第2話
「ハァハァハァッ!」
「ケホッ」
「ヒックヒック」
白いマネキンの大群から逃げ切ることができた加奈たちは、マネキンたちから完全に隠れることができると思われた二階部分にあるフードコーナーの廊下で足を止めた。
「何なの? あのマネキン?」
震える体を両手で抱き締めながら優奈は疑問を呈す。しかし、その疑問に答えることができる者は誰一人としていなかった。
それもそうだろう。麻子から誘われたために、噂を詳しくは知らない加奈たちは誘われるがまま着いてきただけである。その麻子が死んだ今、優奈の疑問に答えることができる者はいなかった。尤も、麻子が生きていたとしても噂で『深夜にマネキンが動く』と聞きかじっただけの麻子が動くマネキンの正体について知っている訳はなく、優奈の疑問に答える者は誰もいなかっただろうが。
「取り敢えず、今、分かっていることはあのマネキンどもはアタシたちを狙っているってことぐらいか」
麻央は頭を掻きむしりながら憎々し気に言い放つ。普段は冷静、そして、フードコート内にマネキンが普段は立っていないことにいち早く気がついて皆を誘導するほどの判断力を備えた麻央の狼狽した様子を不安に思ったのか亜里沙が声を上げる。
「何なの? 亜里沙たちが何をしたっていうの?」
「亜里沙、声を抑えて。気づかれるかもしれない」
「う、うん。ごめんね」
常にリーダーシップを取ってきた麻央は亜里沙の肩に手を置いて彼女に目を合わせた。それで、落ち着いたのか亜里沙はしゃくり上げながらも、大きくなっていた声を抑える。
「私たちがしたこと、か」
「太名嘉ショッピングモールに忍び込んだこと……かしら?」
亜里沙の疑問を加奈が口に出すと、優奈が自分の考えを口に出した。
「もしかしたら、太名嘉ショッピングモールは警備員を雇わない代わりにマネキンをロボットみたいにしていたりするのかも。さっきのはロボットの暴走じゃない?」
「暴走にしてはマネキンたちの動きが完全に人を殺すためのものだった。もっと悪意あるものじゃないか?」
「麻央、どういうこと? まさか……」
「奴らは人を殺すために動いている。アタシはそう思う」
亜里沙が麻央の意見に首を振る。
「ちょっと待ってよ。マネキンが人を殺すために動くって何のために人を殺すの?」
「それは分からない。狩りとかと同じようなものじゃないか?」
「つまり、楽しむために人を殺すってこと」
「加奈の言う通りだ。少なくともアタシはそう考えるね。マネキンどもはあまり賢くないようだったし」
「賢くない?」
「アタシがマネキンの立場なら、すぐにアタシたちを捕まえるために挟み撃ちにする。そこに付け入る隙があると思う」
麻央の意見にハッとしたように優奈が目を大きく開けた。
「もしかしたら、マネキンたちから逃げることができるかもしれない?」
「そう、優奈の言う通り。賢くないのと、それから、もう一つ」
麻央の自分の足を指差す。それを見て、亜里沙が大きく頷いた。
「麻央の蹴りはマネキンに当たった。幽霊みたいにすり抜ける訳じゃないから、こっちから攻撃もできる」
「そう。いざとなったら暴れてしまえば、奴らが手を離す可能性もある」
「流石、麻央!」
「よせよ。褒められるものじゃない。アタシは麻子と奈緒を助けられなかった」
麻央の手を取り、上に下にと振り上げていた亜里沙の動きが止まった。
「なんで、あの二人が……」
亜里沙の呟きで沈黙が残された4人に広がった。麻子と奈緒が死んだ、いや、殺された。その原因はなんだったのか?
「マネキンたちが悪い。麻子と奈緒を殺して、私たちも殺そうとしている」
加奈は静かに自分の考えを述べていく。
「だから私たちはあんなマネキンなんかに負けない、負けられない」
加奈は右手を差し出す。
「全員で! 生きて! ここから脱出する!」
「加奈の言う通りだな」
「うん!」
「麻子と奈緒のためにも皆で生きて帰る」
加奈が差し出した右手に麻央の右手が、優奈の右手が、麻子の右手が重ねられていく。
「絶対生きて帰るよ!」
『うんッ!』
気合いを入れた、その瞬間。カタンと軽い音が響いた。4人の少女は音がした方向へと一斉に首を向ける。
そこには、彼女らの天敵である存在が佇んでいた。窓から入る月光に照らし出された象牙のような質感を持つ白い人型。彼女たちの前に姿を現した1体のマネキンが彼女たちの姿を認めた瞬間、加奈の主導で呼び起こされた彼女たちの勇気はどこかへと飛んでいった。
なにせ、敵の巣の中で大きな声を出すほどに彼女らの精神状態は危うい。心が壊れるほどまで、命を諦めるほどまでの域に達していないことが奇跡と言えるような今の状況下で、心を奮い起こすことができる大きな声は彼女らに希望を与えた。然れども、その声は同時に自らの居場所を敵に知らせることにもなる諸刃の剣だ。
関節を軋ませ、マネキンは獲物たちへと走り始めた。
「ひっ」
声を出さねば己を奮い立たせることなどできず、声を出せば敵に己の位置を教えることになる。加奈は無意識に己を奮い立たせることを選んでいたのだ。
そして、それは彼女らにとって僥倖であった。
「走って!」
加奈が叫ぶ。加奈の声で己を取り戻した3人はマネキンに背を向け、弾かれたように走り始めた。
幸いなことにマネキンの走る速さは4人よりも遅く、更に体力もないようだ。元々、動くように設計させられていないマネキンが動くためには相応のエネルギーが必要なのだろう。加奈が後ろを振り返ると、マネキンが床に両手をついている様子が観察できた。そして、そのエネルギーはフードコートの端から端まで、大体100mほどの距離しか持たない。
そのことに気づいたら加奈はそっと笑顔を浮かべる。条件はマネキンたちの方が私たちより悪い。
これなら逃げ切れる。もし、私たちがショッピングモールの中から出ることができなくても、朝になれば従業員の人が来るハズだし、そこまで逃げきれたら大丈夫。100m走ならマネキンたちに負けないし。
「ハァハァ」
自分たちの無事を確信した加奈であったが、それは愚かだったと自分を罵倒しなければいけなくなることを彼女が気づくのにはもう少し時間が、それこそ朝日が昇るまでの時間が必要であった。それを知らず、少女たちは太名嘉ショッピングモールの中を駆け抜ける。
自分たちは助かると泡沫の希望を信じて。
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