第13話 左手にタバコ右手にあさり

「ひっ!」

 大きなあさりだった。


 巨大な、と言ってもいいほどの、ド迫力のあさりが目の前にあった。


 鍵野さんの右腕の先があさりに変身している。

「なにこれ!? 取れない!」

 あさりから腕が抜けないらしい。

 大きい、というだけでただの貝がここまで恐ろしい存在感を出すとは。僕もパニック状態になった。

「ど、どうすんの? どうなってんの?」

「知らないわよ! なんとかしてよ!」

 なんとかしてあげたいが、なんとかできるようなもんなのか、これは。

 そのあさりは、横幅が鍵野さんの身長と同じくらいの大きさであり、レジの上のあらゆるものを潰してドスンと上に乗っている。


「じゃあ、僕が押さえとくから引っ張ってみて」

 僕は、その巨大な貝を恐る恐る両手で抱えこんだ。

「……分かった、いくよ。せーの」

 あさりを抑えこむ腕に力を込める。

 鍵野さんは一生懸命腕をあさりから抜こうと全体重をあさりの反対側にかけた。

「いた! いたたたた! 無理! ストップ!」

 彼女の方からギブが出た。


あさりの味噌汁なんかをバーコードに通したからだ。フジナカマコトのメッセージを思い出した。これは武器なのだろうか? 武器っていうか、ただただ巨大なあさりだ。


「ちょっと聞いてみる」

右手が使えない彼女に代わって、僕がスマホで例のサイトにアクセスする。

あの時点からさらに多くのレビューが書き込まれ、フジナカマコトには容易には辿り着けそうにない。

とにかく、自分もレビューをしてみる事にした。

「レビューを書く」という青いボタンをタップした。すると中身は「ひとこと紹介」と「レビュー本文」に分かれていた。本来ならこの小説を評価する目的のためか、星を1個〜3個の中で選び、レビューするシステムだ。星はデフォルトのままで1個として、キャッチコピーに当たるひとこと紹介には「バーコードリーダーを使用しましたが、解除の方法がわかりません」として、レビュー本文には「あさりの味噌汁を読み取ったら、右手が巨大なあさりになってしまいました。動けません。元に戻す方法を誰か知りませんか?」とした。


誰か、わかる人、見ていてくれ。じゃないと、鍵野さんが動けない。

ページを更新しながらしばらく待つ。


「あ〜、……もう無理!」

彼女は突然髪の毛を掻きむしった。

「新宅くん、カバン取って」


鍵野さんは動けない。だから僕にカバンを取ってくれと頼んだのだ。にしても、なんだろう、すごく自然だ。人に指示を出すことが。

言われるがままにカバンを差し出す。

「開けて」

言われるがままに開ける。

「タバコ取って」

言われるがままにタバコを……。

「タバコ!?」

「タバコくらい吸うって。もう16歳だよ?」

4年早いだろ。

「吸うんだね……」

僕は若干残念だった。

「右の内ポケットにあるから、1本出して」

女子のカバンに手を入れる背徳感よりも、タバコかよ、という残念さの方が強い。1本取り出して鍵野さんに渡す。彼女はそれを左手で受け取って、一言「ライター」と言った。同じポケットに入っていたライターを出して、渡そうとすると、タバコを咥えて、先をこちらにむけてきた。


点けろと?


少し驚いたが反抗はできず、慣れないライターを何度かシポシポやって、火を点ける。


一見真面目そうな高校生だが、闇は深いのかもしれない。よく見ると不自然にまつ毛が長い。まつ毛エクステというやつか。


「私、別に不良じゃないよ」

彼女は言って、煙を吐いた。セリフと行為が合っていない。しかも右手は巨大あさりだ。この瞬間だけを切り取ったら凄まじいシュールさである。

「吸うから不良だとは思ってないけど」

「なら良かった!」

と彼女は笑った。


笑顔は、かわいい。

左手のタバコと、右手のあさりさえなければなあ。


「新宅くんも吸う?」

「いらない」

「落ち着くよ」

「遠慮します」


タバコを1本吸うと元の肺に戻るのに1週間かかる、と聞いたことがある。それを聞いてから、副流煙を吸い込むことさえ恐怖を覚えるようになった。もし、次の試合が接戦になって、僅かな体力の差で負けるようなことがあってはならない。だからタバコは苦手だった。


次の試合……。


「やっぱり1本もらう」

「どうしたの、急に」

勢いでタバコを取り出し、咥え、火を点けた。むせた。鍵野さんは笑った。もういい。

僕は、今までの部活を思い出した。

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