第37話 あっさり

 あっさり優勝した。


 こんな言い方をすると、怒られそうだったが、本当にあっさりだった。


 運良く1回戦はシード。

 トーナメント表を見ると、5回勝てば優勝である。

 全国1位というと、すさまじく高い壁の上に感じるが、5回勝てばよいだけと考えると気が楽だった。


 もともと、「全国大会に出る」こと自体が嘘のような状態である。気負っても仕方ない。プレッシャーはない。


 でも、勝つ。


 その確信のもと試合をして。


 その確信のもと勝った。


 60キロ以下級優勝。


 僕が決勝戦で、袖つり込み腰を決め、「一本」の判定が出た瞬間、あたりからは歓声が上がった。「無名高校の2年生が優勝した」と、一気に注目されたのである。


勝つ確信があった割には、現実感がなかった。


帰りの電車の中 


「こうなるのは分かってた」


 亀井先輩が言った。


「って言うと、かっこいいだろ」


「本当はどっちですか」


「しらね」


 この人は本当になんでもはぐらかす。

 はぐらかされる相手が、いっそ気持ちよくなる程に突き放してくれる。


「お前が優勝したの見れてさ、俺は思い残すこと、ないよ」


 死ぬのか、このひと?


 って思ったら、本当に死んだ。


 交通事故だった。


 駅で皆と別れた後、一人家に帰る途中でトラックに撥ねられて即死。


 思い残すこと、ないよ。


 という言葉はなんだったのか。


 ロレックスがホンモノだったのか、ニセモノだったのか。


 腕の怪我が原因で負けてしまったのか、腕の怪我は関係なかったのか。


 この死は本当に事故だったのか、単なる事故ではなかったのか。


 そのへんのことを、先輩をもう一度呼んで聞き出したかったが、全部もう闇の中だ。


 人はこんなにあっさりと死ぬのか。


 さっきまで元気だった人が、別れてすぐさま死ぬなんて。


 全国優勝も、死も、その日に起きた非日常はどれもあっさり起こりすぎていた。普通はもっと感情が揺れまくる出来事のはずだが。いや、僕の元々の感情がおかしいのだろうか。わからなかった。


 通夜の会場で、部員の皆は泣いていた。僕が優勝した時とは真逆のテンションで。


 僕は、理解ができずに涙すら出なかった。

 

 そこから、まともに柔道ができなくなった。


 これまでに先輩から受けた様々な言葉が僕の頭の中で反芻され、まっすぐ柔道と向き合うことができない。


 まわりも同じで、亀井先輩が死んでから、部室はしばらくお通夜の続きのようだった。

 

 無理に練習しても、「あきらめ脳」にバトンタッチする以前に、それ以外の脳みそが働かない。「あきらめ脳」がバトンを持ったまま離そうとしないのである。


 常に頭の中には霞がかかっている。


 全国1位という冠がついたことで期待されていたが、その後の大会では全く勝てなくなった。そもそも練習に全く身が入らなくなった。


 もう、いいか。無理に練習しなくても。


 そう考えて、学校終わりに部活をサボって、コンビニで立ち読みをしていたのが、今日だった。


 よりにもよって、今日だった。





 柳の首から吹き出した血が、足元まで流れてくる。


 人はあっさり死ぬ。


 そう思ったのは、あれ以来だ。


 そしてその「死」は、僕の目の前にもう迫っている。


 亀井先輩が死んでから、ずっと考えていた。

 先輩の発した、とらえどころのない言葉たちが、僕の中でつながったり離れたりしていた。しかし、「死」という強烈なインパクトによって、有機的に1本の線になった。


 先輩は、僕に単純に柔道で全国1位になって欲しかったわけじゃない。

 それは、ひとつの目的だったのかもしれないが、本当の目的はそこではなかったのではないか。


 これは、僕が今の状況に合わせて都合よく解釈したにすぎない。


 多くの故人の言葉は都合よく解釈されるのである。


 生きている人が、その生をよりよいものにするために、本当の意図とは違う意図でその言葉を解釈しようと構わないのだ。その言葉を受けて現に生きている人の行動が変われば、その故人の言葉は独り歩きを始める。


 だから、間違っている。


 間違っていると分かっている。


 でも信じることにした。


先輩は僕が、この状況になると分かっていた。


 だから僕に


「こいつに勝て」


 と言っていたのだ。

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