第3話 精神衛生上ね
2年前、目の前でプロのマジシャンの手品を見せてもらったことがある。
鋼鉄のリングが、隙間もないのに一瞬で鎖状に繋がったり、またバラけたりする。手品ではなく、魔法を見せられているようだった。
もうすごすぎて、僕の理解の範疇を超え、その人が別世界の住人に見えた。
そこまでいくと、「なぜだろう?」「タネはなんだろう?」と思うことすらバカバカしくなり、僕はただただ笑うしかなかった。人は、理解できないものに相対すると笑ってしまうのだ。楽しいから? 愉快だから? それは分からなかった。
そして今、僕はまた笑っている。笑うことしかできない。今はその理由がわかる。これは楽しいからではない。理解できないという不安をごまかすために、本能が僕を過剰に笑わせて精神の均衡を保とうとしているのだ。今の状況に脳みそが追いつかず、「とりあえず笑わせとけ」と横隔膜を痙攣させている。緊急避難のような対応なのだろうと思う。
そんなふうに自分を分析できるぐらいには、笑うことで冷静になれた。
なぜこうなったのか? 誰がやったのか? なんのために? これらの疑問には、今僕の持つ情報では答えることはできない。
考えるべきことは、「今僕はどうするべきか」という目の前の具体的なことだろう。このコンビニからは出られない。でも、とりあえず生きていかなければいけない。これは間違いのない事実だ。まあ、僕に「生きよう」とする意志がある限りは、という話だけれど。
蛍光灯が点いているし、BGMが流れているということは、電気は通っているのだろう。従業員用の水道の蛇口をひねると、水も出る。人がいないというだけで、このコンビニの中のインフラはまだ生きている。もちろん、いつまで続くのかは分からないが。
食料もある。弁当、おにぎり、サラダ、パン、ドーナツ、お菓子、アイス、缶詰、おつまみ等。賞味期限はまちまちだが、とりあえず数週間生きていけるぐらいはある。冷凍食品もあるので、電気さえ生き続けてくれれば、さらに長期間食べ物には困らないはずだ。
この状況が、時間によって解決されるような類のものであれば、この食料を節約して生きていくことによって、元の世界に戻れる可能性はある。消極的ではあるが、状況が理解できない以上、最もかしこい選択であるのかもしれない。
問題は、そうでなかった場合だ。つまり、僕が自発的に何らかのアクションを起こさない限り、状況が変わらないという場合である。元の世界への帰り道は自分で切り開かなければならない。そもそも「元の世界」といったものがすでに消えてしまっている可能性もあるのだけど、それはあまり考えないようにしたい。精神衛生上ね。
僕は後者を選ぶことにした。エネルギーの無駄遣いになろうと、様々なことを試して、脱出の方法を見つけたい。このコンビニさえ出られれば、どこかに人はいるかもしれないし、少なくともさらに多くの食料を見つけることもできるだろう。なにより、分かりやすい目的がなければ、僕は本当に気が狂ってしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます