第8話 細いじゃん

 数秒間の気まずい空気が流れた後、元のBGMが再開された。


「あの…」


 僕は話しかけた。


「君も僕と同じ状況なの?」

「多分、そう。いきなり人がみんな消えて、ドアが開かなくなって、どうしようどうしようって思ってたら、コピー機からあなたが出てきた」


 なるほど、そらびびるわ。


 彼女は僕の顔を見ず、足元のあたりに視線を漂わせながら唇を噛んだ。

 肩にちょうど届くほどの長さで切り揃えられた黒い髪が、きれいだな、と思った。こんな異常な状況下であっても、少し緊張するのは男子校生の性だろうか。制服は、見たことのないものだった。


「あのさ…、なんなのこの状況? 新宅くんだっけ? あなた、本当に何も知らない? 私の事騙そうとしてない?」


 急に早口でまくし立てる彼女は、少し涙目になっていた。


「本当に何も知らない。僕だってさ、聞きたいくらいだよ」


 気付くと、僕も少し涙目だ。

 人に会えたことで安心して涙腺が緩んだのかもしれない。彼女も、同じ理由かなと思う。


「あの…名前は、なんていうの?」

「カギノです。鍵穴の鍵に野原の野で鍵野」

「鍵野さん、本当に騙してるとかじゃなくて、僕も今の状況が全くわからないんだ。さっきのラジオで言ってたことを本気にするなら、たまたまコンビニにいたせいで、巻き込まれただけだと思う」

「そう…。でも、まあ…、同じ状況の人に会えて、少し安心したかも」


 「そう…」のところでは、僕から何も情報が出ないことに落胆した様子だったが、それはすぐ消えて、「安心したかも」のところでは、顔を上げて僕の方を見てくれた。が、言葉と反対に表情には不安が張り付いている。今の僕の顔も、外から見たら同種の不安が見て取れると思う。


「なんでコンビニ寄っちゃったんだろ。まっすぐ帰れば良かった」


 鍵野さんの、独り言ともなんとも取れない発言。


「僕もだよ。普段だったらこの時間、部活やっててコンビニなんてまずいないのにさ…」


 さっきの後悔の波が、一回り大きくなってまた襲ってきた。


「…部活って、なにしてたの?」 

「柔道」

「細いじゃん」

「細い人もやるんだよ。階級ってのがあって…」

「ああ、分かる。体重のやつだ」

「そう、それ」

「何キロなの?」

「59キロ」

「ふーん。59キロか」


 この会話、なんの意味があるんだろう。ふたりとも明らかにそう思っていたが、不安を消すためには口から言葉を出すしかなかった。

 

 あえて言わなかったが、僕は高校2年生の時、柔道の60キロ以下級で全国1位になった。凄まじい練習をした。優勝して嬉しかった。でも、反動も大きかった。


 あの時優勝を逃していれば、今僕はここにいなかったかもしれない。

 悔しさをバネに、今も全国優勝を目指し、練習していたかもしれない。

 そう思うと、あの大会こそが、諸悪の根源のようにも思えてくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る