第2話 そもそも異世界に来た経緯
四月。卯月ともよばれるそれは、始まりの季節である。
しかしそれは、今現在パソコンの画面をにらむ青年、甘味屋景人(かんみやけいと)にはあてはまらない。
経理という仕事に携わるものにとって、四月は決算という名の、この1年間の終わりを締めくくる季節であった。
二十代も後半にさしかかる景人にとって、この時期は何巡目かの超繁忙期だ。
「しかし田宮先輩、ようやく明日で決算も一段落。もう少し早く帰れるようになりそうですね」
時計は午前二時をまわっているので正確にいえば今日のことだが、そんなことを気づく気力がケートには既に残っていない。
「結局、あのゲームを減損をするか否かが最後の論点として残ったか。まあ、なんとかなるだろう」
「しかし先輩、いっそのこと減損してしまったほうがいいのでは? 来年以降の償却負担が楽になりますし」
先輩氏は首を横に振り、景人に説明する。減損による業績の悪化は今の会社に深刻なダメージとなってしまうのだ。
「経営層は既に減損はしないということで一致している。我々の仕事はこれを監査法人に納得させる資料を作成する(でっちあげる)ことだけだ」
そういうものなのかと景人は思う。あまりそういった考えには賛同できないが、一兵卒である景人にとっては関係のないことでもあった。
「まあ、もとはといえば、ウチが社運をかけて買収した企業のゲームがダメダメなのが悪いんだがなあ」
だから俺たちは今日もこんな時間まで残業だと愚痴る先輩を横目に、景人は壁に張ってあるポスターを眺める。
数人のキャラクターが3つの月が浮かぶ大地に立っている。現在まさに減損の論点になっている、社運をかけたゲームの宣伝ポスターである。
最高におもしろいゲームだと景人は思うのだが、残念ながらゲームの売上は彼の想いとは裏腹に低空飛行であった。
もっとも、景人は開発部の知り合いからクローズド環境におけるテスト用として、最初期から関わり、好き勝手やっていたので心証が良い、というか思い入れが強いのかもしれない。ゲームが正式に開始した後は個人的にプレイをしており、お金を使う相手も他の趣味もない景人は、結構な額をこのゲームに使っていた。
「ああ、景人君は〈マネゲ〉大好きだったねえ」
「かなり中毒性の高い良いゲームだと思いますが……」
『マージカルネームドタワー・オンライン』。課金バランスがあまりよろしく無かったこのゲームは、『マネゲ』というあからさまな名称をネット上でつけられ、評判は芳しくない。
最近では社内でもこの略称が公然と使用されてしまうような状況であった。
そんななか景人は、経理部で一番このゲームに詳しかったこともあり『マネゲ博士』などという仇名をつけられていた。
「――ああ、早くお金を貯めてカフェでもしたいなあ」
「また始まったか、景人君のカフェやりたい病が……。というかそんなにやりたいならおじいさんがやっているというカフェを継ぐなりしたらどうだい?」
「いやいや。折角なら一国一城の主を目指したいじゃないですか」
「そんなもんかねえ」
大学まで実家住まいだった景人は、祖父が営むカフェでずっとバイトをしていた。
その時から、「いつかカフェを開く」ということを目標にしていたのだが、お金の都合やらなにやらで、何の因果か会社員をしている。
「カフェが開業した暁には俺が常連になってやるから、この仕事、まずは終わらせるぞ」
「了解です」
先輩の言葉を合図に、景人はパソコンの画面に戻る。それから一時間ほどでようやく資料が完成した。
「おー景人君お疲れー。じゃあ帰ろうか」
「先輩はお先にどうぞ。少し片付けとかしてから帰りますから」
「ああ、それはすまんなー。申し訳ないけどじゃあお先―」
先輩の帰りを見届け、景人も帰宅のために自分のノートパソコンをシャットダウンしはじめる。
「……疲れた。早くかえって少しでも寝よう」
そうつぶやいて、フロアの反対側に目をやる、煌々と電気がついている一角は開発部である。そこでは開発部のスタッフがまだまだ残って作業をしている。勤務形態が景人の部署とは違うので、良いとも悪いともいえないが、この時間帯になると、こちらとの人口密度の差を感じて、なにやら寂寥感を感じる。
すっかり深夜を回った上に、特にここ数日は睡眠時間も少なかった。
だからなのだろう。
景人は急に強い眠気を感じてしまい――。
■
まさか、会社で寝落ちしてしまうなんて。
ケートが目覚めたとき、床の上で寝てしまったようで、体のふしぶしに違和感がのこっていた。
のろのろと頭をあげ、辺りを見回す。
家一軒分ほどの広さの草地を取り囲むように、木々が茂っている。
はて、僕は夢をみているのだろうか。
ぼんやりとしていた頭が冴えたのは、自らの手が視界に入ったときである。
なんか小さくないか?
見慣れたはずの手が、なにか違う。何気なしに顎を触ると肌がつるつるとして、いつも感じる手にのこるざらざら感がない。
そんな、自分に対する違和感をさぐるばかりで、ケートは周囲に全く注意を払っていなかった。
「ほう、これはこれは珍しいですニャア」
声がしたほうを振り返ると、そこに一人の長身の男が立っていた。距離は三メートルほどだろうか。
「あっ…………」
ケートは声にならない声をあげる。視線の先には、モノクルをつけた大きな猫が立っていた。
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