発覚
「おかえり。どこ行ってたんだ」
家に帰ると、リビングでニュースを見ている父と顔を合わせた。
「サカモトでご飯食べてたんだ。帰ってきてたんだね」
「もう夜の10時だぞ。携帯に連絡くらいいれなさい」
「あれ、もうそんな時間だった?ごめん」
僕は時計を見上げた。確かに、時計は10時をまわっていた。
「母さんは?」
ふと、母の姿が見えないことに気づく。
「仏壇のところだ」
父の言葉に、僕は和室に足を向ける。
母は、仏壇の前に座って俯いていた。
「…母さん?」
「あ、昴。帰ったのね。遅いから心配したのよ」
「どうしたの?」
「なんでもないの。ほら、お風呂入ってきなさい」
「うん…」
母は兄の写真を持っている。
僕は少し心に重りを乗せたような感覚に襲われ、眉を寄せた。
母は時々思い詰めた顔で仏壇の前に居ることがあるのを、思い出したからだ。
何をしているのかはよく知らないけど、何となく、悩みや不安を兄に語りかけているのかな、と思う。
それを思う度に、表しがたい不快感を覚える。
その正体がわからないまま、僕は風呂場へと向かった。
風呂に浸かりながら僕はまとまらない考え事を延々としていた。僕はこれからどうしたらいいのか。進路希望のことを思い出してため息をつく。
一番の悩みは、今更気の乗らない理由が自分でわからないということだ。どこにぶつけたらいいかわからない悶々とした居心地の悪い感情が沸き上がる。何がそんなに気にくわないのか。
誰かに相談してみようにも、説明ができなくてどう相談したらいいのかわからない。
それでも風呂に入ってすっきりしたのか、頭をタオルで拭きながら心地良い気持ちでリビングに向かった。ドアの前まできたときに、両親の話し声が聞こえた。
「なんで今そんな話をするんだ。昴に聞かれたらどうする気だ」
その声に、僕は反射的に息を潜める。なんの話だろう。聞いちゃいけない話なんだろうとは思いながら、それでも僕はそのままその場から動けないでいた。心拍数が上がるのを感じる。
「でも私は今が良いと思うの、昴のためにも」
「昴のためじゃない。お前自身が耐えられなくなってきただけだろ」
「あの子の将来にも関わる話じゃない。やっぱり」
「駄目だ」
二人が口論をするなんて珍しい。穏やかではなさそうな空気に、僕は自分の心臓の音が漏れてしまっていないかヒヤヒヤしながら立ち尽くしていた。
「こんなタイミングでいったところで混乱するだけだ」
「話せばわかってくれる」
「本当にそう思うか?お前が十七歳の昴と同じ立場だったとして、言われたらどう感じるか考えてみたか?」
「それは…」
母が言葉を詰まらせる。そんなに凄いことなのか。耳を塞ぐべきか悩み、しかしその言葉はあっさり僕の耳に届いてしまった。
「言ったらどんな顔をするか想像してみろ。―――お前は父さんたちの子じゃないんだ、って」
耳から入った言葉は強い衝撃を脳に与えて、僕は目の前が真っ暗になった。
そのまま両親に声をかけることなく、僕は自分の部屋に戻っていた。ぐるぐるして、気持ちが悪い。
只、父の言葉を反芻する。
あれはどういうことだったんだろう。
どういうこともなにも。そのままじゃないのか。
僕が、本当は二人の子供じゃないって?
じゃあ誰の子だって言うんだ。
言ったらどんな顔をするかって?
こんな顔をしているよ、と父の前にでも飛び出してやれば良かったか。
叫び出したくなる気持ちを抑えて、頭をかきむしる。
その時、ケータイの着信音が鳴った。
画面を見たら、慎司だった。
なんだろう、こんな時間に。出ようか一瞬悩んだが、誰か自分ではない人の声が聞きたいという気持ちもあり、僕は電話に出た。
「もしもし」
『……もしもし』
慎司の声は不機嫌そうだった。
「どうしたの?何かあった?」
『今からうちこいよ』
「さっき夕飯食べに行ったばっかだよ」
僕は弱く笑った。
『クソオヤジじゃなくて俺んとこに遊びに来いって言ってんだよ。ゲームしようぜ、夜通しゲーム大会だよ、付き合え』
横暴なことを言ってくる。何か嫌なことがあったんだろう。僕は直感的に理解した。
「……いいよ」
『え!?』
僕の返答に、慎司はでかい声を出す。
「なんだよ、遊びたいんじゃないの?」
『いや、そうだけど…この時間のこの手の誘いに昴が乗ってくるのが意外で』
確かに、普段なら勉強したいとか、夜遅いからとか、急に泊まったら迷惑だからとか、そんな理由で断るところだ。
でも今は、この家に居たくない。明日が日曜日なことを恨もうと思っていたところだ。
とにかく、此処から一旦離れたい。
そう思っていた。
「慎司のところにいってくる」
リビングで声をかけることが一番の関門だった。まだ父の顔がまともに見られない。
二人の話し合いはどうやら一段落したようで、父は読書を、母は洗い物をしているところだった。
「こんな時間にか?」
「多分泊まりになるから」
「…そうか。迷惑の無いようにな」
もう少し何か言われるかと思ったが、父はそれ以外何も言わなかった。
「湯冷めしないでね、気をつけて」
母は少し何か言いたそうにしていたが、父の言葉を聞き、それ以上あれこれというのは我慢したようだ。
「うん」
顔を合わせていってきますとも言えず、もうそんな子供じゃないよと笑い返すこともできず、そっけない返事だけして、僕は外に出た。
「よぉ」
「………」
慎司とは近くのコンビニで待ち合わせをしていた。慎司は軽く挨拶をするが、僕は言葉を発せずにいた。
「慎司…!?ど、どうしたのそれ」
漸く発する事ができた言葉はそれだった。彼の左頬が赤く腫れていたからだ。慎司は不機嫌そうな顔で僕を見た。
「なんでもねぇよ」
「なんでもないわけないだろ、手当てした方が」
「大したことない」
「ほんとにどうしたの」
「…オヤジと喧嘩」
「……え?マスターと?」
驚いた。マスターと慎司は確かにしょっちゅう喧嘩腰で会話をするし、小さい頃からマスターに小突かれる慎司の姿は良く見てきた。だけどこんな、顔を腫らすような殴り方してるところを、僕は見たことがなかった。
マスターが意味もなく手をあげる姿も想像できない。
「……何をやらかしたんだよ」
「ぜってぇそう言うと思った」
色々考えを巡らせた結果、僕の口から出た言葉に、噛みつくように返された。慎司には悪いけど、慎司が相当悪いことをしたとしか僕には考えられなかった。
「まぁ。俺も悪かったとは思ってるんだけど」
僕たちはコンビニで適当な買い物をして、坂本家に向かった。おばさんに挨拶をした後、慎司の部屋でゲームをしながら、慎司は徐に話し始めた。
「だから何をしたの?」
手元のゲーム機に眼を落としながら問いかける。
「進路」
「え?」
個人的にはとてもホットな言葉で、僕は少しドキッとしながら顔をあげる。
「進路希望にオヤジの店で働くって書いた。それをオヤジに言ったら怒られた」
「…マスターは反対だったの?」
「うん、大学行けって…あ、回復して回復」
僕はゲーム機に目線を戻して、要望通りに操作をする。
「店を継ぎたいってこと?まぁ、急がなくていいことだろうし、言ってくれるなら進学したらいいじゃないか」
「わかるんだけどな。でもほら、俺も俺なりに親孝行のつもりで言ったんだよ、それをあしらわれたらムッとするだろ?ついつい言い合いになってさぁ」
慎司らしい。僕は苦笑をこぼした。
「一日店番だけしてる余生でお気楽なこった、とか」
「うわ」
「おめぇの少ねぇ稼ぎで大学なんかいかせられんのかよ、とか」
「酷いな」
「まぁ、そんなようなことを延々言いまくって、結果、顔を真っ赤にしたクソオヤジに殴られてこの顔だよ」
「やっぱり慎司のせいじゃないか」
僕は呆れた声を出した。
「うるせぇ。わかってんだよ。だけど頭に血がのぼってついな。わかるだろ」
「わかるような、わからないような」
「昴は頭に血がのぼることはなさそうだもんな…次のマップ行くぞ」
「どうかな、確かにあんまり記憶にない。あ、ちょっとまってアイテム拾ってない」
頭に血がのぼって、つい。
確かに僕は経験したことがない気がする。
友人にも勿論だし、家族にも。
親密だからこそ、そうなるのだろうか。
そうなると、僕は両親と親密ではないということなのだろうか。
事実、そうなのかもしれない。だって、
―――だって、本当の親子ではないのだから。
「あーーー!死んだ!」
頭の中に深く深く掘られた暗い穴を滑り落ちて行くような感覚に囚われていた思考が、慎司の声でその道を慌てて引き返す。
「あ、ごめん!」
慌てて、倒れているゲーム内の慎司のキャラクターをアイテムを使って起こす。
僕たちはそうして、本当に夜通しゲームをして過ごした。
「よう昴。もう昼だぞ」
「だって朝方まで起きてたんだよ」
昼過ぎに起きた僕たちに、マスターはオムライスを作ってくれた。喫茶店のカウンターに二人で座る。土日は休みにしているはずだが、僕が来ているのを聞いて昼食を用意してくれていた。
「…いただきます」
僕は慎司が手を合わせるのを見て、少し笑った。さっきからマスターと眼を合わせず挨拶もせず、それでもいただきますはちゃんと言うところが、ちょっと微笑ましかった。勿論僕も、その後に続いて手を合わせてから、スプーンを持つ。
「…頭は冷えたか、バカ息子」
「うるせぇクソオヤジ」
マスターと慎司は不穏な会話を始める。
止めようと思ったが、僕が口を出すのはおかしい気がして、思い止まった。
「昴、うちのが迷惑かけたな。夜中に呼び出しやがって」
マスターが僕の方に向き直って言う。
「ううん、僕もちょうど気晴らしがしたかったから」
笑顔で首を振る。
その後は静かな食事を続けた。マスターは食後にコーヒーとフルーツを出してくれた。キウイと黄桃。いつも色々出してくれるマスターに心の中で感謝する。昔はいちいちありがとうとか、悪いよ、とか言っていたが、その度にマスターにやめろ気持ち悪いと悪態をつかれるので、出されたものは感謝しながらもなるべく黙って受けとることにしていた。
時計は午後三時を示そうとしていた。
「この後どうする?」
慎司が僕に問う。
「うーん、どうしようかな」
僕は悩む素振りを見せる。正直まだ、家に帰る気にはなれなかった。僕の中の問題を放りっぱなしなことを思い出して、眼を伏せる。
帰って昨日のことを両親に問いただしたらいっそすっきりするのだろうか。
そうも考えたが、到底そんなことをする気にはなれなかった。
聞くのが怖いという気持ちが大きい。
昨日の父の言葉を思い出してみる。僕は一体何者なのかと、急に自分を支える基盤がぐらぐらしているような気持ちになってきて、とても虚しい気持ちになってくる。
「お前、何キウイ残してやがる」
マスターの言葉に顔をあげる。慎司の皿にはキウイが残っていた。
「うるせぇな、嫌いなんだよ。知ってるだろ」
「いつまでガキみたいなこといってんだ。出されたものは黙って平らげろ」
二人のやりとりは相変わらず口論のように聞こえるが、僕はそのやりとりがすっかりいつも通りに戻っていたことに安堵した。
喧嘩をしても、いつも何だかんだでこうして元通りになっているんだろう。
二人が騒ぐ姿が、何故だか僕にはとても居心地が良かった。
―――二人になら、僕のこのまとまらない悩みを話してみても良いだろうか。
そうしたら、僕の気持ちは少しは軽くなるだろうか。
僕は決意するように、少し姿勢を正して二人を見た。
「マスター、慎司。ちょっと話を聞いてくれる?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます