第17話 はみ出たカレイの尾

 呼吸が激しい。

 柔道3試合分の疲労だ。

 まだ足が震えている。


「もしかして、殺したの?」

「ああ、うん」

「ありがとう……」

「いや、鍵野さんの……このあさりのおかげだよ」


 あさりからは、まだ血が滴っている。貝からはみ出たカレイの尾が、ビクンビクンとまだ動いている。


 殺した。


 実際に殺したのはこのあさりであり、僕はそこに奴を放り投げたにすぎない。しかし「殺そう」という意志のもと、動いたのは事実だ。僕が殺したのと同じだ。

 カレイ1匹殺しただけじゃないか。よく煮付けにして食べていたじゃないか。そう自分に言い聞かせるが、ヒウラタクロウの顔がまぶたの裏にこびりついて離れない。あれはただのカレイじゃなくて、人間の頭がついていた。化物じみていたが、人間だったかもしれないのだ。それを、殺した。

 僕は、人殺しになったのか?


 あさりが光った。バーコードリーダーが巨大あさりに変身した時と同じ光だ。

 光が消えると、あさりは無くなり、鍵野さんの右手は、リーダーを掴んだ状態に戻っていた。そういえば、リーダーは武器として使用すると元に戻るって書いてあったな。

「あー、良かったあー!」

 鍵野さんは右手をブラブラと動かしながら、落ちているあるものに気付く。

「これ、なんだろう……」


 巨大あさりのあった場所に、1枚の名札が落ちている。彼女が拾い上げると、あの顔がプリントされていた。

「げっ……」

 排水口のネットを捨てる時のようにつまんで、レジの上にそれを置いた。

 僕がさっき殺した、ヒウラタクロウの写真だ。

 写真の横には「ひうら」というひらがなの名前と、店員を認証するバーコードがついている。


「でも確かこれってさ、元の世界に戻れるやつじゃないの?!」

「間違いないと思う」

 これは、チキングが言っていた、ヒウラタクロウの名札だ。

「やったー!これを読み取ればいいんだよね」

 そう、これを読み取れば、おそらく鍵野さんは帰れるだろう。

 彼女はその名札にリーダーをかざそうとして、手を止めた。


「……でもこれって、新宅くんは戻れないんだよね」

「たぶんね」

 このバーコードリーダーには所有権のようなものがある。最初に自分がいたコンビニの店舗のものが、自分のもののようだ。現に、僕がこのリーダーを使用しても、武器化は起こらなかった。

 ということは、僕に所有権があるリーダーは、とっくにニワトリの洪水の中に埋もれて、取りに行くことなどできないということだ。

 チキングの映像を見た時から、薄々気付いていたが、僕は多分もう……。


「……なんか、ほとんど新宅くんにやっつけてもらったのに、なんか申し訳ないな」

「気にしないでよ。それより、先着7人かもしれないんだから、早くしたほうがいい」

「でもさ……」

「せっかく手に入ったんだから、使いなよ」


 僕はその名札を手に取り、彼女の持つリーダーに素早くかざした。

 ピッ、と読取りの音がする。

「ちょっと!」

 これで彼女は無事に帰れるはずだ。


「……」

「……」


 何もおきない。


 やはり先着順で、もう7人が抜けた後だったのか?

 それとも、戻るのには時間がかかるのだろうか?

 そもそも、あの映像で言っていたこと自体が嘘だったのだろうか?


「あのサイト見てみよう」

 彼女はスマホを取り出した。現状、情報源はやはりそれしかない。それに、カレイの化物が出てくる前に投稿されていたレビューも気になる。「オオイシタツル」の小説ページに何かヒントが書いてあるはずだ。僕も自分のスマホを取り出し、ネットに繋ごうとした。

 カツン、と音がした。

 鍵野さんがスマホを落としたのだ。しかし、彼女はそれを拾おうともせず、俯いていた。


「……嘘でしょ」


「どうした?」


 返事はない。


 僕は落ちているスマホを拾った。

 鍵野さんのスマホの画面には


「カギノミサトさん★1獲得 ゴールまであと99」

と表示されていた。

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