諦念

 翌朝、校門の前で慎司と真希が待っていた。

「昴!」

 真希は僕を見つけて駆け寄る。慎司も後ろから続く。

「おはよう」

 僕は二人に手をあげて挨拶をした。

「昴、昨日のことだけど」

「ああ、ごめんね。つい取り乱してしまって」

 慎司の言葉を遮って僕は謝罪の言葉を投げた。

「ごめんなさい。私達、その、親から口止めされて」

 真希が僕を見上げてとても申し訳なさそうな顔をしている。僕は真希を身長で追い越したのはいつだったっけ、とちょっと関係ないことを考えた。

 そして保留にしていた未解決の悩みについても、彼女の顔を見た瞬間に閃くように結論が出た。

 そうか。そうだよな。悩みはすべて解消された。なんて清々しい気分なんだろう。

「良いんだって。口止めされるのも当然だし、黙ってた二人は悪くないよ」

「でも」

「大丈夫。父さんと母さんと話もできたし、ちゃんと理解したよ。本当にもういいんだ」

「そっか…」

 両親と話ができたときいて多少安心したのか、真希は言葉を止めた。

「ちょっと職員室寄ってくから、先行ってて」

 そう告げて、二人から離れて僕は職員室へと向かった。


「斎藤、これは」

 担任の先生は、僕が渡した紙を見て訝しげな顔をした。

「提出が遅くなってすみませんでした」

 職員室に来た僕は、真っ直ぐ担任の所へ行き進路希望調査票を渡した。

「提出期限はまだだし、それは良いんだが…斎藤、これは本気で書いてるのか」

「はい」

「何かあったのか」

「いえ、今の僕の正直な希望です。…先生、HR始まります。お先に失礼します」

 何か言いたそうな先生に背中を向け、僕は教室へ向かった。


 その日は、いつも通りに過ぎていった。慎司も真希も僕がすっかり落ち着いたことに安心してくれたようで、何事もなかったように接してくれた。

「慎司、お願いがあるんだけど」

 帰り道、僕は慎司に一つお願い事をした。

「本当はマスターに直接謝らなければいけないと思うんだけど、今日は塾なんだ。ごめん、て伝えといてくれるかな。また今度顔出すよ」

「まー、そんなことイチイチ気にしてねぇと思うけどな。昴のこと心配はしてたから、伝えとく」

「ありがとう」

 引き受けてくれた慎司にお礼を言って別れ、そして、僕は塾に向かう。

 塾もいつも通りに過ぎていった。只、僕はこの塾にもあとどれくらい通うのだろうか、と少し感傷的になっていた。


「ただいま」

「おかえり」

 塾が終わり家に帰ってくると、父が玄関先に出てきた。

「あれ、もう帰ってたんだね。早いね」

「昴、鞄を置いて着替えたらすぐリビングに来なさい」

「…はい」

 父は難しい顔をしていた。

 僕はそれを不思議には感じない。恐らくこうなるのだろうとは思っていた。


「担任の先生から連絡をもらった」

 リビングで椅子に座ると、父は口を開いた。母もその隣に座って僕を見ている。

「進路希望に就職と書いたというのは、本当か」

「本当だよ」

「昴…」

 母はとても残念そうに名前を呼んだ。

「母さんが学校からの電話を受けたらしいんだが、先生も心配してくれていたそうだよ」

 父は少し前屈みになり、手をテーブルに乗せる。

「失礼かとは思いましたが、昴君の以前の希望は知っているし、何かあったのかと思いご連絡さしあげました、って…先生がね、電話をくれたのよ」 

 母が続ける。

「希望は希望でしょ?変わることもあるよ。現に僕の中で希望が変わったんだ。だからそう書いた。…あ、そうそう、塾ももう辞めようと思う。今月か来月まででどうかな。通わせてもらってるうちはちゃんと勉強はするし、高校も最後までしっかり通うよ。勉強に手を抜こうとも思ってないから安心して。高校だけは卒業させて欲しいんだ」

 僕は畳みかけるように伝えた。進路希望調査票を書いたときから、問われたらずっと返そうと考えていた言葉だった。

「…高校を出たら、何をする気だ」

 父は低い声で問う。少し眼が怖いと感じたけど、僕はとぼけるように首を傾げた。

「さぁ?まだ考えていないんだ。就職活動をするにしても、時間はまだあるしゆっくり探すよ」

「医者になりたいんじゃ、なかったの」

 母が蚊の鳴くような声で呟く。

「昨日言った通りだよ。僕は父さんや母さんに気に入られたくてずっとそう言ってきた。勉強も頑張ってきた。だけどもう言ってしまった以上、取り繕うこともないかなって思ったんだよ。あの時は取り乱してはいたけど、言った言葉は本心だよ」

