初日

AM11:00 ニートはUFOに墜落されない

 午前の段階で、気温は33度まで上がった。

 この時期にしては異例だそうだが、毎年そんなことを言っているような気もする。

 角のタバコ屋の親父は、俺がタバコを買いに行くと、


「いやあ、ほんとうに昔はこんなことなかったんだよ」とじつに唐突に世を嘆いた。

「なるほど」と俺は言った。


 俺はべつにそんなことは思ってなかったが、ひとのよさそうなタバコ屋の親父にこう話かけられると、いやいや、そんなことねーから、と無下にすることもできない。なぜなら、俺は基本的にはよい人間でありたいと思っているからだ。そして親父は、


「午前からこう暑くちゃ、たいへんだ」と嫌味かなにかよくわからないことを言った。


 もちろん、親父に悪意はない。

 おそらくこのへんでも、1、2位を争うほどひとのよさそうな親父だ。嫌味を言ったつもりは毛頭ないはずだ。だが、親父は不用意すぎる。たとえば、俺が無職で1週間後に家賃が払えるかどうかがギリギリのラインだとすると、それは嫌味以外のなにものでもないということになる。

 午前? バカにしてるのか? と激高してもおかしくない。


 そして万一、仮にだが、俺が30に近い無職で、貯金がゼロで、無論収入のアテもない男だったとすれば、親父に対して睨みつけたり、多少の威嚇はするかもしれないし、これが1週間後で家賃が払えないと確定していたら、切羽詰まって殴りかかったかもしれない。

 暑いから俺の家賃が払えないのか? それは嫌味か? と。


 親父はそういうことも考慮して、もっと当たり障りのない発言をすべきだったのだ。それは無論、理想論というか、ほとんどチートなのだが。


「そうですね。エアコンつけようかなあ、と思うこともありますよ」


 ただし、親父はラッキーだった。

 俺はたしかに無職で収入のアテもなく、家賃も危ういが、まだ家賃の期限まで1週間時間がある。

 まだ焦るような時間じゃない。

 したがって、親父の天気の会話にも笑顔で返すことができるわけだ。しかし、やはりなにより一番大きいのは、俺自身がよくあろうとしているという心の働きだ。イギリス人でもないのに、天気の話に笑顔で返事ができるニートは存在しえない。

 だから、たとえば、俺が悪人だったら、俺の周りの世界はいまよりもっと殺伐としているはずだ。


「節電ですか? 関心だねえ」と親父が言った。


 ほんとうに親父はラッキーだ。

 もし、俺が気の短くて、収入もなく、悪い無職だったら、これで殴られるのは確定的に明らかだ。何度も言うのはアレだが、俺はたしかに無職だが悪人ではない。

 人間にとって大事なのは、職や収入ではなくその在り方であるとこの俺の対応を見たら、どんなエコノミストも政府事情に詳しい専門家も納得するだろう。


「まあ、恒例行事みたいなもんですから」

「いや、兄さん、えらい。俺なんかはもう年だから、暑いのはモロに体力奪われるからねえ」と親父はいいわけのようなものをした。


 だが、親父はまちがっている。俺だって金さえあれば、エアコンかけっぱなしにしている。節電だとか知ったことじゃない。そもそも毎年のように危機危機騒いで、1回も危機来なかったじゃないですか、試算とかバカですか。

 ただ、俺はそんなことは言わずに、買ったばかりのキャスターマイルドをポケットにしまい、親父に挨拶して向かいのコンビニに行った。

 ら、


「ッしゃいませぇー」と脳が腐り落ちているような声を店員が出した。


 まだ若い女の店員だ。金髪で、ピアスで、日焼けしている典型的なDQNというやつだ。俺は深夜のオタクっぽい兄ちゃんの方が好きだが、深夜にしか見たことがないから、昼はきっと活動していないのだ。


 さて、俺はここに涼みに来ている。

 しかし、節電の影響で言うほど快適じゃない。比較的俺の部屋よりはマシ程度だ。パチンコ屋はわりと快適だったが、昨日3万負けたのでさすがにこれ以上はヤバイ。

 ここでもし、誰かが俺の行動を批判するためだけに、いや、その3万があれば、家賃は払えたはずだと考えているならそれは甘い。

 都内で家賃3万風呂付きの物件などあるわけがない。その3万ではもともと払えないのである。

 ただし、俺は理性的でもある。その3万はいまより状況をマシにしてくれたんじゃないのか? という問いには全力でイエスと答えよう。


 俺は一直線に雑誌コーナーに行き、ぱらぱらとジャンプを立ち読みする。残念ながら、水曜なので2周目だ。豊島区がいかに人口密度で全国トップであろうとも、水曜の朝からジャンプの2周目を立ち読みする人間はそうはいないだろう。何度読んでもいいものもあるが、続き物はさすがにつらい。そもそも俺はコミックス派だったのだ。学生時代までは確実に。

 ああ、そうだ、いいことを思いついた。このまま立ち読みを続けて、週刊少年ジャンプ評論家になろう。さいわい、コンビニはいつだって俺の部屋よりは適温だ。


 というようなことを考えたどうか、俺は覚えていない。俺が覚えているのは、ジャンプを手にとろうとしたところまでだ。

 気づくと、俺はコンビニの床に座り込んでいた。まるで腰が抜けたみたいで、非常にカッコウが悪い。ただし、俺も覚えてないため、転んだのかほんとうに腰が抜けたのかは永遠に闇の中である。


「おい、おまえ、腰抜かしてるんじゃない」とそいつは言った。


 言いがかりだった。

 記憶がない以上、真相は闇の中だ。俺は腰を抜かしてなどいない。かも知れない。もし万一、仮にではあるが、俺がジャンプで銀魂を読もうとした瞬間に、「あ、UFO」と店員が言った。とする。

 やはり脳は腐り落ちていたようたと俺が思った瞬間、前の道路になにかが落ちた。とする。

 とんでもない轟音と強烈な光が俺を襲い、ガラスが砕け散る。とする。

 そして、とんでもなく幸運なことに、ガラスは一切俺に当たらず床に落ちた。とする。

 リアルに胸をなでおろす俺は、完全に地べたにへたり込んでいる。とする。


 しかし、それは仮定や推測や憶測や噂レベルの話で、真相は誰にもわからないのだ。


「さっさと立て」


 肩くらいの髪は栗色でまっすぐだ。

 前髪はヘアピンで丁寧に整えられていて、きっちりとスーツを着ている。ある一点を除いては、就活生と名乗ってよさそうな出で立ちだ。

 ただし、その一点が致命的だ。


 こいつは、小さい。というか、


 どう見ても14、5歳にしか見えない。スーツを不似合いにするのは、無職の漂わせる雰囲気でも、ヒゲが伸びっぱなしになっていることでもなく、幼さであると断言できる。


「事故ですか? 爆発ですか? なんですか?」と俺は言った。

「事故ではない。計画的犯行だ」


 最悪のケースだった。

 だが、最悪のケースの中にも幸いなこともある。それはつまり、彼女はやや可愛らしい。いや、だから可愛らしい。いや、むしろ可愛らしい。いや、全力で可愛いと俺は肯定せざるをえない。

 オーケィ、ノーチェンジだ、軍曹。


 とはいえ、いやだからこそ、残念だが彼女は異常者だ。

 ネジが飛んでいるどころか、ネジ穴が最初からないたぐいのイキモノだ。つまり、いきなり犯行宣言するような輩だ。

 だが、えらいひとは言ったそうだ。

 可愛いは正義。悪も正義も、通常から見れば異常なものである以上、可愛い方を正義と判定すべきという哲学的用語だ。


「おまえ、年はいくつだ?」とそいつは言った。


 いや、いきなり未確認飛行物体落下させといて……。あやうく大怪我だったんだぞ? 平然と年齢尋ねてる場合か?

 俺は怒気に満ちていた。さすがに善人たらんとしている俺でも、これは怒っていい。


「あ、はい。えっと、27です」


 しかし、俺は紳士だから質問にはちゃんと答える。


「27が平日の真昼間から、コンビニで立ち読みとは。おまえは相当なクズだな?」


 なるほど、こいつァ、無礼だ。

 いや、なんかもう無礼だとかの範疇を越えている。そもそも、平日の昼間にコンビニにいる27歳など、日本全国に腐るほどいるわけで。節電の影響で夏季は平日が休みな企業だってもはや一般的だし、なによりカレンダー通りに休みではない職業などゴマンとある。

 それに、仮に、万一、俺がニート歴云年で、いまだに親からの仕送りとたまの日雇いバイトだけで食っているような人間だったとしても、そんなことをいきなり言われる筋合いはないのだ。


「どうした、涙なんか浮かべて」

「あの……生きててすいません」と俺は毅然として言った。「……あ、いや、すいません」

「よし、許そう。桐村宗太郎きりむらそうたろうでまちがいないな」


 俺の名前をなんで知っているのか? これはよくない予感がする。

 もしや……ドコモか? 料金をたかだか1ヶ月……と少々払ってないくらいで、こんな取り立て方をするとは日本電電の名前が泣くぞ、ちくしょうと俺は思いかけたが、こんなバカげた取り立て方法はないと瞬時に思い返す。

 このあたりの冷静さは、我ながらさすがと言わざるを得ない。

 しかし、ドコモでないとすると、同様に電力会社やガス会社や水道会社でもないとすると、サラ金にも手は出してないし、クレジットもノータッチだから全力で身辺調査したところで心当たりがない。相手は俺の年齢は知らなかったが、名前と顔は把握している。


 つまり、単純な事実――逃げても無駄。


 そうだ、古来より脅威や不明なものからは、逃げるのではなく、打ち破ることでしか平穏は訪れない。俺はゆっくりとかつ冷静に覚悟を決め、答えるタイミングを整える。


「いや、ちがいますけど?」

「嘘をつくと、おまえのためにならんぞ」とそいつはものすごく冷静に睨んだ。

「じゃあ、なんで訊いたんですか?」

「気分だろ。そんなもん」

「なるほど。……まあ、桐村です、はい」

「タバコは1日1箱、趣味は2ちゃんねるとパチンコ、27歳無職、彼女なし、貯金なし」


 事実はときに残酷だが、事実だけが真実ではないということは先人たちの誰もが理解していることだ。

 ことに有能な先達ほどそのことは理解している。そういうものだ。


「これが貴様のスペックだ。どうだ、死にたくなっただろう?」


 いや、たとえ、世界中のやつらが俺を殺したいと思っても、俺は死なない。


「はは、いや、まいったな……」


 ただし、計画的犯行を遂げた異常者には殺されるかもしれない。


 ……いや、マジ助けてください、誰か助けてください。

 すいませんでした。ほんと、あの、税金の滞納はほんとに謝るんで、マジでポリイイイイイイイイイス!

 ヘイ!

 カモン、ポリイイイイイイイィィィィィィィスウゥゥゥゥ!


 と俺は胸のうちだけで叫びながら、表情は平静を装う。相手に恐怖心をいだいていると思わせたら危険だ。


「どうした震えてるぞ?」と邪悪な八重歯を見せる。

「ま、マジでぼく……なにかしましたか?」と俺は、ア、八重歯ッテ本当ニ光ルンダー、と思いながら冷静に尋ねた。

「なあ、実家の両親だっておまえのこと、重荷だと思ってるよ。もういいだろ、楽になろう、桐村」

「いやいやいやいや、そうかもしれないですけど! 親を持ち出すのは反則だ!」

「まったく。どうしてそこまで生きていたいのか理解ができん」

「いや、殺されたくないのです。生きたいよりも、単純に殺されたくないのです」

「べつに殺そうとはしてないぞ。穏やかじゃない話題すぎるな」


 いや、してるだろう。

 どう見てもそういう流れじゃないか、という冷静な発言はここでは不用だ。むしろ、もっと訊くべきことがある。

 表に停めてある、いや、置いてある? 物体だ。


「っていうか、おもてのUFOみたいなやつ、なんなんですか?」と俺は冷静に尋ねる。


 それは完全にアダムスキー型だった。

 見事すぎるくらい、アダムスキー型。イデア的UFOが存在していると言ってもいいくらいだ。宇宙評論家たちは大喜びするだろう。


「UFOだろ。おまえら一般人にとっては、未確認飛行物体以外のなにものでもない。ついこのあいだまでは、CIAくらいにしか情報は提供してなかったからな」


 CIAにはしているのはある種の問題だが、それはいま俺の生命的な危機とは直接の関係がないため深入りはしなくてもいい。

 いかがであろうか、この冷静な判断。

 これができる限り、俺は死なない。……よね?


「さて、桐村宗太郎。まずは自己紹介をしておこう。あたしは、ルルカ・ソンフォニア・ラングレイ・ミルゲイナフという」と宇宙人は言った。


 はっきり言って、なんと言ったかわからない。たぶん、名乗ったのだろう。


「え?」

「ルルカ・ソンフォニア・ラングレイ・ミルゲイナフだ」

「ルルカさんでいいですか?」


 もちろん、こういう長い名前の場合はその流れが必然だ。

 できるだけ、フレンドリーに逃亡したほうがきっとカドは立たない。俺はオトナだから、闇雲にカドを立てることはしない。たとえ未確認飛行物体に乗ってやって来た自称宇宙人だとしても、闇雲にカドを立てるのは意味がない。そもそも顔バレしている。ONBIN第一だ。


「なんでそこで略すんだ? ア・ランやレイ・ミルと呼ばれたことはあったが……」

「なるほど。そういうパターンですね」

「まあ、どっちだっていい。どうせすぐ死ぬかもしれん。呼び名くらいは好きにさせてやってもいい。役職は宇宙連邦アンドロメダ支部地球侵略局局長補佐見習い扱い代理心得だ」

「え?」

「だから、ルルカ・ソンフォニア・ラングレイ・ミルゲイナフ宇宙連邦アンドロメダ支部地球侵略局局長補佐見習い扱い代理心得だ」とルルカは言った。「ほんと物覚えが悪いな、おまえ」

「いや、そっちじゃなくて。いや、そっちもですが。やっぱり殺そうとしてます?」

「どこでどうしたらそうなる?」とルルカは言った。


 どこでどうしてもそうなるだろう。

 なんだこいつ、ハナシが通じないぞ?

 というか、ロクに俺の話を聞いてない。たぶんべつのことを言っても同じ答えが返ってくるんじゃないかと思う。


「つまり、あなたは俺を殺すかもしれない宇宙人であると?」と俺は言った。


 言ってから、思った。どういうことだってばよ。


「いや、だから殺さないと言ってるだろう」

「わあい」

「不満か?」

「いや、不満はないですが、すべてを信じられる年齢でもないので……」

「アダムスキーを見ても、信じられぬと?」

「7対3で信じられないですね」と俺は答えた。


 本当は6:4であるかもしれないと思っていたことは内緒だ。


「仕方ない。なら、いちおうやっておくか」と、ルルカは、腕を喉に当てる。「我々ハ宇宙人ダ。地球ヲ征服シニ来タ」


 突拍子もなく、センスもなく、不快感だけの残る素敵なセリフだ。なにより、とんでもなく前時代的にすぎる。


「おまえに侵略されたくはないだろうよ」


 思わず、素で突っ込んだ。ていうか、やっぱり侵略しに来たんじゃねえか。


「いちおうやっておかんとな。征服はいまのところ嘘だ。むしろ、今回は助けに来た。だから、おまえちょっと手伝え」


 ルルカはそう言って、満面の笑みを浮かべた。

 ナイス、スマイル、俺はそう思った。

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