崩壊
「ちょっと、その、悩みがあって…全然考えがまとまらないんだ。二人に話して落ち着けたらと思って」
「なんだよ、改まって」
慎司はそう言って笑った。
「茶化すなよ。昴からそんなこと言ってくるの珍しいじゃねえか」
マスターは洗い物の手を止めてこちらを見てくれた。
「うん。あのさ、悩みは色々あるんだけど…」
「おう、なんだなんだ、聞いてやる」
慎司が面白そうに身を乗り出す。マスターはそこまではしなかったが、二人とも本当に珍しいと思って興味津々みたいだ。
何から話そう。やっぱり一番気になるのは、一番重たい話しでもあるけど…この事かな。僕は少し悩んでから口を開いた。
「実は、昨日、聞いちゃったんだよ」
「何を?」
「僕が…父さんと母さんの子じゃないってこと」
………
二人はとても驚いた顔で僕を見て絶句した。
その沈黙に耐えきれず、でも聞き間違いかもしれないんだけど、と付けたそうと慌てて口を開こうとした。
だけどその前に慎司が声をあげる。
「あれ!?なんで知ってるの?それってまだ秘密なんじ―――」
「おい、バカ野郎!」
マスターがカウンターの向こうから手を伸ばして慎司の口を塞ぐ。
「……あれ…?」
慎司の言いかけた言葉と、マスターの動揺。二人を交互に見て、僕は少し考えて…それに気づいた。
「もしかして二人とも、知ってたの…?」
「どこで聞いた。昴」
僕の問いに答えず、マスターは睨むように僕を見て問う。
「父さんと母さんが、話してるのをたまたま聞いちゃって…全部を聞いた訳じゃないんだけど…」
「だったら本人たちに確認してこい。俺からはそれしか言えない」
「ねえ、マスターは知ってたの?」
僕は少し大きな声を出した。
「慎司も…!?知ってたの?ねえ!」
「…いや、さ、さぁ…?どうかな」
慎司は顔を合わせない。眼が泳いでいる。なんて嘘をつくのが下手なんだ。
なんてことだろう。
僕には今、二つの事実が叩きつけられた。
ひとつ、僕が両親の実の子ではないのは、ほぼ確実に真実だということ。
ふたつ、それを、二人は、僕の親友二人は、ずっと知っていたということ。
「どうして…いつから?いつから知ってたの慎司!」
「いや、えっと、俺もそのたまたま」
「黙っとけ慎司」
マスターが遮る。
「これ以上喋るな。俺もしゃべらねえ。気になるなら当人たちに訊いてこい」
「………っ」
知っていたんだ。二人とも。
何故かと問われたら良くわからないけど、とても不愉快な気持ちになる。
「…帰る」
「あ、昴…!」
吐き捨てるように一言を置いて、僕はサカモトを後にした。
「…昴?」
俯きながらふらふらと道を歩いていたら、前方から聞きなれた声がした。
「やっぱり昴だ。どうしたの?顔色悪いよ」
真希だった。飼い犬のジョーを連れている。散歩だろう。
「いや、大丈夫…だと思う」
「え、何それ!すごく大丈夫じゃなさそうだよ」
「真希」
「うん?」
「僕は、父さんと母さんの本当の子じゃないって知ってる?」
「え―――」
真希の顔から緊張の色を感じた。
「………真希も、知ってるの」
「…何の話かわかんないよ、知らない」
真希も僕から眼を逸らす。先程の慎司みたいに。
「慎司も真希も、嘘が下手だなぁ」
僕は弱く笑った。
そうか。僕だけ知らなかったのか。
「第一、そうだとしたらなんだっていうの?おじさんとおばさんはちゃんと昴を、あ、ちょっと、昴!」
僕は走り出していた。
走って、それから、どうしようかなんて何も考えてない。只あの場から逃げたかった。
自分の中に沸き上がるこの感情が何なのか、形容しようとしながら走った。
僕だけが。僕だけが自分が何者かも知らないで、十七年間生きてきたって?
くそっ、皆して僕をノケモノにしてきたんだな。
気づけば僕は、自宅についていた。
「おかえり…ど、どうしたのそんなに息を切らして」
リビングで、お茶をしていたらしい両親は、驚いた顔で僕に注目した。母が肩を上下させている僕を眼を丸くして観察している。
「父さん」
「…なんだ」
父は不思議そうな顔をしている。
「こんな顔」
「…え?」
「こんな顔をしているよ僕は!二人の話を聞いて!」
二人の顔がにわかに強張るのがわかる。
「お前、聞いて…」
「なんだよ皆してコソコソと!同じ家の中にいるんだ、いつ聞こえたっておかしくないだろ?それで、あんな話して、バカなんじゃないの、隠す気あったの!?」
違う。
僕はこんなことを言いたかった訳じゃないんだ。なんて馬鹿馬鹿しい言いがかりなんだろう。
慎司の声がふとよぎる。
『頭に血がのぼってついな。わかるだろ』
慎司。
わかる。今ならわかるよ。
「なんでマスターや慎司…真希まで!知ってるんだよ!僕だけノケモノにして楽しいの?」
「昴、お願い聞いて」
母が立ち上がる。
「母さんの気持ちは前からわかってたよ」
それを遮るように言葉をぶつけた。
「え?」
「母さんの中では、今も、これからも、ずっと兄さんが一番なんだろ?そりゃそうだよな、あっちは実の息子なんだろ?しかも死んだんだ」
「何を言って」
「僕はずっと思ってた。死んだ人間は卑怯だよ。死んだだけで心にずっと住み続けることができるんだ。僕がどんなに生きて頑張ったって、死んだ人間に叶わないんだよ。不公平だと思ってた。しかも僕は実の子じゃないんだって!?もう勝ち目ないや」
何を訳のわからないことを言っているのだろう。
少しおかしくなって、最後は自嘲気味に笑った。
「本当はね、兄さんのことなんてずっと昔からどうでもよかった。兄さんの為に医者になる?馬鹿馬鹿しい、捨てられないように媚を売る子供のリップサービスだよ!…何の思い入れもないし、母の心に住み着いて離れない兄の存在が、僕はずっと嫌いだった。大嫌いだ!あんな気持ち悪いガキ」
「昴」
父が僕の頬を打った。
「…落ち着きなさい」
「自分が言ったんだろ、僕が知ったらどんな顔するか。こんな顔してこんなことを言うよ。残念だったね母さん」
母は、僕からぶつけられた言葉にうちひしがれるように、座り込んでいた。
僕は叫び疲れて、多少落ち着きを取り戻してはいた、と思う。でもまだ腹の虫は収まっていなかった。
「確かにお前は、俺たちの子じゃない。…俺の姉の子だ」
「伯母さんの…?」
伯母のことは、ほんの少しだけ聞いたことがある。僕が小さい頃に亡くなっていて、僕は会ったことはないと思っていた。
「お世辞にも、良い姉とは言えなかったよ。好き勝手して、父親のわからない子を産んで、まだ幼いその子を放って遊びに言った先で事故に遭ってな。そのまま―――」
僕は眉を寄せた。
「それが」
父は頷く。
「その子が、お前だ。昴」
なんてことだろう。驚きすぎて足がフラつく。
「もともとお前が成人したら伝えようと思っていたことだ。言い訳も何も言わん。只伝えなければいけないことは伝えるし、お前からの質問にも答える。だがとりあえずは、頭を冷やせ」
「…」
「頭を冷やして、落ち着いたら話そう。…これだけは言っておく。母さんは今のお前の言葉でこんなにショックを受けるくらいには、お前を大事にしている。俺もだ」
母を見る。気付けば嗚咽を漏らしながら、泣いていた。
「後は冷静になったらお前には伝わると信じている。母さん、少し休んだら夕飯の買い出しに行こう。昴は家にいても良いし何処かにでかけても構わんが、夕飯にはちゃんと居なさい。しっかり頭を冷やしておけ」
僕は言葉を発することは出来なかったが、黙って小さく頷いた。
自室に籠り、僕は考えていた。
父に、母に、放った言葉。
本心なつもりはなかった。でも今となってはあれが自分の本心だったのだろうと理解していた。
昔から親に、こと母親に嫌われることが、拒否されることが怖かった。無意識のうちに気を使って、親の手を煩わせることを極力避けてきたと、もともと自覚はしていた。
兄を失った両親をこれ以上哀しませることが嫌だからそうしていたのだろうとおもっていたが、それだけではなかった。
記憶にははっきりとは残っていなかったが、何となくいつ捨てられるかわからないという緊張感や焦燥感は覚えていた。
あれは、きっと幼い自分がそう思うだけのなにかがあったんだろう。
ずっと、ずっとずっと燻っていた何かの正体を知り、幾分かはすっきりしたな、と僕は小さく呟いた。
両親にはひどいことをしたと感じている。
謝ろう。今まで育ててくれたことも感謝しなければならない。
ふと、彼は進路希望のことを思い出し、鞄を開けた。
用紙を取り出し、机に向かう。そして迷い無く記入をした。
書き終えたところでタイミング良く夕飯に呼ばれたので、ぐ、と唇を引き締め、一階に向かった。
「さっきは、ごめん」
食卓につく前に、立ったまま僕は頭を下げた。
「良い。夕飯にしよう」
父はどこか弱く微笑んで、僕を促した。母も同じような顔をして座っている。眼の下が少し腫れていた。
僕は黙って席に着いた。
僕たちはそのまま静かな夕飯を過ごした。
「お前の産みの親は、さっき話した通りだ」
母が食後に煎れてくれたお茶を飲みながら、父は話始めた。
「姉さんの事故にも驚いたが、子供がいたことをすぐに思い出してね。親や親戚に姉さんのことは任せて、母さんと一緒に慌てて姉さんのアパートに向かったら…お前がいたんだよ。…二歳くらいだったかな」
「一歳半よ」
母が言う。
「正直…良い状態とは言えない様子だった。年の割には小さかったし、歩くこともまだ出来なかった。姉さんの子育て事情は聞いてなかったが、まぁ、おそらく酷かったんだろう」
「あなた、そんなことまで話さなくても」
母は辛そうに咎める。父は小さく首を振り、続ける。
「もう隠し事はしないし、昴には聞く権利がある。昴がいやがらない限りは続けるよ」
「…続けて」
僕は頷いた。
「姉さんは助からず、他の兄弟と姉さんの遺品や部屋を整理して…お前をどうするか、という話になった。施設に預けるという話もした。そしたら母さんが引き取りたいと言ったんだ」
僕は母を見た。俯いていた。
「優が亡くなってすぐだったからな。父さんも母さんも、重ねた部分があるのは、否定しない。優の分まで大事にするから、と母さんは父さんに頭まで下げてな。…まだ駄目とも良いとも言ってないのに」
「生半可な気持ちじゃないってわかってほしくて」
母は顔を上げて僕を見た。僕は眼を合わせられなかった。
「それだけだ。…質問は」
「なんでマスターや慎司、真希まで知ってるの」
発した自分の声は、思っていたよりも低かった。
「坂本が父さんの高校時代からの仲なのは知っているだろう。当時のことを知っていておかしくないだろう。慎司君は何かの拍子で知ったらしいんだがな。坂本から強く口止めしていたと聞いている」
坂本、と父が呼んでいるのはマスターのことだ。二人が親友なのは確かに知っていたし、マスターが知っていてもおかしくないことだとは思っていた。
―――ふと、先日の父のコーヒーのことを思い出す。父は喫茶店を開くことに憧れていたと言っていたが、マスターが今ああして喫茶店を開いていることとは何か関係があるのだろうか。二人の夢だったりしたのだろうか。
そんなことに思考が逸れながらも、僕の中にまだ気になることがあることも忘れていない。
「じゃあ真希は。真希も知っているようだった」
「真希君も同じだ。三田さん家とはお前を引き取った当時から近所だったんだ。勿論、昴には成人したら話そうと思うから、父さんからそれまで黙っていてほしいと頼んだ」
三田というのは真希の苗字だ。
「そう」
僕は短く返す。確かに、冷静に考えれば何も不自然なことはなかった。
「よくわかったよ。突然聞いてしまって、しかも自分の周りの親しい人たちがみんなそれを知っているんだもの。ちょっと怖くなっちゃったんだ」
できる限り、明るい声で続けた。
「お前は覚えていなさそうだったし、変に蒸し返してもしょうがないと思ってな。逆に傷つけたかもしれないな…本当に、悪かった」
「いいんだ」
僕は首を振る。
「僕を引き取って、育ててくれて…ありがとう。父さん、母さん」
「昴」
母がその言葉に、眼を潤ませた。
「これからも、お世話になります」
そして僕は、頭を下げた。
「やめて昴、そんなこと言わないで。お願い…今まで通りの家族でいてほしいの」
母は強く首を振って訴えた。
「そうだね。ありがとう」
僕は素直に笑って頷く。とても清々しい気持ちだった。
父からの話を聞いて、進路の迷いも断ち切れた。先ほど書いた進路希望調査票の内容を思い出して、大きく息を吸った。
ここ数日で、僕は悩みが一気に三つ増えて、そしていっぺんに二つ解決した。
大丈夫。僕の心は、晴れやかだ。
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