 本心だと心から思ってはいるが、哀しそうな母の顔を直視できなくて、僕は俯きながら答えた。

「やりたいことがあって就職するなら反対はしない。だがそうじゃないなら、賛成はできない」

 父の言葉や表情からは、言い表せないプレッシャーを感じた。だからつい、たとえ感じ取られようとも言わずにおこうと思っていた言葉を、僕は口にしてしまった。

「実の息子でもない僕が、これ以上貴方たちに迷惑をかけるのは良くないことだと思った。最大限貰った投資には応えようと思うから高校は卒業する。これが僕なりに考えた結論だよ」

 父は立ち上がり、僕を殴った。

 先日は平手打ちだったが、今回は拳だった。手加減はされたと思うけど、流石に痛い。

「それこそ親不孝だ。母さんが今回のことを打ち明けようとしたのは何故だと思う」

「黙ってるのが耐えきれなかったんでしょ」

 僕は殴られた頬を押さえながら返す。

「違う。知った上で自分で将来を決めて欲しかったからだ。優の影に縛られずにやりたいことをやってほしいからだ」

「だから、自分で決めたじゃないか!放っておいてくれよ、僕の人生だ!」

 父の言葉から、兄さんという存在の強さに押されて僕が医者になろうとしていたと、既に両親に感じ取られて居たことのだとわかり、気恥ずかしさも相まって僕は思わず叫ぶ。

「母さん、やはり私たちは昴を買い被りすぎていたんだ。まだまだ子どもだったんだよ」

 父は拳を震わせて、椅子に座る。

「あなたやめて、昴もどうか落ち着いて」

 母はまた泣いていた。二日連続親を泣かせ、怒らせ、僕はとても情けない気持ちになっていた。

「ねぇお願い、考え直して昴」

「考えた結果だよ」

 僕はすがりつく母の手を振り払って、外へ飛び出した。


「情けないし、馬鹿らしいな本当に」

 少し離れた所にある公園のベンチで僕は項垂れていた。

 僕の考えの何が悪いと言うのだろうと憤慨する気持ちと、あんなに親を困らせて何をしているのかという気持ちで身体が二つに裂けそうだった。

「こら、坊主。何遅くにフラついてんだ」

 よく知った声が聞こえてきて顔を上げた。

「マスター」

 声の主の名前を呼び、慌てて立ち上がる。

「昨日は本当にすみませんでした」

 マスターとは親友のつもりではいるが、年上だ。僕は姿勢を正して謝罪する。

「あー、よせ、気持ち悪い。勝手に飛び出したくらいの話だろ。気にしてねぇよ」

頭を下げようとした僕を、マスターは面倒くさそうに制し、僕の左隣に来て座った。

「どうしたの、こんなところで」

「コンビニにアイス買いにいってた。食え」

 棒アイスを袋から取り出し、差し出してくる。

「え、でも」

「お前に買ったんだ。溶ける前に早く食え」

 マスターは同じアイスをもう1つ取り出すと、袋を開けて自分で食べ始める。

「なんで僕のが」

「コンビニ行く途中で辛気くせぇオーラ出してるガキが居ると思ったらお前だったんだよ。暫く居るんだろうと思ってアイス買って戻ってきたら、案の定まだいたから声かけた」

 いつの間にか見られていたのか。少し恥ずかしい気持ちになる。

 アイスをかじると、ソーダの爽やかな風味がした。喉の乾いていた僕は染み渡る清涼感に眼を細めながら味わう。

「喉が乾いてきたけど、財布も何も持っていなかったからどうしようかと思っていたんだ。助かったよ」

「何してんだよこんなところで。物思いにでも耽ってたのか、悩める昴坊っちゃん」

「悩みは解決したはずなんだけどね」

 僕は苦笑をこぼした。

「全然思い通りにならなくて困ってて。それで此処に居る」

「なんだ、今度こそ喧嘩したか」

「父さんに殴られた」

 マスターは大きな口を開けて笑った。

「そりゃしょうがねえな。アイツは短気だから」

「え?父さんが?」

「そりゃあお前、俺と長年つるむようなヤツだ。…優が産まれてからかな、随分丸くなったよ」

 マスターに与えられた情報を、僕はすぐには処理できなかった。記憶の中の父を辿っても、短気な父は想像できない。

