ、フィルはただ小さく丸まって震えていた。
「ねぇ、ちょっとやり過ぎじゃないかな?」
知らない、女の子の声がした。
フィルは腕の間から、その声の主を確認する。そこにいたのは、フィルよりも小さい金髪の少女だった。赤いマントを背につけている少女は、威風堂々とガンダに向かい合っている。
「なんだお前? 一緒にやられてぇのか? そうじゃないなら、さっさとどっか行けチビ!」
「む、そういう言い方は良くないよ! さっきから見ていたけど、参ったって言ってたよね? なら、やり過ぎでしょ。止めてあげなよ」
ガンダは、突然現れた小さな少女に苛立った。自分の楽しみを邪魔しただけではなく、説教までしようというのだ。フィルを打ち付け興奮していたガンダは、怒りのままに少女へと近づく。
このくそ生意気なチビを、どうぶちのめしてやろう。彼の頭の中には、それしかなかった。
「ねぇ、聞いてる?」
「うるせぇ」
有無を言わさず、ガンダは木剣を振り上げる。少女はやれやれといった顔を見せた後、自分の腰元の剣へと手を伸ばした。
こういう輩は、痛い目に合わせないと駄目なのかな? 少女はそう思い剣を抜こうとしたのだが、彼女の前に立ち塞がる人がいた。
「え……」
「逃げて! 早く!」
ガンダと少女の間に入り込んだのは、フィルだった。
フィルは拾った槍を構え、少女の盾となるようにガンダの前へ立つ。
それを見た少女は驚いた。先ほどまで散々痛めつけられていたのに、この少年のどこにそんな力や勇気が残っていたのかと。……しかし、少女はその考えが間違っていたことに気付く。
自分の前に立つ少年の背は、震えている。よく見れば、手も、足も、全身震えていた。怖くて、逃げたくて、痛くて、辛い。なのに、少年は少女の前に立っているのだ。
少女は強かった。同年代の相手に負けたことなんて、ある二人を除けば一度もない。大人とだって対等に渡り合える自信がある。……自分が強いことを知らないとはいえ、守るために立ち上がった少年の姿は、少女にとても美しく映った。
「どけやへなちょこ!」
邪魔者だけでも腹立たしいのに、さらに邪魔が入った。その事実が、ガンダをかつてないほどに苛立たせる。ガンダは感情の赴くままに、剣を振り下ろした。
すでに満身創痍だったフィルは、その一撃をなんとか押さえたが、持っていた槍が手から吹き飛ばされる。
ガンダはその状況を見て、苛立ちが少し消える。なんだ、少し立っただけか、後一発殴れば終わりだ。そう思い歪んだ笑みを向けた。
「二人とも纏めて潰してやらぁ!」
「危ない!」
フィルが背にいる少女を庇おうと振り向くと、そこに少女の姿はなかった。一瞬唖然としたフィルは、動きが止まる。……しかし後ろからはガンダの攻撃が迫っていることを思い出し、今度は慌てて前を振り向く。
振り向いたフィルが見たのは、ドスンと音を立てて倒れたガンダ。そして狐と剣の家紋が入った赤いマント。
いつの間にか前にいた少女は、フィルの方を見てにっこりと笑った。
右手に剣を握っていることから、彼女がガンダを倒したのだろう。フィルが見ていなかった一瞬のうちに。
「大丈夫?」
「……うん」
フィルは、ただ頷くことしかできなかった。だが、すぐに思い出したかのように気付く。ガンダを倒したということは、取り巻きたちが今度は向かってくるかもしれない。
そう思い慌てて取り巻きたちを見ると、彼らは倒れていたり、泣いていたり、フィルから見てもひどい状況だった。
彼らの中心には、見目麗しい男か女か分からない人物。緑のマントをつけており、背には弓と鳥の家紋。
もう一人は一際大きいガンダよりもさらに大きい少年。黒いマントの背には斧と猪の家紋。
この三つの家紋を、フィルはよく知っていた。……竜騎士と共に戦った三騎士。その家紋だった。
驚いたまま固まっているフィルに、少女は落ちていた槍を拾って渡す。フィルはそれに気付き、受け取った。
にっこりと、少女が笑う。そして次の瞬間、少女の姿はフィルの視界から消える。
体が勝手に動いた。そうとしか、表現のしようがない。フィルはなぜか自分の左側に槍を動かす。そしてドンピシャとばかりに、そこへ少女の剣が当たり、槍はまた吹き飛ばされた。
「え……?」
「いたっ」
先ほどのガンダの攻撃を防ぎ、フィルの手は痺れたままだ。だがそれでも、なんとか防ぐことができた。
フィルはなぜ攻撃されたのかも分からず、困惑の表情を浮かべる。
少女は、そんなフィルを驚愕の瞳で見たが……それ以上の歓喜が、すぐに少女を包み込んだ。
「ねぇ!」
「え? えっと……殴らないでもらえるかな?」
「うん、いきなりごめんね。私、カテリナ。カテリナ=フォックス。君の名前を教えてもらえるかな?」
「フィル……フィル=シュタインだよ」
「よろしくね!」
フィルと他二人の少年は、訳が分からないと言った顔をしている。しかし、カテリナは満面の笑みだ。
初めて、自分より強いかもしれない少年に出会った。そのことが、カテリナにはとてつもなく嬉しい。だからフィルと握手をし、手をぶんぶんと振っていた。
この三人との出会いにより、フィルの生活は一変する。
金髪の元気溌剌な少女、カテリナ=フォックス。
茶髪の麗しい少年、ルア=バード。
黒髪の逞しき少年、ベイラス=ボア。
三騎士の末裔との出会いにより、フィルの人生がまた一歩動き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます