第16話 肩車

 直視できないほどの気味の悪さは、「カレイの顔が人間」だからか、「ヒウラタクロウの表情が不気味」だからか。……いや、多分、その両方だ。 

 僕は、固まって動けなかった。


「ねえ、大丈夫?」


鍵野さんの声がするが、返事ができない。


「いわゆる『人間』という生き物は、この10000人オンリーだ。他に『人間』とカウントされる生き物は存在しない」


チキングの言葉を思い出した。

「人間とカウントされる生き物」とは変な言い回しをするな、と違和感があったが、こいつのせいかもしれない。これは確かに人間ではない。


 カレイと呼ぶべきか、ヒウラタクロウと呼ぶべきか、そいつはじっとこちらを見て動かない。恐怖で目を合わせることができなかった。


 僕は少しずつ後ずさった。


「大丈夫なの?」


 鍵野さんが不安がっている。戻ろう。僕は後ろを向いて、レジの方へ走った。背後から奴が睨んでいるという気味悪さを振り払うように鍵野さんの元へ戻る。


「カレイがいた……」

「カレイって、魚の?」

「魚の」

 足が震えている。

「なんで」

「わからないよ。しかもただのカレイじゃなかった。大きくて……」


 ビタン、と大きな音がした。釣り上げた魚が地面で跳ねた時の音だ。動いている。 ビタン、とまた音がした。近づいている。


「来てるよ!」

 鍵野さんが叫ぶ。

「わかってる」

「どうすんの?」

「逃げる?」

「逃げれないよ!私これなんだよ!?」

 右手のあさりを僕に見せようとする。彼女はここから動けないのだ。

 

 元に戻るまで面倒見るから。

 約束だよ。

 はいはい。


 さっきの会話を思い出す。

 正直あんな気味の悪い生き物からは逃げ出したい。このあさりもそうだが、人間は巨大なものに根源的な恐怖を感じるようにできているのだ。無理無理。もう無理だ。


 お前は試合中に諦めるクセがある。


 先輩の言葉を思い出す。


 言霊って知ってるか?


「大丈夫、大丈夫。大丈夫! 大丈夫!」

 鍵野さんに、というより、自分に言い聞かせた。

 しかし、大丈夫を連呼するやつは、大抵大丈夫じゃない。


 ビタン、また音がした。音のする方を見ることができない。僕は目を閉じた。

 ビタン、すぐ近くに来ている。


「えっ」


 鍵野さんが小さく悲鳴を上げた。あいつを見たのだ。

 

 ビタン、真横で音がした。

 

 ゆっくり目を開けると、レジの募金箱の横、会計のスペースに巨大な人面カレイが乗っていた。このカレイ、おいくらでしょうか…?

 僕と目が合う。

 その距離、50センチ。息が止まる。

 近くで見ると、カレイ部分と人間部分のつなぎ目である首の付け根が、ぶよぶよして血がにじんでいる。魚類+人間の異常さが際立つ。

 なぜ追いかけてくる。僕が何をした。わからない。

 恐怖は消えなかったが、動かなければ。

 ヒウラタクロウは死んだ目でこっちを見ている。

「ああー!」

 思い切り顔を蹴った。

 しかし、ぬるっと滑って、足がレジの向こうにいく。


 無表情だったヒウラタクロウの小さな目が、大きく開いた。


「があ!!」


 僕の太ももにいきなり噛み付いてきた。

 避けようとして、転んだ。ギリギリ避けれたようだが、ズボンが噛み切られた。こいつ、凶暴だ。

「ちょっと、なに!?なんとかして!」

 鍵野さんが叫ぶ。


 その時、あさりの口が開いた。


 巨大な2枚の貝の内側には、びっしりと針がついていた。

 閉じると中のものが穴だらけになる、西洋の拷問器具で見たことがあるやつだ。


 これが、武器?


「なにこれ、どうなってんの!?」

 鍵野さんの視点からは、貝が開くとほぼ180度があさりの外側部分に占領され、内側は見えないのだ。


「があ!」

 カレイが僕に飛び掛かってきた。上に乗られる。

 2メートル級のカレイの重さで、僕は立てなかった。呼吸ができない。しかし、カレイの地面側には、さっきのようなぬめりはなく、肉を掴むことができた。

 もう無理、もう無理、と心のなかでは叫んでいたが、口には出さない。

「できる、できる、僕は、立てる!」

 口にしたことが現実になるのは、僕自身が証明したじゃないか。無理だと思っても、できると言え。

「うあーー!」

 そのまま掴んだ肉に力を込めて立ち上がる。

 柔道に、肩車という相手を持ち上げる技がある。相手によほど大きな隙がなければ決まることのない大技だが、決まった時は派手でかっこいいので、密かに練習していた。これが、肩車だ。

 持ち上げた巨大カレイはビクンビクンと跳ねるように動きまわったが、相手の襟を掴んだら離さないのが柔道家だ。そのままあさりの針の山の中にそいつを突っ込んだ。

 次の瞬間、あさりの口が勢い良く閉じた。

 貝の隙間から、血が飛び散った。

 

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