 そういえば父は息子と殴りあいの喧嘩をしてみたいと言っていた。僕もお返しをした方が良かったのだろうか。そんなこと、特に今となってはそう簡単にはできないけれど。

「…兄さんが生きていないことが悔やまれるね。本当の親子ならもっと喧嘩もして、もっとわかりあえたんだろう」

「…昴、お前」

 マスターは驚いた顔で僕を見た。そして数秒止まった後に、ひどく馬鹿にするような顔をして続ける。

「深刻な顔して何考えてんのかと思ったのに、いじけてるだけか」

 僕はムッとしてマスターを睨む。

「なんだよそれ、いじけてないよ、僕なりに考えて冷静に判断してる」

 その言葉を聞いたマスターは鼻で笑った。

「じゃあ聞かせてみろ。お前の考えとやらを」

「…僕の考えを?」

「おう。聞いてやる」

「別に良いよ、どうせ馬鹿にするんだろ」

「馬鹿にする必要がなければ馬鹿にはしねぇよ」

 僕は悩んだ。そうはいっても馬鹿にされるんだろうとため息を一度吐いて、でもマスターのことを邪険にもしきれなくて、考えを口に出し始める。

「進路をどうしようか、真希をどうしたら振り向かせることができるか、…もしかしたら僕は両親の本当の子どもではないのか、この三つが昨日までの悩みだった」

「青春役満て感じだな」

 マスターは楽しそうに肩を揺らしている。

「…茶化すならやめるよ」

「へーへー、続けてくれ、坊っちゃん」

「結局本当の子どもじゃないことがわかって、納得して、そしたら進路の悩みも解決した」

 食べ終わったアイスの棒を指先で揺らしながらマスターは黙ってこちらをみている。続けろ、と言われた気がした。

「血の繋がりがないとわかった以上、僕は二人にこれ以上甘えるわけにはいかない。義務教育は終わっているし、来年には十八才だ。高校は卒業させてもらって、僕は働く。少しずつになるだろうし、いつ終わるかわからないけど、両親にお金を返していくよ」

「そりゃ、ご立派なこった。……一応訊くが、真希ちゃんのことは?」

「僕はこの先、育ててくれた両親に恩返しするために生きるんだ。そういうことに気持ちを持っていかれてる場合じゃないと気づいた。それに」

 今朝会った真希の顔を思い出す。

「仮に振り向いてもらえても、僕のこの人生に彼女を巻き込みたくない。違うところで幸せになってほしいな、と思った。だから、もう追いかけるのはやめたよ」

「それがお前の出した結論か」

 マスターが、掠れるほど静かに、神妙に言葉を放つ。真剣な空気を感じた。わかってくれたのだろうか、それとも父にされたように殴られるのかな。マスターのは痛そうだ。

「…っ」

 マスターは不意に俯く。何かを堪えるように身体を震わせていた。

「マスター…!?ど、どうしたの、まさか」

 泣いているの?と言いかけたが、その前にマスターの笑い声が夜の公園に響いた。

「だーっはっはっは!あははは、ダメだ、我慢できねぇ、くくく…ぶははは!!お前、俺を笑い死にさせる気か!あー、おかしい」

「…帰る」

 僕は立ち上がろうとしたが、マスターが腕を掴んでそれを制す。まだ笑っている。

「待て待て、悪かったって。でも本当におかしくてな。ガキらしいことばかり抜かしやがるから」

「父さんもマスターも僕を子どもだ子どもだって馬鹿にして!悪かったなガキで」

「だってお前、冷静に判断した結果がそれだって?俺にはやっぱりいじけてるようにしか見えねえよ」

「アイスごちそうさま。子どもは帰って寝るよ」

 投げやりな言葉を放って僕は今度こそ立ち上がる。

「昴、宿題を二つやる」

 立ち去ろうとする僕にマスターが言った。

「……聞く義理はないと思うけど、一応聞いてあげる。なに?」

「親のため親のためって思って出した結論に、一番哀しんでるのは誰か。もう一回考えろ」

「…もうひとつは」

「真希ちゃんと、いっぺん話をしてこい。二人きりでな」

「…真希と?」

「大丈夫。お前、頭は良いんだから」

 マスターは、ニヤリと笑った。

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