マネキン・コーデ

クロム・ウェルハーツ

第1話

 AM2:00。

 ショッピングモール内の電光掲示板が現在の時刻を緑色の文字で示す。それを見た加奈は大きく息を吐く。

 所詮、噂は噂に過ぎなかった。太名嘉ショッピングモールは通常と比べてあまりにもリアルなマネキンが置いている。そのためなのか、とある噂が立っていた。なんでも、太名嘉ショッピングモールで夜になったら飾っているマネキンが動き出すという荒唐無稽な噂だ。

 その噂を聞きつけた加奈の友人である麻子の噂の是非を証明しようという提案に巻き込まれた加奈以下5人、麻子も加えると6人は深夜のショッピングモールに忍び込んでいた。


「なんだ、つまんないの。何も起こらないじゃん」

「そりゃ、そうだよ。マネキンが夜になったら人間になって動き出すなんてそんなことある訳ないし」


  このショッピングモールへの不法侵入を提案した麻子がつまらなそうに唇を尖らせると、友人の麻央は冷静に言葉を返す。

 麻央の言う通り、マネキンが人間になるなんてある訳がない。逆なら……まだしも。

 6人の先頭を行く加奈は自分の想像に噴き出しそうになった。その様子を見た亜里沙は首を傾げる。


「加奈、なんか楽しそうだね?」

「あ、ばれちゃった? だってさ、高校を卒業したら皆、離れ離れになるじゃん。その前に面白い思い出が作れたから良かったなって」

「この……愛い奴め」

「ちょっと、亜里沙!」


 自分の髪をくしゃくしゃと掻き回す亜里沙の腕を押さえて加奈は抗議の声を上げる。せっかくセットした髪型が台無しだと溜息をついた加奈の目の端に白いモノが映った。


「白いマネキン?」


 加奈は首を傾げる。太名嘉ショッピングモールはリアルなマネキンに最先端の流行の服を着せることをウリにしていたことを思い出して、加奈は少し不思議に思う。白一色で全く彩色がされておらず、服も着ていないマネキンを太名嘉ショッピングモールが飾るなどしないと思っていた加奈にとって、それは妙に印象に残った。

 しかし、よく考えることはないままにそのマネキンの横を通り過ぎる。6人全員がそのマネキンが置いている店舗と店舗の間の前を通り過ぎるが、その瞬間までは何も起こることはなかった。

 事が起こすタイミングを虎視眈々と狙っていた捕食者は獲物の隙を待っていたのにも関わらず、得物である少女たちは何も気づくことができなかったのだ。


「きゃっ!」


 加奈が突然、後ろから聞こえてきた悲鳴に気づき後ろを振り返った瞬間には、もう手遅れであった。


「麻……子」


 加奈の目に映るは友人の姿。されども、その友人は動かないハズのものに体を押さえつけられている。正確には抱きしめられているという体が正しいが、些細な問題であるだろう。白いマネキンが友人の体を拘束しているというあり得ない光景が目の前に広がり、麻子以外の5人の動きが完全に止まった。

 自分が捕まえている者以外には興味がないのか、白いマネキンはゆっくりと右手を捕まえている麻子の口元に持っていく。


「な、なに?」


 捕らえられている当の本人の混乱した様子を尻目にマネキンは自分のやるべきことを行う。困惑し、思わず声を出した麻子の口内にマネキンは自身の右手を侵入させた。何が起こっているのか分かっていない麻子の口は、それを拒むという思考すら思い至ることがなく、その白い右手は易々と彼女の口の更に奥深くへと入っていく。


「うぐッ……ごごご」


 あまりの苦しさに喉の異物を排除しようと麻子が暴れ出すが、それを意に介さずにマネキンは更に麻子の喉に右手を押し進める。呼吸ができずに、麻子はマネキンの腕を口の中から取り出そうとマネキンの腕を掴むが、マネキンの腕は梃子でも動かない。

 信じられない光景が目の前で繰り広げられる中、加奈たちは全く動くことができなかった。ゆっくりと友人の動きが弱っていく様子をただ見ることしかできない。嗚咽を漏らし、呼吸をしようと喉を大きく上下させている友人を見る彼女らの思考は制止していた。

 涙と鼻水を垂れ流しながら、麻子の動きは停止に向かって進んでいく。その行先は完全なる停止だ。麻子の腕がだらんと垂れ下がった。

 マネキンは麻子の体が動かなくなったことを確認したのか、その手をゆっくりと麻子の喉から抜いていく。ズュルリという生々しい音が深夜のショッピングモール内に響いた瞬間、彼女たちの脳は活動を再開した。


「いやぁあああ!」


 今度は、ショッピングモール内に絹を裂くような声が響き渡った。亜里沙の悲鳴だ。

 亜里沙はマネキンから遠ざかるために走り出した。彼女の行為を咎める者はいない。目の前で友であった麻子が物言わぬ体になったのだ。いや、物言わぬ体にさせられたのだ。物言わぬ体であり、動くこともないハズのマネキンに。

 その事実は亜里沙以下4名を恐慌状態に貶めるには十二分の衝撃だった。亜里沙に続いて他の4名もマネキンと死体となった麻子の反対方向に走り出す。


「きゃあ!」


 しかし、行動を起こした彼女たちを止めた声があった。それは奇しくも、彼女たちに行動を起こさせた亜里沙の声であった。

 走り出していた亜里沙が倒されたのだ。そして、亜里沙を倒しながら抱き着いたのは先ほどとは違うもう一体の白いマネキン。


「やだやだ!」


 自分の身に起きることを予想したのか、亜里沙は首を振って拒絶の意志をマネキンに伝える。しかし、マネキンは何も答えずに右手を亜里沙の口元に添える。


「んー! んー!」


 亜里沙にとって幸運なのは、マネキンにとって不運なのは、これが彼女たちにとって二度目だということであった。また、友が殺されるという普通に生きていれば、まず出会うことがない状況を理解した彼女らの精神状態が興奮状態であったことも亜里沙にとって幸運であり、マネキンにとって不運であった。


「うらぁ!」


 麻央の蹴りがマネキンの脇腹に入り、マネキンは亜里沙の上から床へと転がる。


「立って! 走って!」

「う、うん」


 麻央の手を掴んだ亜里沙は立ち上がり、彼女と共に走り出す。その後に続いて、加奈と優奈も走り出す。


 ちょっと待って。なんで、私の横に奈緒がいないの?


 つい先ほどまで自分の右隣りにいた友人の姿が隣にないことに気がついた。奈緒なら、自分の後ろについて来ている。そう自分を思いこませながら、加奈は後ろを振り向く。


「奈……緒……」


 足を止めた加奈の目に映ったのは友人である奈緒の姿だけではない。

奈緒を抱き締め、その口に右腕を深く押し込んでいる。それだけならば、まだ救えただろう。しかし、その一体のマネキンの後ろに1、2、3、4……加奈が数えることができたマネキンの数はそれまでだった。

 加奈は踵を返し、再び足を動かし始めた。幸い、奈緒の顔は大部分がマネキンの腕に遮られ加奈をみる視線がなかったことが、そこから立ち去ることを加奈に許した。もし、加奈が、その場に留まっていたら、万が一、加奈が奈緒を助けるためにマネキンたちに向かって行ったら、その運命は麻子と奈緒と同じであっただろう。

 加奈は数えることを途中で諦めたマネキンたちの数は優に20を超えていた。ぞろぞろとショッピングモール内に作られた倉庫に続く廊下から現れ出るマネキンたち。

 彼らの獲物は自分たち。そのことに気がついた加奈の歯は音を鳴らし、目からは涙が流れる。しかしながら、加奈の頭の中の冷静な部分が告げていた。

 悪夢は朝には終わる。日の出までの後、4時間。この広いショッピングモールの中で逃げ回ることができれば殺されることはない。幽霊とか化物とかは朝には消えるのが常識だし。

 そのことを希望とし、加奈は駆ける。逃げるために、生き抜くために、友の死を他の人に伝えるために、太名嘉ショッピングモールは危険だと教えるために。だからこそ、ここで死ぬわけにはいかない。

 加奈は袖で涙を拭き、前の3人と共にショッピングモールの中を走るのであった。

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